パンデミックでの研究停滞をいかに乗り越えるか

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回はコロナ禍での、PhD(博士号)取得に向けた研究停滞を乗り越える方法についてのお話です。


パンデミック関連(#pandemicpost)の別投稿で「COVID-19が収まるまでPhDを中断する?」という問いかけをしましたが、世界は今も非常に深刻な状況にあり、「普通」とは程遠い生活を余儀なくされています。このような生活が数か月あるいは数年間は続くとの認識が広がる中、学術関係者の話題は、実際の教室からオンライン授業への転換から、教員が自宅から授業を行う際の課題や、既に健在化している雇用喪失および今後の影響範囲に移ってきています。

毎朝ニュースを聞くだけで、不安や懸念が募ってしまい、気分は乱高下。こんな不安定な気持ちのまま複雑に入り組んだ研究プロジェクトの諸作業を進めるのは容易ではありません。学術ライティングに関するブログを書いているトロント大学のレイチェル・ケイリー(Racheal Cayley)がコロナ禍で執筆を行うことの難しさについて書いていますが、その困難さの反面で知的な作業はストレスを和らげてくれるとも言えます。とはいえ、私自身、多くのPhD学生や学術関係者と同じようになかなか行動に移せない――よしやるぞ!という気分にならないのです。 心理学で言うところの「フロー状態」、つまり目標に向けて集中し、時間の経過に気付かないほど没頭できる状態になれないのが難しいところです。フロー状態になれれば現実のプレッシャーから解放されるので、是非ともこの状態に到達したいのです。このコロナ禍でもPhD取得を目指して研究を続けるのであれば、フロー状態になる方法を見つけることが心の健康と研究自体にとってプラスになるでしょう。

では、どうやれば頭を研究に戻して、コロナ禍でもフロー状態に到達できるのか?

ジャーナリスト兼ノンフィクション・ライターのアマンダ・リプリー(Amanda Ripley)は、著書『生き残る判断 生き残れない行動 – 災害・テロ・事故、狂言状況下で心と体に何が起こるのか(原題The UnthinkableWho Survives When Disaster Strikes – and Why)』の中で、人が災害にどう反応するかについてまとめています。ハリケーン、洪水、津波といった自然災害や事故などの惨事に直面した人々の差し迫った危険に対する生理的反応や、身体への極度のストレスの影響、危機的状況下での意思決定について論じています。

テロ攻撃や自動車事故のような極端な状況に対する最初の反応のひとつは、起きていること、起きたことの「否認」です。人々は簡単に 「こんなことはあり得ない」 という思考に陥り、通常の行動を続けることが危険である場合にもその行動を続けようとします。これは、自分が認めたくない情報を聞かなかったことにしたり、過小評価したりする 「正常性バイアス」と呼ばれる特性です。9.11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)の際、世界貿易センタービルの崩壊が迫っているにも関わらずデスクから自分の持ち物を取り出したり、コンピューターの電源を切ったりするために40分も費やした人がいたというのは一例です。また、今回のコロナ禍においてオーストラリア政府が外出自粛の呼びかけを行った直後の週末に、大勢の人たちがシドニーのボンダイビーチに向かったのも同じようなものです。私にリプリーの本を勧めてくれた友人は、ビーチに行く人々に「利己的で愚か」との非難が向けられたことは、災いに直面した人々が現実を「否認」するという特性が理解されていないことを如実に示していると語っていました。ビーチに行くこと自体は「普通」でも、危機的状況下でビーチに行くのが普通ではないのです。ビーチに行った多くの人たちは、世界が変化に見舞われている中で、その変化に対処することが出来ていなかった――状況をきちんと把握して対処するには時間が必要なのです。人によって要する時間は異なりましたが、時間とともに人々は変化に適応し、すっかりビーチからは人の姿が消えました。

