アカデミックなゴシップは学術界を生き抜く処世術?<前編>

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。ミューバーン教授が、学術界におけるゴシップについて考察した記事を、2回に分けてお届けします。前編は、ゴシップの社会的・集団的意義や学術界におけるゴシップについてです。


大学コミュニティーが絶対的に、完全に、悲劇的にゴシップ中毒であるということは、ほとんど知られていない真実です。

先週、ANUの新しい副学長が発表されたとき、私はこの真実を思い知らされました。多くの称賛と尊敬を集めるブライアン・シュミット氏に別れを告げ、多くの称賛と尊敬を集めるジュヌヴィエーヴ・ベル氏を迎えるのです。私が話をした誰もが、このリーダーシップの交代を喜んでいるようでした。「私が話をした誰もが」と書きましたが、その話題で持ち切りだった先週、私が話をしたのは、学内のほぼ全員だったように思います。

ゴシップがこれほど熱くなったのは……前回副学長が後退したとき以来です。

重要なリーダーシップの交代は、ゴシップの恰好のネタです。通常時は背景音のようなゴシップが突然爆発し、激しく動き始めるのです。私の電話やTeamsのメッセージ・チャンネルは、一大ニュースについて話したがる人々で溢れかえりました。皆が皆の考えを知りたがっていました。おそらく、自分がどう考えるべきかを知るためでしょう。

ゴシップが大好きな私にとっては、とても楽しい一週間でした。

ほとんどの人と同じように、私はゴシップを聞くのは好きなのですが、私自身が噂話をすることは認めたくありません。ゴシップを聞くことのスリルのひとつは、それが規範から逸脱した行動のように思えるからです。私は博士課程で2週間、噂に関する本を読みあさり(よくある楽しい横道に逸れて深みにはまる時期)、それによって私の見方は変わりました。社会による噂の使われ方について学んで以来、私はゴシップが大学内でどう機能しているかに夢中になっています。

というわけで、この副学長の異動を口実に、アカデミックなゴシップについての記事を書きたいと思います。ずっと書きたいと思っていた話題ですが、ゴシップというのは少し下品な感じがするため、躊躇していたのです。ゴシップが好きで自分もゴシップに加担していることを大声で認めるのって、エレベーターでオナラをするようなものです。長く気まずい沈黙をもたらします。

ゴシップは常に悪だという考え方は、偶然の産物ではありません。西洋文化において、女性とゴシップが結び付けられてきたからです。中世のイギリスでは、ゴシップ(Gossip)とは出産の際に助産婦を手伝う人のことを指していました。そのゴシップ役の人は、新生児の誕生を村に伝える役割を担っていて、出産がどのように行われたかも話していたようです……そのため、他人のあれこれについて話すという意味の語源となり、定着したのです。ゴシップの否定は、文化的背景に根差した女性に対する深い不信を物語っています。特に女性が男性の目に触れないところでしていることへの不信感を現しているのです(これについての素晴らしい議論は、サム・ジョージ=アレンSam George-Allenによる『Witches: what women do together』を参照)。

人々はしばしばゴシップを軽蔑し、ゴシップがない方が世界は良くなると主張します。しかし、それは間違っています。

キャサリン・ワディントン(Kathryn Waddington)がその学術的かつエンターテインメント性もある著書『Gossip and Organisations(ゴシップと組織)』で指摘するように、ゴシップとは社会的ネットワーク構築の一形態であり、その目的は「楽しみを与えて社会的情報を提供しながら、集団の構成員、集団の力構造、あるいは集団の規範を確立し、組み換え、維持すること」(同書8ページ)です。私たちは皆、複雑な社会、特に学術界のような階層的社会で生きてくために、ゴシップに含まれる社会的情報に依存しています。

