研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには(2)

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(INGER MEWBURN)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」と題して、PhD(博士課程)の問題点やあるべき姿を本音で語る3部作コラムの2本目。前回は、指導教官の指導に妄信し、既存の事例を追従しているだけでは社会に通用する人材になれない、という話でしたが、今回はPhD課程を有意義に過ごすにはどうすればいいのか、その心構えについてです。


PhD課程における最大の山場のひとつは博士論文の執筆でしょう。実に大変な作業で、博士論文を仕上げるには多くの時間を費やすようにと指導するのが一般的ですが、私自身はそこまで時間をかけるべきなのか疑問に思っています。論文執筆があまりに難しい作業であるため、オーストラリア国立大学(ANU)では執筆指導を専門とするスタッフが常勤し、学生のサポートに当たっています。実は、博士論文とはほとんどの人が読みたくないと思っている文章のひとつです。私は博士論文を出版した方が良いと思っているわけではありません。下手に論文を出版しようとすれば、査読プロセスや学術ジャーナルの出版における順番待ち、あるいはその両方で問題が起こり、さらに困難な状況に陥ってしまうことでしょう。

PhD取得には困難が付きもの。それはわかります。でも困難に直面するとしても別のことでもいいじゃないですか。もちろん審査は重要です。でも、ぎっしり、長々と書かれたコメントをもらったとしても負担にしかなりません。論文を書くという経験を積むために博士論文を書く以上に負荷をかけるようなものは要らないのです。

もちろん、大学側は以前からPhD課程のカリキュラムの不備は改善すべきだと認識しています。だからこそ、私のような職種が存在するわけです。私のチームはコミュニケーションやプロジェクト管理といった一般社会にも通用するスキルを伸ばす手伝いをしています。皆さんが自信をもってさまざまなキャリアに挑戦できるよう、困難な状況への適応力とそのような状況からの回復力を高めるための手助けをしているのですが、私たちのワークショップに参加してくれるのはANUのPhDの学生の約半分に過ぎません。

トレーニングを目的としたワークショップは他にもありますが、多くのPhDの学生は、民間企業でもすぐに役立つスキル(例えば、最先端の解析パッケージやデータ解析の手法)を習得するのに十分な時間を費やしているとは言いがたい状況です。学部生や修士課程のセミナーを指導するといった大学院のカリキュラムを少し変えるだけで、これらのスキルを習得する時間を工面できると思うのですが、それをやろうとする指導教官はほとんどいないのが実状です。他の大学同様に、ANUでも投稿論文の書き方に関するコースには人が集まるのに、人前で話す方法、つまりコミュニケーションに関するコースには人がほとんどきません。これこそ、研究以外でも役に立つスキルなのに。

多くのPhDの学生が、一般社会に通用するスキルを磨く代わりに、ひたすら指導員のふるまいを模倣し、研究者としてのキャリアを積むための行動をとっています。自分の可能性を狭めてしまうのを見ているのはつらいものです。PhD取得後、半年あるいは1年たっても職に就けない人のカウンセリングを行うことがありますが、これにはさらに心が痛みます。そこに至ってやっと、実社会では役に立たない、研究業績を上げることばかりに気をとられて貴重な時間を無駄にしてしまったことに気づく人が少なくないのです。

ANUの状況が他より悲惨だというわけではないはずです。私は、指導教官からの期待とそれに応えようとする学生の行動について、どこの研究室でも起こっているであろう問題について、他の人よりもグローバルな見解を持っているだけです。私はこの15年ほどの間、将来を考えて指導教官の要求や期待を優先するあまり、自分自身の考えを犠牲にしてしまうPhDの学生を見続けてきました。これでも私をひどく落ち込ませるのに十分なのに、コロナ禍を経て世界が大きく変わろうとしている状況においてまで、相も変わらず古いやり方を推奨し続ける指導教官がいることを心から腹立たしく思っています。

ロックダウンによる自粛期間中に論文を書くようにプレッシャーをかける指導教官がいるというのにも怒りがこみあげてきます。せっかくの機会なのですから、データ解析の手法を習得したり、あるいは金銭問題を含む学術研究を続けるにあたっての不安に対処したりするのに時間を費やすのでもいいじゃないですか。学生がオンラインウェビナーを受講している最中に、指導教官が急にZoomでオンラインミーティングを始めようと学生を呼び出すのも考えられません(そこまで緊急なことって何?)。研究については指導教官のアドバイスを聞くべきですが、自分のキャリアについては自分自身の声に耳を傾けるべきです。学位が無事に取れたとしても、その半年後に泣いている、なんてことにならないでほしいのです。今なら間に合います。どうかPhD課程の時間を有意義に活用してください。

まずは、学術界に居続けることに固執せずにPhD課程の時間をどう過ごすかを考えてみましょう。この際、前回のブログに記載したやる気を喪失させる2つのパターンとなるような指導教官からの要求は頭から追い出しておきます。

