研究室内でマイノリティでも孤独は克服できる

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、大学や研究室の中でマイノリティでいることは決して悪いことや困難なことばかりではなく、むしろ、将来を生き抜くスキルになることもあるというお話をご紹介します。


少し前に、私の研究プロジェクトのためにインタビューした採用担当者たちに見られた「アンチ博士号の態度」について記事を書きました。職場に博士号取得者が少ないために、卒業生が他のマイノリティに属する人と同じように、偏見の目にさらされていることについてふれました。投稿後、「マイノリティ」という言葉の使用に反対する人もいましたが、適切な言葉のご提案もありませんでした。(私もまだ思いつきません。皆さん、良い別の表現があれば、ぜひご提案ください!)とある読者から、ご自身のマイノリティだった経験について前向きな意見が寄せられたので、彼女に体験をシェアして欲しいと依頼しました。

この投稿は、ニューカッスル大学の博士課程学生であるミッシェル・シェー(Michele Seah)のものです。彼女は最近、中世後期の女王の、15世紀イギリスの3人の王妃に焦点を当てた論文を提出しました。彼女の論文では、女王たちに経済的・物質的な富をもたらした資源、特に領地について詳しく掘り下げています。また、その資源が王家やネットワークの維持にどのように費やされたかについても調べました。彼女は自分を外向的だとは思っていないようですが、ネットワークの構築と対人スキルを身に付けるために努力していると言います。ミッシェルのTwitterアカウントは@mlcseahですので見てみてください。

以下、記事末尾まで彼女の投稿です。

私は博士課程在学中に、2つのマイノリティに属していました。一つ目は、アジア人女性であること。もう一つは中世学者であることです。断然、中世学者であることの方が大変でした!

私は、大学院の研究室に机を割り当ててもらった数少ない女性大学院生の一人でした。ほとんど自宅で仕事をしていましたが、キャンパス内にも自分のスペースが欲しかったのです。よく顔を合わせる研究室の同僚は全員男性でした。女性はたまにしか研究室には顔を出しませんでした。キャンパスに行けば、周りにいるのは男性ばかりでしたが、それは大した問題ではなく、差別的な扱いを受けたことは一度もありません。男女比のバランスが悪いことから研究室は「Men’s Shed(男性達の小屋)」と多少軽蔑的な呼び名で呼ばれていたのは事実ですが。研究室の人たちは、私のことを博士課程の学生の一人として分け隔てなく接してくれましたし、少なくとも表向きは、私がアジア人で女性であることを気にしていないようでした。私は、自分がのけ者にされたと感じたことは一度もありませんでしたし、「男性小屋」で培ったコミュニティのおかげで大学院時代を楽しく過ごせました。

私にとって、マイノリティとしてもっとも大変だったと感じた経験は、研究テーマによるものでした。私の記憶では、当時、歴史学科で中世史を研究していた博士学生は私一人で、中世を専門とする指導者がいなかったことも、研究をより困難にしました。その分野で研究をするに至った経緯は、長くなるのでやめておきます。特に、私の指導教官たちは前近代の研究者で、私の研究分野は専門外の人だったことが大きなハードルとなりました。指導教官がその分野に精通していない場合、研究テーマに関するアイデアを出し合い、文脈上の問題について議論することが非常に難しいのです。しかし、教授らは専門外の謎のテーマもかかわらず、私のテーマを調査し、問題について議論できるように多大な時間と労力を費やしてくださり、私の博士号取得に付き合ってくれました。

この経験により、すべての指導教官が担う任務の重大さを改めて認識し、先生方に本当に感謝しています。しかし、特に最初のうちは、孤独を感じていました。私の研究に関連する歴史学専攻の学生には、ほとんど出会わなかったからです。

私の大学には、研究に熱中できるような陽気な中世研究の雰囲気はありませんでした。廊下やカフェで一緒に中世史を語る人なんて一人もいませんでした。しかも、私の研究分野の第一人者はほとんどオーストラリアにはおらず、主要な学会は海外で開催されているという事実が気持ちをさらに暗くさせました。まわりの歴史専攻の学生たちは、一緒に勉強するグループを作ったり、オーストラリア国内の学会に参加したり、オーストラリアを拠点とする研究者たちと交流したりしていましたが、それが叶わない私は、別の方法を考えなければなりませんでした。

そこで、はじめにとった行動は、大学内で私の研究テーマの前後1世紀以内のテーマに取り組んでいる英語学科の研究者に連絡を取ってみることでした。しかし、この数少ない人たちも、テーマや地域的に私のテーマからはあまり近いテーマで研究している訳でなく、採用している研究方法も異なり、有意義な意見交換や議論はできませんでした。しかし、同じ志を持つ人たちと一緒に中世後期の世界に浸れたのは嬉しい経験でした。

次に、比較的早い段階で、研究分野の世界中の学者たちと繋がることを始めました。Academia.eduとツイッターでアカウントを作り、世界中の人と繋がり、オーストラリアから飛び出すことができました。ツイッター上で「お友達」になると、連鎖的に他の学者や研究者とのつながりが増え、今まで感じていた孤独感をそれほど感じないようになりました。

最後に、こちらも初期の段階から、自分の研究分野に関連する学会に参加し始めました。地元の大学院セミナーや学会での発表は、その後海外の学会で論文発表をするための良い練習の場となりました。私は、オーストラリア/ニュージーランド中世・近世協会に登録し、2年に1度開催される1週間にわたる学会で発表し、大学院生向けのトレーニングセミナーにも参加しました。そこから勇気を出して、海外の主要な学会に要旨を提出し、発表までこぎつけたのです。セミナーや学会で出会った人たちとの交流は、かけがえのないものとなりました。これらの出会いは、単に運が良かったのだと思っていましたが、ふり返ってみると、外に目を向けてネットワークを作る努力と世界中の人とつながりたいという意欲があったから培われたのだと思います。

とにかく、学内でマイナーな分野は絶望的に思われがちですが、私自身は選んだ道を後悔していません。マイナス面よりもプラスの方が多かったと思いますし、自身の問題解決能力が一段と鍛えられたように感じます。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2019/10/23/being-in-a-minority-its-not-all-bad/

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