豪州森林火災で感じた「自分のしていることは意味がある」と信じることの大切さ

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、2019年から2020年にかけてオーストラリアで猛威を振るった森林火災のさなかにあって教授が考えた、行動を起こすことの大切さについてお伝えします。


みなさん、ごきげんよう。夏休み、あるいは世界のどこかでは冬休み中でしょうか。今年は、私の住むオーストラリアが、悪いことばかりで世界のメディアを賑わせているため、早めにブログに戻ってきました。

サウス・コーストの恐ろしい映像をご覧になった方もいるでしょう。現地で休暇を過ごしていた古い友人が送ってくれたこの写真は私が目にした何百枚もの写真の1枚ですが、彼女の夫が撮影したものだと思うと、余計に恐ろしさが増します。(訳者注:原文は2020年1月に公開されたブログです。)

友人は、オーストラリア史上最多の陸上避難者の一人となる前夜、ビーチで過ごしていました。何日も連絡が取れず、彼女の身に恐ろしいことが降りかかったのではないかと心配でした。この夏、多くの人が同じような不安を経験したことでしょう。私のチームメイトで友人のビクトリア・ファース・スミスは著名なアーティストの父親のことが心配で眠れない夜を過ごしたといいます。避難勧告をされても、一生分の創作や思い出が詰まった家から離れようとしなかったという気持ちは理解できます。しかし、実際に避難することになった頃には、安全な場所への移動が困難となり、ビクトリアは心配でたまらなかったといいます。大切な人が危険にさらされている時の無力感は本当にひどいものです。ソーシャルメディアに目を通したり、テレビを見たりしながら、励ましのメールを送ることしか、私にはできませんでした。

そう、テレビです。普段の休暇のように読書や執筆には集中できないため、私はテレビをたくさん見ました。友人のケイティが言うところの「ゆっくりと動き続ける大災害」の中で生活するのはシュールな体験でした。世界の終わりのようでありながら、Netflixや宅配ピザなどの享楽にふけることもできたのです。まあ、いつもの楽しみがすべてそのままではありません。郵便の寸断もまだ数週間は続くかもしれませんし、キャンベラでは避難者受け入れのためペットボトルの水のような生活必需品も不足しています。博物館、ギャラリー、プール、商店など、普段は暑さをしのぎ、気晴らしになるような施設も閉鎖されています。煙に飲み込まれた建物の検知器が作動し続け、普段の生活や睡眠を困難にしています。

私が住んでいるオーストラリア首都特別地域(ACT)は、火災の起きている地域から数百キロメートルは離れています。この原稿を書いている時点では域内で火災は発生していませんが、たった今3キロ離れた地点で火災が発生しているという噂も耳にしました。南部に住む友人宅は、先ほど停電したそうです。次に何が起こるか予想もつきません。混迷の中、オーストラリア国民がこの事態について分かったことがあるとすれば、何一つ状況が「普通」じゃない、ということです。私は、南にある国立公園の被害が絶対に拡大すると予測しています。16年間火災の起きていないこの地域は、私たちの水源を囲んでいます。電力はすでに影響を受けています。皆さんがこれを読むころには、さきほど話した享楽のいくつかは、すでに失われているかもしれません。

キャンベラ市内では火災はまだ発生していませんが、ここ1ヶ月間は、ひどい大気汚染の影響を受けています。輝く宝石のような首都から、地球上で最も汚染された首都になってしまったのです。景色もひどいものです。これは昨年5月、国会議事堂前の芝生で行われた気候変動への抗議デモに参加した私の家族です(手前が私と夫、奥が看板を持った息子)。見てください、この美しい青空を。

大好きなあの空を、もう1ヶ月も見ていません。

(私はこのブログで政治的なコメントをしないようにしていますが、長く読んでくださっている方なら、おそらく私の立場はおわかりでしょう。お願いですから、コメント欄で緑の党についての荒らしはしないでください。見つけ次第すぐに削除します。一部の人が主張するようにこの混乱を緑の党のせいにするのは全く馬鹿げています)。