今はすべてが中断されています。まさに「中断させられている」という状態。単に何かを自発的に「中断する」のとは大違いです。しかし、この「中断」をチャンスと捉え、個人のレベルでも、また社会全体においても本質的に変革していくことが求められています。PhD課程のこれまでの在り方から、全く異なる新しい在り方、PhDの学生が目標に向かって進んでいかれるような状況を作り出していかなければなりません。といいつつ、残念ながら変化を起こすには学生のみなさんの力に大きく依存することとなります。大きな変化を引き起こすには、あなた方読者のみなさんが行動を変えることから始まるのです。

この中断期間を利用して、学術ジャーナルの査読プロセスを切り抜ける方法を探るなど、従来の学術研究にとって役立つ情報の入手を行うのもアリです。でも、PhD取得後の雇用問題に関わってきた私として伝えておきたいのは、研究職がほとんどない状況では、いくら研究者として優れた資質を持っていたとしても職にはありつけないということです。大学でフルタイムの研究員に欠員が出た場合、補充採用を行う可能性はありますが、非常勤職員として雇うことが多いのはご存知の通りです。安定した研究職ポジションの数が極端に少ないため候補者間で熾烈な「椅子取りゲーム」をすることになるのです。実際、経済危機の予測が現実となれば、多くの経験豊富な研究者でさえ職を失い、学術界以外の業界に職を求めざるをえなくなります。彼らが失業すれば、研究職以外の雇用市場でライバルとなる可能性も捨てきれません。あらゆる業種の人たちを相手に勝ち抜いていかなければ職を得られなくなるかもしれないのです。

こんな話を聞くと、自分はハードワークと頭脳で乗り切るから大丈夫と思う人がいるかもしれません。それはそれで素晴らしい。自分を信じて進んで行かれる人がいるのは嬉しいことです。でも、ちょっと考えてみてください。学術界で生き残るために、いったいどれだけの労力を費やすことになるのか?ハードワークで体を壊さないだろうか?精神的にやっていけるのか?研究者としての仕事には、それを得るためのあらゆる努力に見合う価値があるか?

私は、PhDを止めるべきだ、などと言うつもりは全くありません。PhD取得後に学術界から離れて他の分野で活躍している人には、高い所得を得ている人もいることを伝えたいのです。高所得者ほど、不景気の時に失業する確率は低くなります。あるツイッターに出ていた下のグラフを見てください。これは過去2週間における複数の国の失業率の推移を分析したものですが、高所得者の失業率は1.3%しか下がっていないのに対し、中・低所得者の失業率は急下降したことが見て取れます。

他の研究によれば、失業率が上昇するにつれ、雇用主はより多くのスキルを有する人材を求め、できるかぎり良い人材を(しかも、できるだけ安い賃金で)確保したいと考えていることが示唆されています。

出典:Modestino, A, Shoag, D & Ballance, J (2016). Downskilling: Changes in Employer Skill Requirements Over the Business Cycle. Harvard Kennedy School working paper series.)

長期的にみれば、PhD課程を継続する方が賢明だと思います。もちろん、中にはPhDの価値を理解していない企業もあるので、一概にPhDを取得することが就職で優位になるとは言い切れません。それでも、いったん継続すると決めたなら、自分自身の持つ可能性を実現させるために、PhD課程で与えられた時間と環境を最大限利用することが今まで以上に重要となります。優れた研究を行い、課題の解決に挑み、新しい価値を創出してください。何もシリコンバレーで全く新しいIT技術を生み出したような「価値創造者」になれという意味ではありません。人がお金を払ってでも入手したい・雇いたいと思うことをする人になるという意味です(ちなみに、学術ジャーナルに論文を書いて対価が得られるのは学術界だけです)。

とにかくいろいろなことにチャレンジする!研究以外のことを始めてみるのもいいでしょう。例えば、R言語やその他のプログラミング言語を勉強してみるとか。あるいは、学術コミュニティや他の業界関係では何が重視されているのかを聞いてみるとか。有給のインターンシップに参加するのもお勧めです。

ここまで読んで「よくぞ言ってくれた!」とか「もう、何年も前から動いてます!」と言っている人に、私からの気持ちです!

でも、「そうは言っても、そんなの無理」とか「指導教官を見習ってはいけないなど、全くもって賛成できない」と思った人もいるでしょう。それでもいいんです。人と違ったことをするのは難しいことです。それとも、忙しすぎて今すぐ始めるのは難しいという人もいるかもしれませんね。「このブログに書いてあることはもっともだけど、言うだけなら簡単でしょ。論文の締め切りが迫っているし、とにかくこれを終わらせないことにはPhD取れないんだから!」という叫びが聞こえてきそうです。

そりゃ、PhDを取れるか取れないかは一大事です。これに続く3本目のブログは、学位をとる意味を考え直してみます。

>> 続き(3部作コラム・3本目)はこちら

>> 前回の記事(3部作コラム・1本目)はこちら

>> 原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/05/13/stop-letting-the-ghosts-of-old-academia-haunt-you/

X

今すぐメールニュースに登録して無制限のアクセスを

ユレイタス学術英語アカデミーのコンテンツに無制限でアクセスできます。

* ご入力いただくメールアドレスは個人情報保護方針に則り厳重に取り扱い、お客様の同意がない限り第三者に開示いたしません。