アカデミックなゴシップは学術界を生き抜く処世術?<後編>

オーストラリア国立大学(のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。ミューバーン教授が、学術界でのゴシップについて考察した記事を2回に分けてお届け。ゴシップの社会的・集団的意義や学術界におけるゴシップについて解説した前編に続き、後編では、非定型発達の人々にとってのゴシップや様々なタイプの語りとゴシップについて考察します。


自閉症の人は、ゴシップを聞くのもゴシップに加わるのも苦手だと言われます。そうした見解に道徳的に反対する人もいれば、そんな見解は誤解を招く、あるいは時間の無駄だと思う人もいます。ニューロダイバーシティ(脳機能の多様な特性、いわゆる「発達障害」といわれる特性)とゴシップに関する具体的な研究は見当たりません(redditのスレッドには興味深いグループディスカッションがありますが)。これは研究の余地のある文献ギャップと言えそうですが、職場における自閉症についての議論では、(自閉スペクトラム症の人の)ゴシップへの関心の欠如がしばしば言及されます。

ゴシップを通じて密かに行われる権力闘争は無意味でエネルギーの無駄に思える、という話を自閉スペクトラム症の人たちから耳にします。彼らは間違ってはいませんし、一方で、定型脳タイプの人たちのゴシップ体質も変わるいことはないと思います。少なくともロビン・ダンバー(Robin Dunbar)は『Grooming, Gossip and the Evolution of Language(グルーミング、ゴシップ、言語の進化)』の中でそのように論じています。多様な神経特性を持つ人々は、ゴシップの負の効果に対処する方法を見つけ続けなければならないでしょう。(自閉症者の視点から見た定型発達脳のゴシップ行動については、「Re-presenting Autism: The Construction of ‘NT Syndrome’」 〈Charlotte Brownlow, 2010〉という論文で詳しく議論されています。ご興味のある方はどうぞ)。

ゴシップは、コミュニティにおける他者との絆を深める過程において極めて重要であるため、アカデミック・スキルとして不可欠です。しかし、指導教官があなたを座らせて、学術界のゴシップのイロハを説明してくれることはまずないでしょう。でも、ご心配なく。「研究室の荒波」おばさんがお教えします!アカデミック・ゴシップを理解するための第一歩は、ゴシップと遭遇したときに、それと気づくことです。悲しいことに、ゴシップをその場でゴシップと認識することは簡単とは限りません。

ワディントンは、ゴシップとは、ゴシップでないものを定義することによって、より簡単に定義できると指摘しています。彼女は、ゴシップが発生しがちな語りの種類として、噂話、他愛ないおしゃべり、ストーリーを物語ること、を挙げています。私はこのリストにもうひとつ、「愚痴」を加えたいと思います。これらの語りの種類のそれぞれが社会的にどう機能するかを理解すれば、ゴシップに有益かつ上手く加わることができるようになるでしょう。

噂とは、不確実な状況下での情報交換です。ANUの新しい副学長に誰がなるかという噂は確かにたくさんありました(誰が任命されるかについての私の予想が正しかったので、もし賭けていれば大儲けできたことでしょう)。おしゃべりは、他人の行動とは直接関係のない話題についてであり、ゴシップの基準にも合致しません。

ストーリーを物語ることは、ゴシップと密接に関係しているので、少し考えてみる価値があります。会話における、「物語ること/ストーリーテリング」には多くの目的があります。目的が単に楽しませることの場合もあります。興味深い論文「Confronting indifference towards truth: dealing with workplace bullshit(真実に対する無関心との対峙:職場のbullshit(でたらめ)への対処)」の中で、著者のマッカーシーら(McCarthy et al)は、自分自身についての軽い嘘や、盛った話を「職人的bullshit」の一形態として挙げています。謙遜を装った学術的な自慢も、職人的bullshitです。話の目的は、自分がいかに研究熱心であるか/賢いか/有名であるかを示すことですが、直接そうとは言いません(謙遜を装った学術的な自慢に関する面白い論文もあります)。

他人の英雄的な話をすることは、評判を、そしてひいては権力を確立し強化することになるため、ストーリを語ると同時にゴシップであるとも考えられます。私たちは皆、新入生に共有される研究室の寓話を通じ、その学部で「伝説的」な存在となっている教授たちについて知っています。物語は文化を築き上げますが、社会的結びつきにおいても重要です。物語が絆を深める機能は、私の書いた論文「Troubling talk: assembling the PhD candidate」の文脈ではっきりと見ることができます。簡単に説明すると、トラブル・トークにおいては、通常、物語ることによって、同じような経験を共有し、それによって愚痴を言う人との連帯感や共感を示します。つまりストーリーが非常に重要で、ストーリーを上手く物語るというのは、磨く価値のあるスキルなのです。

ゴシップはストーリーよりもつかみどころがないものです。ゴシップは、あらゆる種類の語りの間に挟まれる可能性があり、注意していなければゴシップとして聞こえてきません。自分がゴシップを聞いていると分かるのは、その話が他人の行動や考え方に関するもので、判断や「教訓」の要素を含んでいる場合です。ほとんどのゴシップは目撃者から始まりますが、目撃者自身が話していない場合、それはゴシップである可能性が高いです。相手があなたを信頼してゴシップ話をしてくる場合、それは友好の証であったり、友達になりたいというサインであったりします。

有害なゴシップ好きとは、他人を貶めるためにいつも執拗にゴシップを広める人のことです。幸いなことに、このような人たちを見抜くのは簡単ですし、比較的少数だと思います。よくあるアドバイスは、毒のあるゴシップ好きからは距離を置くというものですが、同じ空間を共有している場合など、それが難しいことは少なくありません。毒のあるゴシップ好きを黙らせる上での、私のお気に入りの方法は、意図的に会話モードを変えることです。(謙遜を装った自慢話を盛り込んだものであってもなくても)何かのストーリーを物語る、もしくは、例えばキャンパスで駐車場を見つけるのが難しいといった、お互いに関係し、かつ個人的でない話題を始めることによって、会話を「友好的なおしゃべり」に戻すのです。このやり方をすれば負け知らずです。

ゴシップの受け取り方、そして受け取られ方は、学術の世界、そして他のほとんどの組織においても極めて重要です。ゴシップが力を持つ理由のひとつは、それが信頼を築き上げることにあります。ゴシップを常にシャットアウトすれば、友好的であることや情報を共有すること、グループの一員であることを自分が望んでいないというシグナルとして、他者から見られる可能性があります。もしあなたがホットなゴシップを聞かされたとしたら(「こんな話はしたことないけど…○○って知ってた?」などと言った具合の)、あなたは他の点でも信頼されているはずです。多くの自閉症スペクトラムの人たちが私に教えてくれた、定型発達脳のゴシップ好きに対処するための戦略は、話を聞くが共有はしない、というものです。ゴシップの良い「終着点」になること、つまり、ゴシップの聴き手にはなるが、それ以上広めないと信頼される人になることは、非常な強みです。

ゴシップ好きであることを認めることはもちろん、それについて話すことも難しいです。しかし、ゴシップが無ければ、世界はまったく異なる、おそらくあまり良くない場所になるでしょう。人々は協力することを望まなくなり、力のある個人が暴走するようになるでしょう。権威主義政権が最初に取り締まろうとするのが、会話(多くの場合、女性同士の)であるのは偶然ではありません。ですから、私たちは、自分たちの集団的な学術ゴシップ中毒を称えるべきなのかもしれません。非常に慎重に。

インガー

 

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