効率的な研究を行うための、アナログとデジタル作業の使い分け

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「THE THESIS WHISPERER」。今回は、効率的な研究活動においてアナログとデジタルでの作業をどのように使い分けしていくのが良いかについて、実際の例を用いながらご紹介いたします。


告白します。私は“職人的な”ものにめっぽう弱いです。作家ものの陶器が並ぶ雑貨店や地産地消の蜂蜜を取り扱う食糧品店、豆の原産地にこだわったコーヒーを提供するレンガ造りのカフェなどがたまらなく好きなのです。50歳近く(私自身も信じられないのですが)にもなると、流行に気付いた時点でそれは過ぎ去った流行になってしまっています。職人的なものというのは既に流行遅れかもしれませんが、ありがたいことに、50歳ぐらいの人間には、流行に捉われるいわれはありません。そして職人的な雰囲気を好きなだけ味わえるカフェや食品店、雑貨屋さんを私はいくつも知っているのです。

家庭用品や食品、コーヒー等では職人気質のものを堪能できますが、少なくとも私のカウンセリング経験からすると、職人気質のすばらしさを、研究の現場でも語れるかについては確信が持てません。私はANUに在籍する学生に一対一のカウンセリングするため週に1時間の枠を設けています。面会者の多くは、何らかの理由で期限内に研究を終えられないのではないかというストレスを抱えています。指導教官との関係や、研究対象の範囲、非効率な作業方法など、様々な要因があります。

私にとって特にやっかいなのが非効率な作業方法に起因する問題です。この問題の修正は、本来は簡単なことなのですが、皆が抵抗するのです。作業方法を修正する以上のエネルギーを注いで抵抗する人が実際にいるのです。問題は知識不足や意識の低さではありません。彼らは、情報の処理や取扱方法の非効率さをいったんは認めるものの、次の瞬間には、これ以外の方法では作業できないとなどといった主張をするのです。

こうした「職人気質」に私はいらだちを覚えてしまうのですが、自分たちがなぜ抵抗しているのかを気づかせてあげなければ、人の考えは変えられないということも分かってきました。勝手知ったるやり方にこだわるのは習慣によるところありますが、その核心は作業の楽しみです。カル・ニューポート氏(Cal Newport)がその素晴らしい著書 『So Good they can’t ignore youで述べていますが、楽しみは、スキルが身について初めて得られます。テニスなどのスポーツは、まだ練習を始めたばかりの最初の10週間よりも10年間プレーした後の方がずっと楽しめます。同様に卓球でも、ボールをネットの向こうに打ち返すような基本動作ができたぐらいでは、まだまだしっくりきません。

研究を楽しむということは全く素晴らしいことだと思いますが、あくまで効率を犠牲にしないという前提においてです。ここでは、研究における職人的な楽しみについて、そしてデジタルツールを使用して効率を高めながら楽しみを維持する方法について考えてみたいと思います。

「手作業」での分析

私の専攻分野(広義の社会学)では、テキストデータを分析するためのプラットフォームが数多く存在します。Nvivoおよび同社の自動コーディング製品のInterprisに加え、オンラインマーキングツールのDedooseとLancsboxというコーパス言語学の製品を使用しています。これらのツールでは、テキストの断片を切り出して、コーディングと比較、集計によりパターンを特定します。そして発見したパターンに関する自分の仮説を記入した「メモ」を追加できます。蛍光ペンやポストイットなどを使用して手作業で行えるコーディング手法をデジタルツールで行っているのです。

楽しそうでしょう?実際のところ楽しいです!データ作業を昔風のやり方で行うと幼稚園に戻ったような気がしますが、モノを使った作業にはそれなりのメリットもあります。ページ上で作業することで、テキストを単なる断片としてではなく、文脈の中で見られます。全体を俯瞰できるため、非効率な方法にもかかわらず、パターンの特定と説明の際はこの方法にこだわる人がいるのです。他の分野でもそれぞれの「手作業」の手法があると思います。では、それをやめるべき時はいつなのでしょうか。

