PhDが無意味に感じられる理由と対処法

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回はPhD課程(博士課程)の学生が襲われる無力感、そしてそれに対処する具体的な方法について解説します。


内容についての注意事項からお伝えします。この連載では、明るく、役立つことがらについて書くよう心がけていますが、この記事では不安やうつ状態など、精神衛生に関わる話に触れています。

抵抗のある方は閲覧をお控えください。サイトを離れる前に、子猫のGIFをどうぞ。

マット・マイトの‘The Illustrated Guide to the PhD’によると、PhDとは知識の顔に突き出た「おでき」だということです。

ぜひ、ページをご覧いただきたいのですが、マイトは、人類の知の総和を大きな円で、個々の知識を小さな円で図示します。そして、個人のPhD研究を、大きな円の縁の部分から突き出す小さな膨らみとして表示しています。

PhDという「おでき」です。

マット・マイトはいい奴で、彼の図にも説得力があります。彼が言いたいのは研究が積み重なることにより、人類の知識の総和が徐々に大きくなっていくということです。個々のPhDが革新的である必要はありません。個人の貢献が微々たるものでも、多くのPhD取得者の「おでき」が集まることで、大きな意味を持つというのです。

社会学寄りの研究者としては、私は彼が示す加算式の知識の概念についていささか懐疑的ですが、ここでは認識論についての議論は控えます。知を探究する人類の壮大な努力の中で、ひとりひとりが小さな、謙虚なプレーヤーであるという考えは、詩的で魅力的です。

しかし、少し残念でもあります。

私自身のPhDは、単なる「おでき」でしょう。建築のクラスにおけるジェスチャーについての研究でした。現在の私は、建築もジェスチャーも教えていません。もはや、研究を通して身に着けた手法も使っていません。知識というものの価値に私が懐疑的なのは、こうしたためかもしれません。

人類の知識の輪は広げられたのでしょうか。あるいはそうかもしれません。

何人かが引用してくれましたし、気に入ったと言ってくれる人もいました(メーガン、ありがとう!)。自分では、この特別な知識の「おでき」にどれだけの努力がなされたか分かっています。しかし正直なところ、努力に疑問を感じることもあります。胃潰瘍になったことや、幼い息子に関する記憶があいまいであることなどもあり、やっている際に、無意味だと感じることが頻繁にありました。

もちろん、本当に無意味なPhDはありません。私がこうして皆さんに対してメッセージを伝えることができるようになったのもPhDを取得したからこそです。ブログは10年以上続いており、多くの人の役に立ってきたと思います。しかし、人類全体の壮大な知識に照らし合わせて自分のPhDを考えてみると暗澹とした気分になります。だから、私はマット・マイトの言うところの「おでき」について、一定の敬意を覚えながらも、好きになれない部分があるのです。

PhDの無意味感についてお話したいのは、激動の21世紀に入って20年以上を経た今、それが特に大きな問題だと思われるからです。

学問の世界には、不十分な研究指導、性差別、人種差別(さらには、能力差別や年齢差別)など、長年の問題が存在します。そうした問題への対処は始まっていますが、解決は、まだまだ先のことです。また、学術出版や評価指標のシステムが、倒錯した論文量産の「軍拡競争」を煽り、PhD学生も歩兵のように、ほとんど人に読まれないような論文を大量に生み出すようになっています。また、学生たちは授業料や生活費といった出費がありながら、雇用が不安定だという経済的な苦境にも苛まれます。

長引くパンデミックも、不安の感情を悪化させます。日々、ニュースフィードに表示される人類の不幸の総和に比べると、人類の知識の総和は取るに足らないように感じられるかもしれません。私たちの生活にますます大きく立ちはだかる気候変動の脅威も忘れてはなりません。友人のリズ・ボールトン博士は、気候変動を「過度の脅威hyper threat」と呼び、「霧のように遍在」し、不安や行動の麻痺を日常化させるものだとしています。

博士課程の学生の間で精神衛生上の問題が恐ろしいほど蔓延していることは、驚きではありません。21世紀の問題は、とにかくとてつもなく大きいのです。思考し、感じることのできる人なら誰でも、無力感や将来への不安を覚えるでしょう。朝、ベッドから出るのが辛いという人がいても、まったく不思議ではありません。

