博士課程(PhD)の失敗は成功の原動力

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、失敗について。PhD時代、何度失敗してもバッターボックスに立ち続けた筆者。失敗が成功の源となった博士課程のストーリーを紹介します。


失敗。博士課程を経ることで失敗にもうまく対処できるようになる——と思いたいものです。私は平凡な学生でしたが、建築学科に入学するまで自分がどれほど平凡であるかに気づきませんでした。控えめに言って、才能なしでした。周りからも率直にそう言われましたし、よく泣きました。ときには大きな教室の大勢の前で。…一種の暴露療法とも言えるでしょうか。5年ほどかかりましたが、私はアカデミズムでの失敗に対処する術を学びました。多少の精神的な傷は負いましたが、おかげで上手くあしらえるようになりました。

でも、私とは違って、博士課程に入学するまでずっと輝かしい人生を送ってきた学生の場合はどうでしょうか。そういう学生によく出くわしますが、壁にぶち当たるのが遅ければ遅いほど、ダメージが大きいように思います。私の息子は11年生(高校2年生)で壁にぶつかり、兆候に気づいてすぐにセラピストのところに連れて行きました。最初は行きたがりませんでしたが、今では感謝され、「超音速」とまでは行かないけど、「巡航速度」ぐらいで壁にぶつかったな、と冗談で言っています。息子の言うとおり、超音速スピードで壁にぶつかりたくはない……でももしそうなったらどうしたらよいでしょう?

この記事では、ジャスティンが超音速で壁にぶつかったときの話をしてくれます。今回の投稿内容について警告ですが、内容には自傷行為の描写が含まれています。この先はご自身の判断で読み進めてください。おすすめのページにメンタルヘルスに関する資料も紹介していますのでご覧ください。

ジャスティン・フェフェール(Justin Pfefferle)は「第二次世界大戦中のイギリスにおけるシュルレアリズムとドキュメンタリー」というテーマで博士論文の公聴会審査を合格し、2015年にマギル大学で博士号を取得しました。現在ドーソン大学英語学科の教授でビショップ大学の英語の非常勤教授でもあります。彼は、大西洋におけるモダニズム文学、批評理論、文化研究、そして映画学など、さまざまな分野、領域をまたいで教鞭をとり研究しています。いまは“Adaptogenic Narrative in the Long Midcentury: 1938-1962”という仮タイトルで本を執筆中です。4つのソフトボールチームに所属する、失敗も多い張り切り屋です。

以下、ジャスティンの文章です。

論文を書くのと同様に、野球にも失敗が付き物です。

私の幼い頃から憧れのプレーヤーだったケン・グリフィー・ジュニア(Ken Griffey Jr.)は、決して失敗しないように見えました。彼が打席に入れば、絶対何か特別なことが起こる気がしました。彼は優雅で力強いストロークで、MLB歴代6番目の本塁打数の630本ものホームランを打ちました。カモシカのようなスピードを活かし、通常はシングルヒットで終わるような打球をツーベース、スリーベースヒットにし、守備でもセンターフィールドにあがる捕れないはずのフライボールへ向かっていきました。2,781安打、184盗塁、1,836打点、打率.284という輝かしい記録を築き上げ、野球殿堂入りを果たしました。ケン・グリフィー・ジュニアは、私が目にしたどの選手よりも完璧に近かったのです。

しかし、ちょっと待ってください。打率.284ということは、約72%の確率で失敗したことを意味しているのでは?そうです。メジャーリーグのユニフォームを着た最高の主砲の一人であるケン・グリフィー・ジュニアも、完璧とはほど遠い存在でした。7,154打席でヒットを打てず、1,779回三振し、199回ダブルプレーに倒れ、89回エラーをしました。ケン・グリフィー・ジュニアは成功の数以上に失敗したわけです。数字は嘘をつきません。

帽子を逆さに被った球界の神様、グリフィー・ジュニアでさえも失敗の苦しみから逃れられませんでした。1988年、自身もメジャーリーガーだった彼の父親との口論のあと、アスピリン277錠を飲みました。のちにシアトル・タイムズ紙の記者ボブ・フィニガンに「野球でみんなに怒鳴られているような気がしていたんだ。落ち込んだし腹が立った。生きていたくなかった」と語っています。もし、この試みが未遂に終わらなかったら、野球ファンが20年以上もの間来る日も来る日も彼の失敗と成功を見守る喜びはなかったでしょう。彼の背番号24を誇らしく身に着けていた我々が三振やヒットやホームランやエラーに一喜一憂することもありませんでした。彼が失敗を受け入れることを学んでいなければ、彼が最終的に築きあげた野球の大きな功績はありませんでしたし、彼の友人や愛する人たちが感じたであろう、そして今日に至っても感じ続けたであろう想像を絶する悲しみについては言うまでもありません。

私は速い球を打ち返せる人間でした。学部時代の課題は、まるでクッキーのようでした。「クッキー」とは、打席のど真ん中にくる観客席に打ち込んでくれと言わんばかりの球を表現する言葉です。私は貪欲に本を読み、成功するに十分な文章を書きました。自分の考えを整理し、多少なりにもオリジナリティのある、ときに冴えたアイディアを文章に明確にまとめることができたので、A評価をもらうことがほとんどでした。大学院に進学したいと伝えると教授たちは熱心に推薦状を書いてくれ、それら推薦状と成績のおかげで、修士課程に入学することができました。