愚かで危険と評される普段通りの行動の背後には「否認」があると考えれば、アメリカの某政治家の行動も理解しやすくなるでしょう。コロナ禍であっても彼は普段の自分の行動を押し通しているだけ。ただし、そんな行動が今はひんしゅくを買っているのです。リプリーによると、危険な状況において普段通りの行動を続けてしまうことは否認の一反応にすぎないそうです。否認によって人は身動きがとれなくなり、正確に物を見たり聞いたりできなくなって、先のことを考えたり適切な対応を取ったりすることができなくなってしまいます。そして各国が新型コロナウイルス感染症拡大抑制のための規制や試みを行う中、こうした「否認」が多くの政治的な問題を引き起こし、国によっては深刻な状況に陥っています。(オーストラリアとニュージーランドは今のところ上手く対処していますが、それは現実を直視しなかった他の国々問題を見て、早めに思い切った行動を取ったことが功を奏しているからでしょう)。

危機的状況の中で「普段(今まで)通り」研究を続けようとするのは、現実を否認していると言えます。ストレスに対する生理的な反応は脳に影響を及ぼすため、このような状況下であまり先のことを考えるのはリスクが高く、間違った決断につながりかねません。ですから、研究についてもこれまでとは違った見方をすべきなのです。そのためには、まず始めに自分が否認していることを認め、根本的なところでフロー状態になれることを目指してみてください。それができたら次は、リプリーが危機的状況下における人の状態の第2段階と定義した「思考」に進みます。

「否認」に続く「思考」は、周囲で起きていることを理解し、適切に対処する方法を見つけようとする状態です。リプリーは、人は「思考」の段階でも誤った判断を下すことがあると指摘していますが、その中でも怖いと思ったのは「集団思考」 に流されていくことです。先行きを心配し続け、失ったことを悔やみ続けることは、学術研究にとって何の役にも立ちません。こうした恐れや不安は、PhD取得に向けた活動を完全に停止させてしまう可能性があるのです。ですが、適切なやり方を知っていれば、この停滞状況からの脱出はそれほど難しくありません。そして、今回のパンデミックに関わらず、止まった状態から抜け出すスキルこそ、研究者として重要なのです。

行き詰った際には、まず何が起きているかを理解する必要があります。PhD課程の学生や経験豊かな研究者は、状態がとても良いときですら考えこみすぎて 「イップス(yips)」 と呼ばれる精神的な状態(不安などにより運動選手などの動作に支障を来す症状、緊張や不安などでそれまでできていた動作が思い通りできなくなること、運動障害)に陥る傾向があります。この傾向を防ぐには自分自身で対処するしかありません。研究者の多くは完璧主義者で、非常に競争が激しく、厳しい世界に身を置いています。しかも、労働条件が不安定(不健康なほど自発的な勤務をしている人もいると付け加えておきます)となれば、独創的な仕事なんてできるのだろうかと思いたくなることもあるでしょう。こうしたマイナス要因の中で研究者たちが多くの成果を上げているのは素晴らしいことですが、この連載「研究室の荒波にもまれて(Thesis Whisperer)」の中で、PhDの長旅におけるどん底状態について記した「The Valley of Shit」と題する記事が多くの読まれているのには納得できます。まさにこのような研究者を取り巻く状況が、この記事への共感を生んでいるのでしょう。この中で私は「研究に行き詰まった」 心の状態を次のように説明しています。

Valley of Shitは、PhD号取得に向けて研究している若手研究者が、短期間であれ、全体像を見失い、自信喪失の状態に陥ることです。そうした状態に至るにはいくつかの兆候があります。自分の研究計画全体が間違っている、あるいは自分には研究を公正に進める能力がないと考え始める、自分のこれまでの作業が不十分ではないか疑問を持つ、自分の発見は既知のことで独自性や重要性がないと感じ始める、などです。このドツボの状態にはまってしまうと、研究続行はますます難しくなり、止めようかとさえ考えてしまうのです。