数週間前、国会議事堂の前の芝生はこんな感じでした。

空気質指数が200を超える環境での生活は悲惨なもので、かなり恐ろしい未来が垣間見えます(そして、ニューデリーなどに住む人たちの日々の苦労が分かります)。煙を避けるために、私は多くの時間を室内で過ごし、クリスマスらしいことも普段通りに行いました。料理をし、食べ、飲み、来客をもてなし、気候変動に対する首相の恥ずべき無策についてSNSで非難しました。先月は、首相に手紙を書いたのですが、ハワイにいる彼はさぞ忙しくて読む暇がなかったでしょう。

2003年に壊滅的な森林火災のあったキャンベラは、その経験から教訓を得て、オーストラリアの他の地域と比較すると、この地域の災害管理は非常に優れています。気候変動への対策と準備の必要性についての認識を共有する緑の党と労働党がオーストラリア首都特別地域(ACT)自治政府の政権を連立で担っていることが大きいでしょう。例えば、12月初旬に消防団のボランティアがスーパーマーケットで広報活動を行ったのもその取り組みの一つでした。私たちは、ボランティアの一人と長い時間話して説明を受け、防災計画の資料をもらいました。もらった資料は私が急にオロオロし始めた元日まで台所のベンチに放置してありましたが。電気がないのは不便だけど、断水なんてどう対処すればいいのだろう、と。急いでホームセンターに行くと、他のキャンベラ市民たちは、私たちよりずっと先にポリタンクを入手していました(幸い、私たちも、最悪の事態になっても数日間は持ちこたえられるだけの量を手に入れることができました)。

私はキャンベラの美しい地域、つまり、森林に隣接したエリアに住んでいます。これは、「urban fire zone(都市火災地域)」にあたるのですが、正直なところ、これまであまり気にしたことがありませんでした。しかし、火事が起きたことのない場所が煙に包まれる報道を見て、私は自分の危機感の薄さに気づいたのです。そこでようやく「持ち出し袋」を用意するなどの対策を始めました。

緊急でない時点で、避難準備を要請する理由がよくわかりました。持ち出せる荷物が限られる中で、いざというときの服装をどうするか、どんな「もの」が不可欠かを判断するのには時間がかかります。実際にパッキングに要した小一時間は、森林火災が起きてから始めたら、命にかかわります。私は、自分が持っていきたい「物」が少ないことに驚きました。5歳の時に母が作ってくれた本袋と、子供が作った工作の2つでした。今月は何度も涙しましたが、息子が幼い頃から大事に持ち続けているぬいぐるみを恥ずかしそうに荷物につめたときは本気で泣きました。

私は自分のことを、恵まれない人たちを気遣う、意識の高い都会の左翼だと思いたいです(「ラテをすする社会主義者」と書かれたマグカップも持っています)。様々な慈善事業や災害支援のために事あるごとに寄付を行ってきました。今回の災害が始まったとき、私は寄付をいつもより増やして、2019年にAmazonで販売された本の印税をすべて地方消防サービス(RFS)に寄付しました。そして、消防士に必要な物品を回収センターに届けました。しかし、問題解決にお金をつぎ込んだり、ソーシャルメディアで泣き言を言ったりすることだけが解決策ではありません。実際に行動を起こしている人もいるのです。

空気質指数800以上は非常に危険で、汚染度はメキシコシティのような高汚染都市の4倍です。喘息持ちの人にとって、この空気にさらされることは死をも意味するでしょう。そして基礎疾患のある人にも後遺症を残すでしょう。困難な事態にあって、弱い立場の人々はこれまで以上に不利な立場に置かれているのです。ANUの学生グループは、煙にさらされたまま路上で生活する人々にマスクを届けることを決めました。キャンベラではP2(N95と同等)のマスクが非常に不足しており、お金があっても入手するのが困難な状況です。ANUの賢く情熱的で共感力のある若い女性たちは、この問題を解決するために友人ネットワークを活用しました。そして、私がこれまで見た中で最も効果的な草の根運動を実現しました。

