博士課程は万華鏡?

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、研究の焦点が変移する様子を万華鏡になぞらえた記事を紹介します。博士課程の中で研究の焦点が移ろうことに、どう対処すればいいのでしょうか。

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今回ご紹介する記事は、ニュージーランドのマッセー大学の防衛・安全保障研究センターでパートタイム学生として博士課程に在籍するミリアム・ウォートン(Miriam Wharton)によるものです。彼女は、ニュージーランド特殊作戦部隊内部における関係アプローチについての学位論文を執筆中で、フルタイムでの仕事もしています。この投稿は、博士課程に入った途端、慎重に練った計画が現実との接触により、確信が急速に崩れていく様子を物語っていると思います!では、ミリアムの記事をどうぞ。

「博士号取得の方法」に関する優れた本は、どれも最初から最後まで一直線に進みます。一見、その過程にあるすべての問題が網羅されているように見えますが、結局のところ、そういった書籍が果たすのは、明確な終着点に読者の視野を集中させる望遠鏡のような役割です。研究課題をしっかりと解決し、ガウンを着ておかしな帽子をかぶり、証書を振りかざすという終着点を見据える望遠鏡です。

私は、博士号取得の良い方法とは、予めきちんと計画を立てておくことだと確信していました。研究計画書をしっかりと固め、研究テーマの核心を簡潔に突く、鋭いリサーチクエスチョンを練り上げ、学問的、方法論的、概念的、理論的、そして内容的な側面のチェックボックスにチェックを入れていきながら最後までやり遂げるのです。

これが私の思い描いていた博士号取得への道のりでした。

私は自分の指導教員になる予定の人と4カ月かけ、プロジェクトを登録するという最初の関門を通過するためにアイデアやリサーチクエスチョンを練り上げ、完成までのロードマップを明確でわかりやすいものにしようと考えました。パートタイム学生として博士課程に在籍して4年が経とうとしている自分が、これまでに学んだことは何であるか。この問いに対する私の見方は、新たな目標点に到達するたびに変化していきます。

まるで、万華鏡のように。

私の研究分野はカラフルで、魅力的なディテールに満ちており、それを興味と実用性を満たす捉え方でまとめていきたいと願っています。両手で持った万華鏡の接眼レンズを覗き込むと、すべてが美しく見える。複雑だけれど、パターン化され、構造化された光景です。そして満足のため息をつきながら、自分の研究のパラメータと方向性をいかに上手く構築できたか悦に入ります。そして、どれだけ上手くデータを集め、分析を行なったかを。しかし、自己満足に浸っているその瞬間、自分の体が少しでも揺れると、万華鏡の中身は崩れ、転がり…そして変化してしまうのです。

それまで見ていたのと同じ要素が作り出すイメージを見ているにもかかわらず、突然、各要素の配置や、パターン、色合いが変わるのです。そして、おそらく突然に、それまで気にも留めなかった、あるいは気づきさえしなかった要素の断片が目に入り、それが本来よりもはるかに重要なものに思えてくるのです。

このように、研究と博士課程のプロセス、そして研究内容の、内側からの脱構築と再構築は、研究というものの素晴らしさであり、予測の付かない挑戦でもあります。私は、定まったプロセスに従うのが好きです。博士号取得に関わる、エンドレスな事務作業でさえも楽しめます。どんなに小さな節目であっても、その節目に印をつけると、ちょっとした満足感に包まれます。また、データを組み合わせてパターンが浮かび上がってくるのを見るのも楽しいと感じます。浮かび上がった色彩の閃きや複雑さを見るのは非常に面白いですが、自分の脳がそれをまとめ、生命を吹き込んだとなればより一層面白く感じられます。

しかし、一歩一歩のステップにおいて、焦点に若干の変化がもたらされるということに、私は気づきました。たいていの場合、視点やアプローチを洗練するという程度の変化ですが、時には見えているイメージが、がらりと変わることもあります。恐ろしさすら感じることがあります。万華鏡の中の他のパターンから逸脱した半端なガラスの破片を追いかけているような、まったく生産性のないことを自分がしているような気がして怖くなるのです。そして私は自問します。研究計画書を書いたときに自分のテーマを理解できていなかったとしたら、自分は自分が思っていたほど洗練された研究者ではないのかも、と。学士か修士レベルに戻って学び直すべきかもしれない、と。

