PhD(博士課程)を短期間で修了することは可能?

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、PhD(博士課程)を短い期間で修了する人たちは、それをどうやって成し遂げたのか、ある学生の体験記を紹介します。


先日、2年で博士号を取得したというカーメン・ブライス(Carmen Blythe)の記事を公開したところ、凄まじい数のコメントをいただきました。中には、Carmenが2年で博士号を取得したのは普通の人よりも状況が有利だったからだと指摘する人もいました。では、「普通の人」が2年で取得することは果たして可能でしょうか?

毎年、多くの学生が博士課程を一定の期間よりも短期間で卒業します。そう、パートタイムで通う社会人学生たちです。社会人学生は最初の数年でドロップアウトする可能性も高い半面、統計的に見ると、フルタイムの学生よりも短期間で修了しているのです。4年以内の場合もあります(フルタイムで2年間在籍するのと同じスピードです)。このことに気づく人が少ないのは8年を4年で卒業したと言っても、まぁまぁ長い期間だからでしょうか。パートタイムの学生は、影の成功者なのです。この現象が脚光を浴びてほしいとずっと思っていたので、アリソンの投稿によって注目が集まり、大変うれしく思います。

アリソン・ベッドフォード博士は、最近、サザンクイーンズランド大学で博士号を取得し、親であり、妻であり、歴史と英語の中学校教師であり、歴史教育者の講師でもある多忙を極める女性です。彼女の専門は、メアリー・シェリー、フランケンシュタイン、フーコーのディスコース概念、サイエンスフィクション、歴史のカリキュラム、教育学、と多岐に渡ります。彼女をLinkedInTwitterで@bedforda1を探してみてください。

(以下、アリソンの文章です。)

Twitterやその他のSNSで#phdchatの投稿を読むのは、博士課程を始めたばかりの学生たちにとって、恐怖と面白さが半々です。(参考サイト:@legogradstudent、@GameofAcademics)インターネットというものは、こわいもので、見れば見るほど、酷い指導者、論文提出期限地獄、論文執筆の泥沼ばかりが目に入ります。博士号を問題なくスムーズに取得するなんて、ユニコーンと同じくらい非現実的なものに思えます。

しかし、インガー先生(@thesiswhisperer)のHow to Be an Academicという本の後半にあるように、最終的に博士号を取得したり、研究者になっている人が存在するのですから、全てが悪というわけではないはずです。少し前向きな話をご紹介します。人生はいいことばかりではないですが(そんなことはありえないですから)、数々の悲惨な話(オーストラリア含め世界の学術界での不平等や欠陥を晒す意味では重要な話ですが)に対峙する話として役立つことを願います。

2013年、私とパートナーは子供を迎えようと決めたのですが、同じタイミングで英文学の博士号を取得するチャンスを得たのです。私が博士課程の勉強を始めたのは、妻が息子のナイジェル・ウェイド(Nigel-Wade)*を出産する予定日まであと3か月という時でした。赤ちゃんなんて1日中寝てるのだから、それほど大変じゃないだろうと甘く見ていました。同僚や上司は「気が狂っているよ」と言いながらも全面的にサポートしてくれました。今思えば、信頼できるパートナー、フルタイムの仕事(これについては後で詳しく説明します)、協力的な同僚がいてくれたこと、この3つが私にとって強い追い風となりました。このような個人的なサポートの輪がユニコーンを現実のものにしたのだと思います。

もう一つの大きな恩恵は、指導教員の方々です。私の論文に対して、先生方は真っ向から対立した意見を述べたりすることなく、層を重ねるように違った角度からのアドバイスをしてくれました。ある指導員は私の学問がより豊かになるように、もっと深く考え、もっと幅広く本を読むよう指導し、また別の指導員は、実践的に私の文章にテコ入れをし、学術的な執筆力を磨いてくれました。こんなに指導者に恵まれたケースは稀かもしれませんが、優れた指導者に師事することは博士号を早く取得するために必須と言っても過言ではありません。