この記事で私が提案したアドバイスは、現在のコロナ禍で研究に取り組もうというみなさんにも有効だと思います。たとえ意味がなさそうに見えても、後になって投げ出すことが心配だとしても、「歩み続けること」、今できることを続けていくことがあなたの研究を前に進めることとなるのです。

私は、気分が盛り下がってしまうスランプ状態を穴ではなく谷(Valley)と表現しました。動かなければ八方ふさがりに感じられるでしょうけれど、そびえたつ壁に挟まれた谷底に長く留まり続けてもいいことは起こりません。どのような作業でもよいので、何かしらの作業に着手して、そこから動き始めなければならないのです。好きなことからでいいです。好きな作業もままならない、といった場合には何か生産性のあることに着手してもいいでしょう。ファイル整理、参考文献リストの更新、机の整理整頓、画像のタグ付け、データ処理、図表の作成……何でもかまいません。社会的な作業も気分転換には有効です。例えば、本を読んで著者にメッセージを送ったり、友人との電話やチャットであなたの友人のことや友人の意見をあなたがどう思ったかなど(新型コロナウイルス以外の話題で盛り上がるかも)話したりするのもいいでしょう。

ここで大切なのは、どのような作業をするのでも、それを「役に立つ」作業とするためには、自分自身のプレッシャーを排除することです。書いた論文の出来が悪かったとしても、誤ったデータ分析を一からやり直さなければならないとしても、誰も見ていないし、誰も気になんてしません。家族を食べさせたり、家を整えたり、愛する人のそばにいたり、といった本当に大切なことに比べれば、大したことではないのです。とにかく歩き続けること。それが谷を抜け出るただ一つの方法です。

今の状況で「普段通り」の研究を進めることは不可能です。「普通」の状態で進めてきた研究のやり方に固執するのは「否認」だと肝に銘じておきましょう。そして、フロー状態で楽しむことです。学術ライティングに関するワークショップなどを開催しているタルサ大学のジョリ・ジェンセン(Joli Jensen)が著書『Write no matter what!』の中で書いているように、必要なのは、気構えず、こまめに論文執筆に取り組むことで、安心して書くことができる状況に自分を置くことです。その方法のひとつは、好奇心が満たされることに熱中してみること。何かを読むのでも、「研究に役立つ」からではなく、心からおもしろいと思えるものを読む。たとえ作業を先送りにすることになっても、意図的に 「非生産的な」 ことをしてみるのです。普段は、論文の大まかな下書きが完成する前に原稿の推敲・校正を行うことはお勧めしませんが、この作業が楽しいと感じられるならば、積極的に進めてみるのもいいでしょう。

フロー状態となるのを妨げるような人について思い悩むのはやめます。指導教官が自分のことを気にかけてくれないとしても、気にしては駄目。自分がやりたい研究をするための一部として割り切るのです。逆に「在宅でも生産的なことを続けろ」 とプレッシャーをかけてきたら、「生産的なこと」 をしているから干渉しないでほしい、と言えばいいのです。ここで私事を話すと、月曜日はメールやTo Doリストを完全に無視して丸一日このブログ記事を書いています。そうしていると、何時間もフロー状態を持続することができるのです。実は、この1か月は以前よりずっと気分よく作業しています。あなたも、しばらくの間は少しぐらい「不真面目」でいいんじゃないですか。何より楽しむことです。

覚えておいてもらいたいのは、現在の状況下でPhD取得に向けた研究を続けることを決意したならば、まずは、自分の研究キャリアにおけるPhDの重要性を心配しすぎるのを止めること。研究を続けたとしても該当分野で仕事に就けるかどうかはわかりません。それでも、現時点で研究を継続することが苦でないのであれば続けるべきです。プレッシャーが取り除かれたとき、驚くべき成果が生まれないとも限りません。でも、たとえそうでなくても失うものはないのです。さあ、一歩ずつ一緒に歩き出しましょう!

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/04/22/the-valley-of-covid-shit/

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