研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには(3)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(INGER MEWBURN)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。「研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすには」と題して、PhD(博士課程)の問題点やあるべき姿を本音で語る3部作コラムの3本目。ここまで、研究者以外の種を考える学生が博士課程を有意義に過ごすための心構えについて話を進めてきましたが、いよいよ最後は、具体的にどのようにして新たな一歩を踏み出せばよいのかについてです。


PhDという学位は、取るか取らないか――二択しかありません。しかも、取得したからといって取得しなかった人に比べて就職戦線で優位に立てる保証は全くないのです。

誤解しないでくださいね。私は決してPhD課程での研究をおろそかにしていい、と言っているのではありません。ただ、論文に対する考え方を変えてみてはどうかと提案したいのです。論文自体に自分の研究者としてのアイデンティティーを見いだすのではなく、通過儀礼のようなものだと考えてみてはどうでしょう。10万語におよぶ壮大な論文を書くのも結構ですが、6~7万語以内でも十分価値ある論文を書くことができます。論文を短めにまとめることで浮いた時間を他のスキルを磨くことに使えばいいのです。

研究者の道に進むつもりがないなら、学術ジャーナルに論文を投稿することは時間と労力の無駄です(といいつつ、教える仕事をしている人は、ぜひ続けてください。コミュニケーション能力や組織内での対応力を高めることができるはずです)。とりわけ、人文科学を専攻としている人は、自分の研究成果を共有し、他の研究者から意見を聞くためには論文を書く以外に何ができるか考えてみてください。学術ジャーナルに投稿するための論文を書く方法を学ぶことだけに時間を費やすことはお勧めしません。文章力を磨きたいのなら、気の利いたレポートやメモの書き方を学ぶと良いでしょう。論文を書くのに費やす代わりに、技術的スキルや統計リテラシー、幅広いコミュニケーションスキルを向上させるために時間を有効に活用してください。

あえて、言わせてもらえれば――これを言ったら、あなたの論文に共著者として名前を連ねることで研究者としての実績を増やそうと思っている共同研究者から反感を買うかもしれませんが――他の研究者から論文を書くようにとプレッシャーを感じることがあっても気のせいではありません。論文に共著者としてでも名前が載ればCV(経歴書)に書けるのですから、論文は多い方がいい。ついでに、大手学術ジャーナル出版社にも文句を言わせてもらいましょう。出版社は研究者を食い物にして利益を得ていますし、発展途上国の研究者による論文へのアクセスをブロックしたり、購読料を跳ね上げることで大学図書館を追い詰めたりしています。

おっと、脱線してしまいましたね。

話を戻します。何事でも変化を起こすのは大変なことですが、学術生活における「普通」を変えるには、まずあなたが変わらなくてはなりません。個人的な経験から言わせてもらうと、私は自分を変えたことがいつも良い結果につながってきました。将来も学術界にいるという思い込みから自由になれば、別のクリエイティブな生き方が見えてくるかもしれません。もし研究の道に進まないとすれば、どんなことを書いて、どんなことを目標としますか?学術ジャーナル用の論文ではなく、政策に影響するような公的報告書を書いてるかもしれないし、ポッドキャストやブログを書いてるかも。あるいは、YouTubeの動画を作ったり、ドキュメンタリーの台本を書いたりしているかも……何だってできるってことを覚えておいて欲しいのです。

自分はどんな課題を解決できるのか、また誰がそれに対して対価を支払ってくれるのか、よく考えてみてください。そして、自分の学内の就職情報サイトを覗いてみてください。ワクワクする仕事が見つかるかもしれません。(このブログの末尾にPhD取得者の雇用について書かれた論文や記事をリストしておくので参考にしてもらえれば嬉しいです)。

何かを変えようとすれば反発もあるでしょう。そんな時は、多くの人は未来を見るにも過去に引きずられる傾向があることを思い起こしてください。もう、そんなことをしている余裕はありません。大学の中にある、あらゆる情報源や専門家の助言を活用して、自分自身がPhD課程の間にやりたいと思う経験を積むのです。専門的な経験を積んだ研究者になることも、コミュニケーター、問題解決者、あるいは新しい価値を創り出すクリエーターになるのもあなた次第。PhD取得の暁には、どんな課題にも挑戦できる人になっているはずです。研究で培ったあなたの素晴らしい洞察力を、購読料に縛られた学術ジャーナルの論文執筆に埋もらせるのではなく、世の中に役立つことのために使うこともできるでしょう。PhDを取ることによって、高い知性と学習能力とを合わせ持ち、このコロナショックによる不景気を乗り越え、望む仕事を見つけ、新たな道を歩み始めることのできる人材となれるはずです。

もはや新しい学術界への動きを止めるものはありません。あるとしても、そう長くはない学術界の過去へのノルスタジーだけです。学術界は確実に変わろうとしているのです。

一緒に前を向いて歩いていきましょう!

追伸:このブログに関するコメントがありましたら、お気軽にソーシャルメディアにタグ(@thesiswhisperer)を付けて発信してください。

私の友人のタムソン・ピエッチ(Tamson Pitech)博士(@cap_and_gown)は、彼女のポッドキャスト「The New Social Contract」の中で新しい研究職の在り方を模索しています。鋭い問題提起は一見(一聴)の価値ありです。impactstudios@uts.edu.aiにボイスメモを送ることも可能です。

【関連ブログ】

What is this anti-PhD attitude about?

The academic writers’ strike

【その他の関連記事や情報】

The PostAc app:機械学習の技術を駆使して学術界以外の職を探すサイト

(大学向けの契約に限定されるので、これを読んでいる大学関係者の人でこのアプリに興味があればinger.mewburn@anu.edu.auまでご連絡ください。)

Campus Morning Mail(大学通信)に投稿した記事:Austerity is boring and it’s not going to save us

ダニエル・ショア(Daniel Shoag)による研究論文:Downskilling: changes in employer skill requirements over the business cycle

The Atlantic記事:Imagining the future is just another form of memory

The Washington Post記事:Academia is a cult)

シャリー・ウォルシュ(Shari Walsh)著:Coping during COVID tip sheet

The Oatmeal掲載コラム:How to touch your face less

APR.Intern: Australian Post Graduate Internship program(有料情報)

【PhD取得者の雇用に関する論文リスト】

Pitt & Mewburn(2016)Academic superheroes? A critical analysis of academic job descriptions, Journal of Higher Education Policy and Management, 38(1), 88-101.

Mewburn, I., Grant, W., Suominen, H. & Kizimchuk, S.(2018) A machine learning analysis of the non-academic employment opportunities for Ph.D Graduates in Australia,Higher Education Policy.

Mewburn, I, Grant, W and Souminen, H(2016)Tracking Trends in industry demand for Australia’s advanced research workforce, Department of Industry, Canberra, Australia.

Mewburn, I, Souminen, H and Grant, W(2020)Matching PhD graduates with industry jobs, Center for the Public Awareness of Science, ANU, Canberra.

>> 前回の記事(3部作コラム・2本目)はこちら

>> 原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/05/13/stop-letting-the-ghosts-of-old-academia-haunt-you/

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