デジタルの手法に切り替える基準のひとつがタスクの規模です。小さなサンプルデーターを「手仕事」で処理するのは問題ないと思いますが、長い目で見れば非効率になります。複数のデータポイントが関連する高度に洗練された分析にはコンピュータの能力が必要です。歴史学や人類学、哲学など、「手作業」スタイルが深く染みついている分野の研究者にも補助的なデジタルツールを使うメリットはあるでしょう。博士課程の学生がこうしたデジタルスキルを身につけていれば卒業時には引く手あまたとなります。ですから、現在においては、手作業原理主義者のように、デジタルツールを完全に排除するなどということはもはや言っていられないのです。

スクリーン上で読むより、プリントアウトして読む

紙媒体が素晴らしく、読書体験も全く異なることは私も重々承知しています。何かを持っている感覚は良いものですし、目の届くところに本を置いておけば読むべきものを忘れないため、いまだに紙の本を多数購入しています。デジタルのデバイスよりも紙の本の方が、前のページに戻ったりページを飛ばしたりするのは格段に楽です。技術の進歩でページをめくる感覚は味わえますが、ほとんどの電子書籍リーダーは読んだページを再フォーマットしてしまうため、気になった箇所を再び見つけることは困難です。紙の本の方が教える際に使うのも簡単で、生徒に貸し出すこともできます。このため、オフィスにはよく使うテキストの書庫を設けて学生への貸し出も行っています。

書籍の場合、紙の本を購入しますが、研究論文や論説をプリントアウトすることはありません。職場のPCはプリンターに接続していないため、印刷したいと思ったこともないのです。ここでも問題は規模なのですが、この場合のメリット・デメリットは上記の書籍の場合とは反対です。小さいサイズの文書の場合、取扱いや保存、ファイリング、検索はデジタルが容易ですが、一冊の書籍ほどの分量になるとデジタルでない方が取り扱いやすいのです。もちろん、電子書籍は携帯性などの利便性が高く、頻繁に使用する本については紙とデジタル両方を購入します。

ノートは紙にとる

日記帳を嫌いな人などいるでしょうか?私の場合、贈り物でいただいた時には小躍りしてしまいます。建築学科の学生時代からの日記帳を書棚いっぱいに並べてありますが、時おりページを開いて昔の自分に会うとそこには全く別の人物がいます。しかし他人が見たら意味不明な、断片的で曖昧な内容です。手書きのノートの一番の問題は、この文脈の欠如です。連続するページがブログのようになり、新たな記述が前の記述を「上書き」してしまいます。重要な情報が、簡単に失われてしまうのです。

今でも年中、紙に文章を書いたり絵を描いたりしていますが、情報を後から振り返りたい場合は撮影してEvernoteのデーターベースに保存します。Evernoteには文字認識機能があるので、文字を読み取り手書きのメモを検索可能にしてくれます。サウンドファイルやテキストなどのファイルを手書きのページに添付することでデーターベースに一連の情報として保存することができます。読んだ書籍に関するメモの保存には文献管理ソフトが最適です。Scrivenerなどのソフトでは書きかけの原稿のそばにメモを置いておけます。打ち合わせの際にもノートを取りますが、それ自体を記録としては使うことはありません。内容と実行項目のサマリーを打ち合わせ相手にメール送付するか、Omnifocusの「アクション」リストに直接入力することで対応しています。日記を紐解いて、昔の自分が何を考えていたかを確認するような暇な人間はもはやいないのです!

 参考文献のスプレッドシートでの管理

学位論文を書き上げて以来、文献管理ソフトの自動引用機能を使ったことはありません。使うべきなのは承知しているのですが、実際にやると面倒が生じるのです。私の論文の90%は共著のため、同じソフトを使用していない相手に参考文献が紐付いた文章を送ると大変なことになってしまいます。私が書くのは、歴史の調査などではなく、テキストブックであるため、分量があっても学位論文よりも参考文献は大幅に少なくなります。学位論文や歴史に関する研究など長文で引用が多数に上るような物でなければ、参考文献を手入力で処理してもよいでしょう。しかし、参考文献をスプレッドシートで管理するのはお勧めできません。実際に行っている学生を見たことがありますが、惨憺たる結末でした。

いかがでしょうか。皆さんには、こだわりのある職人的な研究手法はありますか?それとも、完全にデジタル化した手法が性に合っていますか?アナログとデジタルついてのご意見もお待ちしています。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2019/06/19/the-artisanal-phd/

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