オーストラリア各地からキャンパスに戻ってきたANUの学生たちは、自費で多めにマスクを買って帰り、足りない人々に無料で配布しました。活動に加わった親もいて、首都に戻る自分の子らにマスクの入った袋を持たせて寄付しました。身近な弱い立場の人を助けるために始まった小さなローカルネットワークの活動は瞬く間に規模を拡大しました。最初の段階で700枚ものマスクが集まり、彼らは友人たちに購入費を返金するための資金調達ページを立ち上げました。活動を行っていたのは所得の少ない学部生だったからです。今回のケースは、所得の低い人々が危機に際して、より共感的で寛大であることを裏付ける一例です。

彼らはANUの学部生や卒業生で、博士課程の学生ではなかったため個人的な知り合いではありませんでした。非常に優秀なジェマ・キャリー准教授(A/Prof. Gemma Carey)は、自宅の一室に空気清浄機を置いて閉じこもり、生まれてくる子どもを守りながら私を彼らのネットワークにつないでくれました。私は地元での評判やブログを通して、現実的なサポートができる人だと思ってもらっているようです。今回は自分でもびっくりするくらい、本当に行動を起こしました。レベッカ・ヴァサロッティが緑の党のネットワークを活用し、「ナイトパトロール(Night Patrol)」のようなホームレスの人々や家庭内暴力の危機管理センターなど直接援助を行う団体に配布するサポートをしました。党のメンバーも来て、枚数を数えたり梱包したりするのを手伝ってくれたため、24時間で250枚のマスクを配ることができました。こちらは「ナイトパトロール」のレベッカとブライスの写真です。

今日は日曜日ですが、休まずこの活動を続けています。今朝、私は、州外から到着したマスクの受け取り、郊外に配布する中継役を任じられました。この記事は、配達と受け取りの記録の合間に、煙がひどくなるのを見ながら書いています。今、空気質指数は450で、まだ午後の3時半なのにキーボードは暗くてほとんど見えません。

私は仕事でも、緑の党のための活動でも多くのことを組織しています。今回、私のやり方が綿密な「トップダウン」スタイルで、それが緊急時には機能しないことに気づかされました。これほど多くの人々がこれほど多くのマスクを必要とするとは誰も予想していなかったので、私たちはその都度解決策を考えなければなりません。オーストラリア首都特別地域(ACT)政府は、政府の備蓄品にアクセスし、商店に物資があることを確認し、施設に在庫を置くなど、良い仕事をしています。これである程度の問題は解決しますが、すべての問題、特に必要な人々への配布¥・が解決しているわけではありません。まさに今、この問題に取り組んでいる人々がいるのです。

ANUの学生の活動に貢献したい方は、寄付のページがまだ開いています。必要額以上が集まった場合には他の火災救済のためのチャリティーに使われます。

思いがけずANUの学生たちから「機敏な組織」について集中講義を受けた形です。一見、非構造的で無秩序ですが、なぜかうまくいってます。友人たちからは、私が口癖のようにいつも「これについて、誰かが論文を書くべきね」と言うとからかわれますが、いつか誰かがこのことについて論文を書いてくれることを期待しています。何か前向きなことをするのは気持ちのいいもので、同様の、純粋に人々を助ける草の根的な問題解決の話には心を動かされます。

Facebookで、友人とこの状況についてふり返ってました。災害映画で私が演じる役柄は何だろう?という話しです。今、リハーサルをする間もなく、役を演じていているように感じたからです。

これは将来また演じることになる役柄で、もっと頻繁に演じることになるのか。それとも、これは緩やかな衰退の始まりとして記憶されることになる一度限りの災害なのか?あるいは、私たちが切実に必要としている政治の変化という、より良いものにつながる警鐘なのか?