これまでのところ、私の研究の中で起こった変移は、(些末なものと顕著なものを合わせて)6つほどあります。正直なところ、これらの変移によって、試験官たちに提出しうる静止した万華鏡のイメージに、自分が近づいていっているのか、それとも遠ざかっているのか、まだ少し確信が持てないことがあります。私の指導官たちなら、私が先走りすぎていると助言してくれるでしょう。しかし、変移が起こるたび、私は少し幸せな気分になり、何か良いものを掴んでいるのだと、少しだけ確信が持てるようになりました。色とりどりのガラスの破片が、カタカタと音を立てて定められた位置に収まるたびに、私は目と脳を喜ばせる美しいイメージに近づいていくのです。

研究のパラメータが自分の周りで変化しそうな時、私にとって役立つのは以下に挙げる戦略です。これらは、同様の状況下におかれる読者の皆さんにも役立つことでしょう。

  • 包括的なリサーチクエスチョンが集中力を維持する力を過小評価しない。プロジェクト開始当初に時間を費やし、リサーチクエスチョンについてじっくり考えていた場合は特にそうです。リサーチクエスチョンを再確認し、それにより思考を安定させ整えましょう。とはいえ、研究プロジェクトは、予期せぬ重要な変化を許容できるよう、柔軟であるべきです。ですから…、
  • 指導官や、信頼できる経験豊富な先輩に、自分が経験している変移・変化について話す。最初は漠然としていて形になっていなくても、口頭で研究テーマの新しい切り口について話し合うことで、明確になっていくことがよくあります。私自身は、ホワイトボードを使い、新たなアイデアや変化するアイデアを視覚的にブレインストーミングするのも大好きです。どちらの方法でも重要なのは、質問や新しいアプローチの提案を投げかけてくれる、もう一人の人間がいる状況でしょう。つまり、1対1のチュートリアル方式で、自分のアイデアの良い所と悪い所を精査してもらうのです。うさぎの穴に入り込み、それがどこにつながっているかを探るのですが、行きつくところが生産的でない場合は、行き過ぎる前に引き戻されるようなやり方で探るのです。
  • 自分の直感とこれまでの学問的経験を信じる。大学院レベル、特に博士課程レベルでは、(内容やプロセスに関する)知識を何年もかけて蓄積してきたはずで、意識しているかどうかに関わらず、その経験値が研究者としての能力を形成し、磨いてきたはずです。私は、「聞き流し学習」という学習定着方法が完全に正しいとは思ってはいません。しかし、たとえこれまでの経験が雑で行き当たりばったりだったとしても(大学院まで進んだのであれば、その可能性は低いですが)、様々なアイデアや方法、テクニックは自分の中で定着しているはずです。自分を信じましょう。
  • 研究プロジェクトの範囲について現実的であり続ける。一定レベル以上の専門知識こそが、大学院での研究、そして試験官の期待するところの核心ではありますが、自分の研究テーマに少しでも関連する領域すべての専門家になろうとしてはいけません。理由のひとつは、時間がないことです!そして、10万という単語数(もしくは上限の単語数)は、論文の適切な要素を簡潔であっても、包括的にカバーしようとすれば、あっという間に残り少なくなってしまいます。万華鏡の変移によって自分で管理することのできる限度を超えて研究範囲が広がり始めたら、警告のサインです。指導教官に相談し、当初の研究パラメータを再検討し、過度に広範なアプローチをやめましょう。

研究プロジェクトの進行中に焦点がズレたとしても、恐れることはありません。たいがいの場合、それをプロセスの中の良い経験、役立つ経験として扱っていくことで最終的により良い論文の作成に結びつけられるのです。もしかしたら他の研究者がやってきてもう一度万華鏡を回し、さらなる変移を引き起こすかもしれません。そしてそれにより、自分が作り上げたイメージの中に、別の視点から新しいものが見えるかもしれません。それこそが、研究というものの素晴らしさです。それはまた、論文執筆の只中にいる研究者にとって、絶え間なく降りかかる挑戦でありチャンスでもあるのです。

研究の過程で、焦点が変わり、そのことで不安になったり、興奮したりしたことはありますか?より良い論文を仕上げるために、そのような変移を管理するために使った戦略にはどのようなものがありますか?

ミリアム、ありがとう!

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