失敗は早々に、そして頻繁にやってきました。学部の授業では目立つ立場だったのが、修士課程の同級生は私と同じようにボールを堂々と打てていました。私はチェンジアップや変化球への対応に苦労し、自信を持って振れていたような場面でもスイングの軸がブレるようになっていきました。短い課題に代わって出された長文の小論の課題は、バッターの頭上から外角低めのギリギリに投げ込むバリー・ジトのカーブ球のように打席の私を凍りつかせたのです。スリーストライク、アウトです。最初の学期は惨憺たるもので、評価の1つはAマイナスでしたが、2つはIncomplete Fails(訳者注:未完のため基準を満たしていないという評価)、締め切りに間に合わせることができなかった結果です。ケン・グリフィー・ジュニアと同じように失敗の重荷が重くのしかかりました。ある夜、私は錠剤を1瓶とワイン1本を飲み、欠落の日々が終わることを期待して、意識不明に陥りました。

大好きだった野球選手と同じように、幸いにも私は生きて、またプレーすることができました。ゲームを立て直し、博士過程に進学するのになんとか認められる成績を収めました。そこでまた、一から自分自身の力を証明する必要がありました。1年間のコースワークと1年間の研究プロジェクトの読み書きを経たのち、ABD(Ph.D.completed All But Dissertation:博士号取得に必要な研究論文以外完了)という段階になりました。

学位論文というのは全く別物の新しいゲームです。課題では学生が考えを書くためのパラメータが設定されていますが、博士論文では自分自身が設定を構築し、自分自身が塁に置いたランナーで得点しなければなりません。年間を通じ教室で出される問題に答える学期末レポートとはちがい、博士論文では専門性を身に着けた研究分野内で、自分自身で提起した問いに答えながら書いていく機会を作ることになるのです。ベンチから出てくるピンチヒッターもいません。終盤の守備の交代もありません。左投手を打てないからと言って右打者との交代もありません。博士論文を書く本人だけが毎日出場する選手なのです。そして間違いなく、誰もが失敗します。何度も何度も。

私が学位論文を書き始めたとき、ダブルAからトリプルAに昇格する選手が苦労するのと同じように苦労しました。私はいつも4打数ノーヒットで、一日の終わりには何も進んでいない画面を見つめていました。1塁に出塁するようにアイディアを出しては、続くアイディアで行き詰まり、スコアシートからそれを消しました——ダブルプレー、両方のランナーがアウトになるわけです。三振、ゴロ、飛び出し、ときにはホームランだと思う深いフライを打ちましたが、フェンス手前で外野手のグローブに収まるのを見るだけでした。スランプから抜け出せるよう願ってベンチに入ることもありました。混迷の中で過ごした1年ののち、私の手元にはほとんど何も残らず、下手な文章で書かれた考えがまとまっていない1つの章のみで、野球だったらマイナーリーグに降格するような代物です。

私は基本に立ち返って、スランプを脱け出しました。メジャーリーグのバッターは何時間も費やしてスイング練習をしたり、子供のころと同じように球乗せ台の上に置かれたボールを打ったり、クッキーを打ち上げたり、コーチとトスバッティングしたり、フェンス越えするバッティングの練習をします。私はパソコンを片付け、研究ノートの束をつかみ、小さな課題を自分に与えました。これは打てるとわかっているもの。5段落でジョン・グリアソンのドキュメンタリー論について概説する。10文でハンフリー・ジェニングスとシュルレアリズムの関係について説明する。45分でエリザベス・ボウエンのものに対する考えについて述べる。こういった練習で書いたものは練習にはなっても、論文のドラフトにはなりませんでした。しかし、書くことで書く力が増します。打つことで打てるようになるように。どちらも繰り返すことが功を奏します。論文執筆の初期で自ら課した課題は、プロがTボールを打つのと同じくらい簡単にこなせるようになりました。書くことは、打つことと同じで、複雑でありながら、意外とシンプルです。座って、書く。ボールを見て、打つ。

良いバッティングとは、必ずしもホームランになることではありません。ヒットを打つことでもありません。学位論文を書くことは、1塁から2塁へ、あるいは2塁から3塁へとランナーを進める犠牲フライや送りバントの有用性を浮き彫りにするのです。今日書いた500字や1000字をアウトと捉えるかもしれませんが、その価値は打率の数字を超えるものなのです。自分の考えを見つけたり、アイディアを進めたり、うまくいっていないことを明らかにしたりするのに役立ちます。ホームランで4打数4安打の毎日のために、ヒットが出ずミスを重ねてしまうような長い時間を過ごすでしょう。自分のやり方に集中して、長い目で見れば数字はならされるのだと信じてください。それが野球です。それが執筆です。

野球の魅力は、なんといってもその試合数の多さです。年間162試合ということは、平均的なプレーヤーは1シーズンで約650回打席に立つことになります。もしケン・グリフィー・ジュニアのようなキャリアが築けるほどラッキーであれば、ヒットやホームランを飛ばすチャンスは何千回とあるはずです。しかし、実際にはヒットよりもアウトのほうが多いでしょう。失敗し、失敗し、また失敗する。執筆は、緊迫しているサッカーのようなスポーツとはあまり共通点がありません。一方、野球は長い目で見ること、忍耐強く取り組むこと、今日ヒットが出なくても明日も球場に行くという姿勢が肝心です。覚えておいてください。地球上で最高の選手でも70%の確率で失敗します。しかし、ときには失敗が成功に変わるのです。重要なのは、論文執筆をする人は打席に立ち続けるということです。振り続ければ、ヒットは生まれます。

ジャスティン、ありがとう。これからもバットを振り続けてください。この記事があなたにも響きましたか?ぜひご感想をお聞かせください。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2019/12/11/keep-on-stepping-up-to-the-plate/

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