そうした感覚に圧倒されることなく、考え、行動する方法が必要です。思いつくままに対処法のアイデアを挙げてみましょう。

1) 博士課程を苦行にしない方法を見つける。以前、博士論文というものについての疑問や、それがポートフォリオ評価で置き換えられるという内容の記事を書きました。学位論文を書かないという選択肢はないかもしれませんが、ギリギリのところでやるのは可能です。有効なアイデアや知識を共有している先達を探しましょう。ブログの執筆や、Tik Tok、ポッドキャストの配信がキャリアにとって無意味だと言うような人に耳を貸してはいけません。従来のアカデミックなキャリアはもう存在しないのだと伝え、自分の道を探しましょう。

2PhD課程の時間を使い、自分に役立つスキルを身につける。学問は実力主義ではありません。論文の山が一番多い人が常に「勝つ」わけではありません。勝つ、ということは、自分を壊すような仕事をすることでしかないかもしれません。「学問的な成果」が何であるか、クリエイティブに考えてみましょう。破綻した学術出版システムに、何も考えずに学術論文を送り続けることには抗うのです。新しい技術やソフトウェアの使い方を学び、新しい話し方や他者との関わりを試してみましょう。新しい方法で知識の輪を広げるのです。

3)大学の評価システムを信奉しない。これは、自分のためというより、教員たちのためかもしれません。私たちは皆、学術ランキングを受け容れることで、倒錯したシステムに寄与してしまっています。出版とは、政治性を帯びた行為です。学術出版というシステムが、最も弱い立場の若手研究者に悪影響を及していることを認識しましょう。指導教官が評価されるための学術研究に安価な労働力として学生が使われることがあってはなりません。

4)他者を助ける。無力感は、他者とのつながりによって(少なくとも一定程度は)改善されます。人と一緒に何かをすることで、地域のつながりを具体的に強化する方法を見つけるのです。少なくとも社会的な生活や家族・友人との時間は取り戻しましょう。時間があれば、学生団体への参加や、学術委員会の学生代表を務めてみるのもおすすめです。地域のコミュニティに参加し、ボランティアをしたり、政党に参加したりするのもいいでしょう。他者とつながる方法は、探せばいくらでも見つかるはずです。

5)下を向かない。無力感が特にひどくなる日もあるでしょうが、それを受け容れてください。ひとりひとりが主体的に何かを行う力や物事を変える力には限りがあるのです。圧倒されるような感覚は、休息を取るべきだというサインの場合もあります。反対に、無力感を抱いていても研究に組むのが最善の方法である場合もあります。没頭することで、無力感を解消するのです。自分に合った方法を試してみてください。

6) 自分の気持ちを無視し続けない。どうしても無力感が晴れない場合は、助けを求めてください。PhDを中断することは大きな決断ですが、時にはそれが最善の方法の場合もあります。恥や挫折感といった感情は、人々を何年も拘束し続けることがあります。私の経験では、こうした感情の持続が長期的な害をもたらすこともあります。プロのカウンセラーであれば、気持ちを解きほぐし、それぞれにとっての最善の道を見つける手助けをしてくれるでしょう。

PhDを無意味なものだと感じない方法についての皆さんのアイデアについても興味があります。ブログのコメント機能はオフになっていますので、メッセージのある方はTwitterからお寄せください。

インガーより

* この記事を書きながら、息子に、PhD課程にいた12年前の自分は悪い親だったかと、不安ながらに尋ねてみました。すると彼は、私の正気を疑うようにして「あなたのPhDなんて覚えてない」と言いました。(笑)

PS: 最後に、私たちの新しい取り組みであるThe Whisper Collectiveについて紹介します。この新しいサイトでは、ウェブ上で活躍する優れた研究教育者たちから記事を掲載しています。トップページは最新記事で随時更新されます。ぜひ、ブックマークして、私の仲間たちの素晴らしい仕事を定期的にお読みいただければと思います。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2021/11/03/why-a-phd-can-feel-pointless-and-what-to-do-about-it/

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