フルタイムで仕事もしていたと言いました(現在も続けています)。仕事と勉強は両立できないようなイメージがありますが、私の場合、奇跡的にうまくいきました。教師として働く私は年に12週間の休暇があります(教師がラクし過ぎと思う人は、MP Andrew Lamingを参照してください)。パートナーも仕事に戻るために、息子ナイジェルは素晴らしい保育園に預けることにしました。保育園のおかげで、私は学校の休暇中にはフルタイムで論文に取り組むことができました(私は教師歴15年のベテランだったので家に仕事を持ち帰ることはありませんでした)。そんな訳で、各学期のはじめの10週は指導員とのやりとりはなく、各休暇の終わりに5000語の論文を提出するようなスケジュールをこなしていました。ここで重要なのは、仕事と勉強のバランスを見つけることではなく、いかにそれぞれに与えられている時間を生産的なものにするかということだと思うのです。それ以外のことにも時間を割けるよう、仕事も勉強も一切手を抜きません。

ということで、私がユニコーン的な奇跡をなし遂げたのは、周りの人のサポート、良い指導者、そして上手な時間の管理のおかげです。これらが整わない方は、インガー先生のブログを片っ端から読んでください。とはいえ、奇跡を起こす一番の鍵は、「書く」ことなのです。知り合いのPhD学生は、とにかく読んで、読んで、読んでばかりいて、結局膨大な情報に圧倒され、論文をまとめ上げられませんでした。どれだけ書くことが苦手でも、書きながら思考し、組み立てて行くことがユニコーンを呼ぶ鍵なのです。私自身のやり方は、リサーチと読書をまとめて行うことでした (例:メアリー・シェリーに対する第2波フェミニストの反応、文脈的伝記の方法論など)。この作業のかたまりを数日~1週間程度で終え、2週間かけることはほぼありません。そして最終日にすべてのリサーチメモを文章化するのです。その多くがのちに卒論の一部となり、また学会の投稿論文へと発展していきました。文献レビューのために書いた最初の2000語は、全然使えない文章でしたが、もっと本を読み、改良した段落を足していき、最終的に12,000語以上からなる論文の一章に育てました。

ということで、私は子育てをしながらパートタイムで社会人学生をし、フルタイム勤務していました(博士課程最終年度は、勉強に専念できるよう仕事を8割程度にしました)。そして、5年2か月で博士論文を提出しました。正式な提出期限の10か月前でした。人生何が起こるかわからない中、ここに至るまで、たくさんのポジティブな要素に恵まれ、深刻な病気や災害に見舞われなかったことは大変ラッキーでした。その間、バラ色の人生だったかと聞かれると、もちろん、そうでもないです。休暇をもっと家で息子と過ごしたかったと思ってますし、今それが叶う生活に喜びを感じています。どんな親でも自分の都合で子供を保育園に預けることの罪悪感は避けられません。その間、ネガティブな経験もしました。初めて参加した学会で、先輩の研究者からダメ出しされた時は自分の仕事の妥当性に疑問を抱きました。本の契約が決まった時も、心が折れるような査読によって立ち消えになったことがありました。

博士号を取得することは簡単なことではありません。でも、学生によって状況はさまざまで、私生活も健康も損なうことなく、時間内に研究を終えるという、あり得ないと思われていることを実現できる「ユニコーン」も実際に存在するのです。#phdchatコミュニティのたくさんの素晴らしいアドバイスに従い、日常的に「書く」ことを身に付けておけば、研究の世界に迷い込んでも、無傷で生き延びるユニコーンになれるかもしれません。

* Nigel-Wadeとは、お腹の中にいた時の呼び名で、息子の名前にはNigelもWade も付けませんでした。これを読んでいるNigel-Wadeさんがおられたら、申し訳ございません。

(アリソンからの文章は以上)

アリソン、ありがとう。このような結果につながったあなたの地道な努力を心から称賛します。

そして、パートタイム学生の皆さん、予定よりも近くにゴールが見えていますか?やるべきことが多くある中で研究の時間をどのように捻出していますか?あなたのパートタイムの裏技をぜひシェアしてください!

 

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2019/09/04/on-finishing-early/

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