素直に成功を喜べない?燃え尽き症候群になるその前に

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。自身の成功を素直に喜べなくなってしまう「インポスター症候群」は燃え尽き症候群の前兆かも。今回はミューバーン准教授が研究者だからこそ感じて当然なプレッシャーとどう付き合っていくべきかをアドバイスします。


失敗は嫌なものです。

そして私の場合、失敗を避けようとするあまり働きすぎてしまいます。同じ立場の誰よりも自分にハードワークを課してしまうのは、仕事が好きだからというよりも、失敗が怖いからということが大きいのでしょう。不安によって私は良き職員となっているのですが、同時にその不安は私を燃え尽き症候群の予備軍にしてしまっています。

他人事ではない。

そんな風に感じられる方も少なくないはずです。そんな人は特に、地球規模のパンデミック下において、失敗を避けようとする態度が何をもたらすかを真剣に考えた方がよいでしょう。

以前は自分のことを完璧主義者と呼ぶのに抵抗がありました。私は、ひどく雑なところもあり、細かいことが苦手で、「許容範囲」で、仕事を仕上げることもあります。私の家は片付いていますが、これはパートナーの衛生基準が私よりずっと高いおかげです。しかし、心理テストを行うたびに出るのは、顕著な完璧主義者という結果です。

実際、ひどくだらしない完璧主義者というのも存在するのです。分かりづらいので、私は自分のことを失敗回避の完璧主義者だと考えることにしています。

自分の失敗回避の完璧主義的傾向は、整理整頓が出来ることとは関係のないことが分かってきました。私が望んでいるのは、いえ、私が必要としているのは、自分の仕事の価値を認められることです。それに失敗したと思うだけで、理屈抜きの羞恥心と恐怖心に襲われてしまうのです。こうした感情を極力抱かないように「完璧」になるまで仕上げようとするのですが、問題はどこまでやっても「完璧」と思えることがないのです。

この完璧主義の一種は「適応障害」ではありませんが、健全なものとも言えません。私は締め切りに遅れたからといって自分を罰するようなことはありませんが、誰かが良いと言ってくれるまでは、自分がだめな人間であることが「バレてしまわないか」心配なのです。他人に認められるとつかの間の安堵感が得られるのですが、次の仕事が始まると完璧主義思考に陥ってしまうのです。

一方で、何かを達成しても喜びはそれほど感じられません。もちろん、私も一定程度は成功がもたらす称賛をどこかで求めていて、だからこそ大変な仕事をしているのでしょう。ただ、実際に褒められると、非常に居心地が悪いのです。スピーチ前の紹介で著名人呼ばわりされたり自分の成果を並べ立てられたりすると、たじろいでしまいます。誰か他の人のことのように思え、その人が成し遂げた偉業に対する称賛を代わりに受け止めなければならないように感じるのです。

学術界は、私みたいな失敗回避の完璧主義者的傾向を培養し拡張させるシャーレのような場所なのではないかと考えています。私と同じ種類の人間が無数にいるからです。

私が開催しているライティングのワークショップや集中講座の生徒にも、こうした傾向の学生や研究者がいます。彼らの多くは「完璧」に仕上げるための「法則」を躍起になって求めています。(私には、それに対するアドバイスはほとんどできません。)そして多くの場合疲れ果て、燃え尽きています。このような理想の高い生徒たちの作業を褒め、目標に近づきつつあると伝えると、彼らはすぐに、自分たちはまだまだだと返してきます。彼らは勤勉すぎるほど勤勉で、途中で引き下がるということができません。やりすぎだなどと指摘すれば狼狽さえするのです。そして自分の成果に満足することはなく、プロジェクトをやり遂げる前に、より困難なプロジェクトに取り組み始めたりもします。

この行動様式は「インポスター症候群(ペテン師症候群)」と呼ばれるものです。博士課程の学生への教育活動で著名なHugh Kearnsには、これについての多くのすぐれた著作があります。彼の著作はすばらしいと思いますが「インポスター症候群(ペテン師症候群)」という呼び名に、私自身は抵抗感を抱きます。私の知る限り、ひとつの精神状態として実証されているわけではないため、このように名付けることは適切ではないと思うのです。私のブログ仲間のPat Thomsonが指摘するとおり、大学という優秀な人材に囲まれた上下関係や競争の激しい場所では当たり前の反応を「症候群」と呼ぶことで病気扱いしてしまっているのです。

理解を深めるために、完璧主義に関する研究を取り上げましょう。心理学者のHewitt と Flettによると、完璧主義には自己志向型、他者志向型、そして社会規定型の3つのタイプあります。全ての完璧主義者は、それぞれのタイプの特徴を多少併せ持っています。ここでは、彼らが作成した包括的な45の完璧主義的傾向のチェック項目の中の、社会規定型完璧主義者の項目を見てみましょう。