権力を持つ人物についてのゴシップは、力の弱い人々が事前に問題を予測し、時には予防策を講じるのに役立ちます(「あの人を怒らせないようにしよう」)。ゴシップはまた、誰が役に立ちそうで、誰が役に立たなさそうなのか、そしてどのような状況下なのかを知るのにも役立ちます(「彼は、授業に出席していることを証明できる学生であれば、誰に対してでも課題の提出期限を延長してくれる」)。重要なのは、ゴシップがその人の感情的な傾向について重要な情報を与えてくれること、つまり、その人がどのような気分になりうるか、そして誰がその影響を感じやすいかということです(「確かに彼はいい人に見えるが、無能な人には短気だ。一度、彼が副学部長を叱りつけるのを見た際は、見ていてちょっと楽しかった」)。

ゴシップは良い意味でも悪い意味でも破壊的です。情報は力であり、ゴシップは権威ある地位の人たちに対し、地位を持たない人々の力を集めて強く抗う一つの方法です。それは、相手の評判を落とし、人々がその人物に協力する意欲を失わせることで、その人物の力を弱める巧妙なやり方です。

私は、自分に関するゴシップが、他者やグループからの評判を落とすということを、身をもって体験してきました。自分自身に関するゴシップを耳にすると、特に自分の性格や行動がどのように言われているかを思い知らされます。私について聞いたゴシップで、まったくピンとこないものもありますが、「敵の質によって、人は判断される」とよく言われることの真実味もあります。ゴシップを広めている人が周囲からあまり評価されていない場合、それが他の人たちから好かれ、信頼されている人からのものである場合よりも、ダメージははるかに少ないのです。

ゴシップは、有用で信頼できるネットワークを構築する方法のひとつですが、同時にネットワークを解体する力も持っています。ゴシップが学校や大学のような場所で盛んになるのは、権力や優位性の争いが非常に多面的で激しいからです。リソースへのアクセスと適切な同盟関係があるかによって生き残れるかが決まる学術界の弱肉強食の世界で、ゴシップが蔓延するのは驚くにはあたりません。ゴシップに加わることが重要なのは、公式ルートでは決して流れない重要なことを知ることができるからです。

人々はゴシップを利用することで、直接対峙せずに力を持つ相手を抑制します。ある人物がどのような反応を示すか、どのような行動をとるかを知ることは、「マネージアップ(下の立場にいる人間による、上の立場の人間の管理)」、上下関係のない人々の行動を管理の上で役立ちます。ひどい人間が権力のあるポジションに採用された場合、私の周囲の女性たちは事前に知っていることが多いのですが、それは私たちの多くが機密情報の共有に長けているからです。オーストラリアの高等教育に関する最新データによると、女性が高い地位に就く確率は男性よりもまだ低くなっています。男性がゴシップの社会的有用性についてあまり学ばない状況は、問題が起きた際には非常に不利に働くかもしれません。しかし、よくある誤解は、男性は女性よりもゴシップをしないというものです。男性が噂話をするときは、たいてい「報告」や「キャッチアップ」など、別の名前で呼ばれるだけなのです

つまり、ゴシップは誰にとっても有益です。しかし、ゴシップ好きとして認知されると、ゴシップが「漏れる」ことを心配して、自分に秘密を打ち明けるのをやめる人が出てくるため、好ましくありません。ゴシップの暗黙のルールは、共有されたければ共有しなければならないということです。もしあなたが噂話に加わらなかったり、「公明正大なやり方」でしか加わらなかったりすれば、重要な情報共有から締め出されることになるでしょう。アカデミズムのようなヒエラルキーの世界で権力を持つ人々について知っておくことには、間違いなくメリットがあります。特に、そうした人々の手を逃れるという意味において(具体的な例では、Me Too運動の一環で共有された、やっかいな男たちのエクセルシートなど)。

学術界がゴシップ好きなのは、研究職が非常に社交的な職業であるためでもあります。誰が善良な同僚で、誰がアイデアを盗む吸血寄生虫なのかを知ることは極めて重要で、ゴシップがそれを知る唯一の方法であることも多いのです。これはゴシップのポジティブな効果ですが、ネガティブな効果もたくさんあります。そして誰もが、恩恵を受けられるわけではないのです。


今回はここまで。後編は自閉症スペクトラム障害をはじめとした非定型発達の人にとってのゴシップや様々なタイプの語りとゴシップについて考察します。「アカデミックなゴシップは学術界を生き抜く処世術?〈後編〉」もおたのしみに!

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