正直なところ、わかりません。

私はこの20年、友人の科学者たちによる恐ろしい予言が現実になったらどうしようかと悶々としてきましたが、ANUの若い学生たちが、私に何をすべきか教えてくれ、私のX世代的な無関心なやり方を根底から変えてくれたのです。再びこのような事態が起こったとき、私は何らかの形で外に出て、手を差し伸べるつもりです。この夏に学んだことを活かして、次はもっとうまくやるつもりです。いつか大災害で死んでしまう、という恐れが、朝4時に目覚めて天井を見つめてしまう原因のひとつなのですが、もしそんな大災害が起きたとすれば、私は避難所かどこかでスープを配るなどしていることでしょう。自分の役のリハーサルはできました。準備万端です。

昨日、キャンベラは史上最高気温を記録し、シドニー郊外は地球上で最も暑い気温となりました。オーストラリアの夏は昔から暑く、正直なところ、私はそんなに夏が好きじゃないです。しかし、今年の夏は鬱陶しい暑さから、突如として、恐ろしい暑さになりました。ヘミングウェイが破産について語った有名な言葉を心の中で繰り返しています。「2段階でやってくる。徐々に、そして突然に」。こんなにひどくなるまでにあと10年ぐらいはかかると思っていたのに、私たちは、こうして気候の崩壊を迎えてしまいました。本当にひどい話です。

自分に本当に腹が立つのは、これほどの規模で主に白人の裕福な人々が被害者となった初めての災害が起こって、ようやく目が覚めたということです。私は政治的な活動に参加してきましたが、抱いてしかるべき危機感を持ち合わせていませんでした。「まだ最悪の状況になるまで10年はある」と内心思っていました。でたらめな白人至上主義を絵にかいたような考えです。子どもの頃にこうした考え方を植え付けられた私は、常にそれと格闘しなければなりません。現在ジャカルタでは洪水で約3万人が国内避難民になっており、フィリピンなどの熱帯地域では、ここ数年、壊滅的な台風が発生しています。オーストラリアからも程近い太平洋の島々では、10年前から海面上昇によって農地を失いつつあります。気候変動の影響を受けている他の国々は、オーストラリアに石炭を売るのをやめるよう求めていますが、私たちは相変わらず石炭の販売を止めようとはしません。そしてオーストラリアは聞く耳を持たないだけでなく、最低な国に成り下がってしまっています。政治家たちが南太平洋の状況をジョークにしていた会話をマイクが拾ったのです。本当に恥ずかしい。耐えがたいレベルです。私たちは、他国の人々に私たちを傷つけないでくれと懇願することになるでしょう。しかし、相手側だって聞く耳は持ちません。

いい加減な「リーダーシップ」でまかり通る権力者を見れば、絶望的な気持ちになってしまいます。政治指導者たちは、むしろ、私たちが絶望することを望んでいるのだとさえ思っています。無力感を抱く人が何もできないということこそ、一部の権力者が望むところなのです。 希望を持ち続け、他の人々にも希望を持つように促すことは、今や政治的行為です。私たちは、どんなに小さいことでも、ポジティブな行動ひとつひとつが大事だと信じなければなりません。やるべきことをやっていきましょう。

このブログの読者さんの多くは博士課程に在籍していることでしょう。平時でさえ、PhDは無意味だというような言われ方がされますが、差し迫った災害のさなかにあって、博士課程についていつも以上に存在価値を見出せずにいる方も多いのではないでしょうか。気候科学の最先端にいる人(あなた方は私のヒーローです)でさえ、「何の意味があるのだろう」と考えられているかもしれません。偉い人達が聞く耳を持とうとしていないことが明らかで、むしろ自分たちのことを否定してくる場合はなおさらです。

私が今、伝えたいのは、あなたのしていることは大事なことだ、ということです。

このことを信じて、信じ続けなければなりません。信じられなくなれば、やる気もなくなり、注意散漫になります。そして、最高の研究ができなくなります。でも、皆さんは自分のベストを尽くして研究をしなければなりません。研究は前進するための手段なのです。私は、この2020年、そして働くことができる限り、皆さんの研究のお手伝いします。

インガーより

キャンベラ、2020年1月5日

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/01/05/you-have-to-believe-that-what-you-do-matters/

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