  • 自分は周りから成功を期待されている
  • 最高の成果でなければ、お粗末だと思われてしまう
  • 上手くやればやるほど、さらに期待されるようになる
  • ひとつのプロジェクトに成功すれば、次のプロジェクトでは、もっと頑張らなければ周囲の期待に応えられない

どうでしょう。当てはまる項目があったのではないでしょうか。

社会規定型は肉体的な苦痛に置き換えて考えれば理解しやすくなります。私は肉体的苦痛への耐性が高いと医師に言われたことがありますが、これは、体からの危険信号に耳を傾けていないということです。例えば、くじいた足で東京の街を15キロ渡り歩き回り、挙げ句の果てにひと月の間松葉杖のお世話になるようなこともしてしまうのです。これと似たような形で、社会規定型の完璧主義は、質についての判断を歪めてしまいます。他人の評価を気にするあまり、自分の成功へのハードルを著しく上げてしまうのです。そうしたことを続けるうちに「失敗」の定義についての感覚が狂い、他の人々にとっては「全く問題無いこと」が、自分にとっての「失敗」になってしまうのです。

私のようなタイプの場合、必要以上の達成で得た称賛は、より大きな称賛を欲する引き金となります。そして、より大きな称賛を得られても、そこで止めたり、休んだりする気にはなりません。称賛と認知を欲しながらも、それが得られた際に、それを受け入れられない人は、結局のところ自分のことがそれほど好きではないのでしょう。

なかなか胸に刺さる話です。学術界をシャーレに例えたのは、私たちの業界では非常に質の高い達成が職業的な成功と不可分であるからです。研究者として生きるには、完璧を追求しなければならないのです。中身のない成果や、不完全な(あるいは退屈な)成果を発信すれば、平凡な研究者ではなく、レベルの低い研究者と見なされるのです。実際、学術界では平均的な研究者は、敗者のレッテルを貼られてしまいます。反対に、成功を重ねれば周囲に持ち上げられ、さらに大きな期待をかけられます。マイノリティの場合、成功へのプレッシャーはより顕著なるでしょう。女性や有色人種が、より厳しい評価を受け、失敗が許されないということを示すエビデンスは枚挙に暇がありません。このように、研究を生業とする私たちの多くにとって、失敗回避の思考は病的なものではなく合理的で不可欠な行動なのです。

完璧主義は、本の読み過ぎによる視力の低下と同様、学者の労災と言えるのではないでしょうか。

学術界で生きていけば、上述のような姿勢を多少なりとも身につけるようになります。それができない場合には研究職を続けるのは難しいでしょう。これが問題の本質です。駆け出しの頃は完璧主義でなかったとしても、研究を続けて行くにつれてある程度の完璧主義を身につけなければなりません。高いレベルを目指すという気質は、間違いなくキャリアにとってプラスとなりますが、体にとっては毒なのです。私が抗不安薬を使用するようになったのは、この職業柄の完璧主義に負うところもあるでしょう。

完璧主義という魔物には普段から注意をしていなければなりませんが、このコロナ禍の状況ではなおさらです。

現在の世界で起きていることは全く制御不可能です。この状況下では少なくとも生活の一定の部分においては、自分の基準通りの営みを行うことは不可能です。フィールドワークの現場や研究室から遠く離れたところに足止めをされている研究者もいます。就職活動や資金繰り、人間関係等で大変な状況にあり、研究に集中することがままならない人もいるでしょう。文字通り、家に閉じ込められている人もいます。世界中のポストドクターや博士課程の学生は、仕事と将来への希望を失いつつあります。私の暮らすオーストラリアでも、高等教育の現場は大混乱です。質についての判断が歪められているという考えを自分に言い聞かせずには、この実存的な不安には対処できない状況です。

自分の達成を肯定できず自分が、ペテン師(インポスター)であると感じてしまうような感情は、「症候群」、つまり病気ではないと考えるべきです。なぜなら、治癒することは不可能で、折り合いをつけていくしか方法がないからです。私が提案したいのは、自分たちの思考パターンを認識し、それを便宜上「インポスター症候群」としておきながら、別の名前を付けるということです。

私自身は自分のインポスター症候群をBerylと名付けました。

口やかましかった大叔母の名前です。彼女は、ティーカップを片手にソファーの端に座りながらよくこう言ったものです。「だめよインガー。本当にそんなことするの?他の人がどう思うかしら?」

Berylのおかげで、私の集中力は途切れません。批判的な距離を保った上で、彼女に耳を傾けるのは役に立つのです。時に彼女は問題についてのアドバイスもくれ、そうした場合には、助言に従い対処します。それ以外の場合には、単なる口やかましいおばあさんとして適当にあしらいます。間違っても、Berylに支配されてはいけません。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/10/07/beryl/

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