大掃除、そして次のステージへ

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回のテーマは、心と物の整理についてです。


あなたの机の上は、今、大変なことになっていませんか?リンダ・デヴリュー博士なら共感してくれるはずです。この記事では、博士号取得後にオフィスを掃除したときのエピソードと、片付け作業の予想外の難しさを紹介しています。

リンダ・デヴリュー(Linda Devereux)は、ライティングコンサルタント兼独立系研究者です。長年にわたり高等教育機関で働き、教員教育プログラムの研究や指導、学術的な言語・学習ユニットの運営に携わってきました。学部生や大学院生のライティングや研究のサポートをすることにやりがいを感じています。リンダの博士論文は、クリエイティブなノンフィクションのテキストと釈義で、異なる文化で幼少期を過ごした記憶について考察したものです。現在は、地方や遠隔地から来たオーストラリアの学生の大学への移行について研究しており、クリエイティブな自伝執筆のプロジェクトを多数計画中です。リンダへの連絡はLinkedinからどうぞ。

以下、リンダの文章です。

博士課程を修了してから、ようやく自宅のオフィスの荷物をすべて片付けることができましたが、この最終段階に至るまで1年半もかかってしまいました。修了後1年半、机は使える状態になく、月日が経つにつれてどんどん散らかっていきました。

最終稿の印刷が完了した後、私の人生をかけた労作である紫色のかわいい博論も、その荷物の山に埋もれていきました。まわりの方々は博論に対し、ご意見や現在進行中の執筆プロジェクトについての素敵で寛大で有益なコメント付きの感想を送ってくれました。その手紙やカードも、その山に積んでいきました。長い間、一生懸命、生産的に働いてきた故の山です。

いったい何がいけなかったのでしょう?

私は研究と執筆を心から楽しんでいました。もちろん、つらい時期もありました。書き手なら誰でも経験することですが、絶望的な気分になったり、書いたものよりも削除したものの方が多かったり、私自身と家族が博士号とそれにまつわるものすべてを嫌った日もありました。しかし、総合的に見ると、数年にわたり自分の研究に没頭する機会を得られ、とても満足しています。ゆっくり時間をかけて、パートタイムで博士号を取得することは、私にとって良いことでした。

私は博士課程の期間中、ほぼフルタイムで大学の研究者として厳しい環境で働き(近年の高等教育機関での仕事はどれも厳しい環境です)、自分の学位論文とはまったく異なる分野で研究と出版を続けました。そのため、それまでとは全く異なるスタイルで、しかも自分にとって新しい学際的な分野で論文を執筆しました。しかし、博論は、自分の仕事で扱う分野の研究を掘り下げるのではなく、自分にとって意味のある、個人的に情熱を傾けられるテーマで書くことに決め、クリエイティブなノンフィクションの文章と釈義を執筆しました。

でも、書斎の混乱はそのような決断が原因で起こったのではありません。書類や本の箱に道をふさがれ、部屋を横切って自分の机に向かうことさえできない状態にまで悪化させた原因は、また別にあったのです。生産的な博士課程の学生であり、学者であった私が、なぜ、掃き溜めとなった魔窟のような書斎を持つようになったのか。

一番の問題は、深い悲しみでした。

悲しみと喪失は論文自体の重要なテーマであり、博士課程の終盤の数年間、私の人生に刻まれたものでもありました。私は博士論文の中で、記憶について、また、人はいかに物に頼ることができるか、つまり、無形の損失を象徴するような、意味のある有形遺物に依存することができるかについて書きました。ある意味、私の机と論文に関連した品々は、私にとって重要な記憶の対象物となりました。その品々は、私の中で簡単に拭い去ることのできない、未処理の損失を表しているのです。

執筆の終盤の数ヶ月間、そして校了直後、私は人生で最も激しい喪失感を経験しました。3人の近親者が亡くなり、さらに2人の家族が死にかけたのです。厳密には、後者2人のうちの1人も亡くなったのですが、25分間の心肺蘇生と救急隊員が持ってきた除細動パドルの電気ショックで蘇生しまいました。さらに、この3年の間に夫が退職し、私も思いがけず、論文を完成させて間もなく退職しました。

博士課程は修了しましたが、それに加えて起こった他の出来事のために、燃え尽きて、殻に閉じこもってしまったのです。ここで説明しきれないほど多くのものを失いましたが、校了の数ヶ月前に兄を失ったことは、特につらい経験でした。私は自分の子供時代について書いていたので、必然的に兄は論文の一部となりました。兄は、私が書いた家族生活の重要な時期を覚えている唯一の兄弟だったのです。兄の亡き今となっては、私と同じ経験をした人は誰もいないし、詳細を思い出すのを手伝ってくれる人も、特定の出来事の重要性を理解してくれる人もいなくなってしまいました。

私の好きな理論家の一人であるヴァミック・ヴォルカン(Vamik Volkan)は、喪失と悲しみ、そして人間が物に意味を見出す様子について書いています。ヴォルカンは、こうした物を「リンキング・オブジェクト」と呼んでいます。それは、もうふれる事のできない何かと悲しむ人をつなぐ(リンクさせる)ものだからです。リンキング・オブジェクトには重要な意義があり、悲しみと非常に深いところでつながっています。

私の研究自体がリンキング・オブジェクトとなりました。私は論文を書き終えました。しかし、途中で失ったものへの悲しみは、そこで終わることなく、未解決の感情は研究室のゴミのように積み重なり、どこから手をつけていいのかわからなくなりました。片付けなければいけない、溜まった本や書類を整理しなければいけない、ということは分かっていました。でも、なかなかできる気がしませんでした。すべてを片付けてしまうと、兄との最後のつながりがなくなってしまうような気がしたのです。

また、当時の私は本当に忙しかったので、片付けるための時間と場所が必要でした。仕事をやめることで時間ができ、これから家にたくさんのお客さんが来ることが予想されたので、物理的な空間を片付ける必要ができました。整理をすすめるうちに、他の変化にも気づきました。メモを読み返し、ゴミを捨て、ファイリングすることで、秩序が生まれました。私は、自分の生活の一部分に別れを告げ、研究と私を結びつけていた物質的なものを手放しました。

論文の書類をファイリングし、棚を片付け、トレーラー一杯の本をLifeline(訳者注:オーストラリアのいのちの電話相談を提供する非営利団体で、古本を寄付すると運営費に充てられる)に運びました。この作業によって、これまでのことをふり返り、いかに大変だったかを認識し、それでも論文を完成させた自分の健闘を称えることができました。

片付けによって、整然として美しい空間を手に入れました。私の大きな机は、使い古された椅子やボロボロの暗い色の書類棚と一緒に処分しました。古い家具に代わり、亡き義父の手作りのテーブルと、新しい鮮やかなピンクの椅子、スリムに整理され、スムーズに開く白い書類棚を置きました。書斎が整理されたことで、気持ちも軽く、明るくなりました。新しい執筆プロジェクトも始めました。

リンダ、ありがとう!一年の締めくくりの投稿にふさわしい話題だと思います。皆さんは休暇前にデスクの片付けが必要ですか?大掃除のご予定はありますか?

原文はこちら

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