アカデミックライティングが悪文になってしまう理由(そしてそれを修正する方法)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授がお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回はアカデミックライティングが悪文になってしまう理由と修正方法や、PhD過程とそのキャリア形成に役立つ文章力を生かすべき場面を提案するお話です。


研究職に進まなくてもPhD課程を有意義に過ごすにはという投稿はちょっとした物議を醸したようで、24時間でのサイト来訪者数も過去最多でした。

そして、残りのPhD期間をどう過ごすべきかという質問が数多く寄せられました。これについては、いろいろ思うところがありますが、最も悩ましい話しから始めましょう。それは、多くの学生が卒業時には入学時よりも文章力が劣化してしまうということです。これは私たち教員が、特殊な‘学術的’スタイルでのライティングをじっくりと指導するからです。そしてこの学術的なスタイル、アカデミックライティングこそが、悪文の元凶なのです。

アカデミックライティングは一般的に大仰で、時代がかった独特のスタイルで、一部の読み手に知識を伝えながら、それ以外の読者に対してその知識を隠してしまうものです。アカデミックライティングの修得は、自分の知見と同時に、自分がその集団の一員であることを発信する手段を手に入れることなのです。

例えばコンマの使い方を見てみましょう。

コンマがあれば意味の通る長いセンテンスが作れます。コンマなしの文は単文です。単文は従属節をもたない単純な構文です。単一のセンテンスのみです。単文を続けて文章を作ります。単文は直截的です。一文が短くなります。短すぎるかもしれません。

コンマを多用することで、従属構文ができあがります。従属節の後にさらに従属節を使用すれば、センテンスは非常に複雑になり、コンマの間で少し混乱することになるかもしれませんが、それでも読者は、冷静で注意深い性格の学者が入念に、非常に丁寧なセンテンスを作りあげているのだ、ということを確信し、いかめしく重なりあう文節と従属節を、飲み込みにくいなりに理解しようとします。この様に、従属節をもてあそべば、直截的な物言いとは違い、何かを熱烈に支持したり貶めたりすることがないために、無難な記述ができるのです。学者は受動攻撃的であることを好む(つまり、考えを直接的に伝えること避けがちな)ため、「まじめな」学術的文章がこうした様式で埋め尽くされているのは当然と言えるでしょう。学者マインドを示すのはコンマだけではありません。以前、academic writing can be like a painful upper-middle-class dinner partyという記事を書きました。他の研究者の論文に言及する際、その研究者が「主張している(claims)」という言葉を使用するのは、その研究者の述べることに対して自分が懐疑的だということを受動攻撃的(passive aggressive)に言っているのです。その人の論文を評価したい場合には「議論する(argues)」という動詞が使われるでしょう。私のライティングコースを受講する人の多くは、この動詞の含意について指摘すると驚きます。「主張する(claims)」は敬意を含んだ言葉のように思っていたのに、論文で他の研究者を貶めるのにふさわしい表現だなんて。そんなこと、考えてもみなかった、と。

アカデミックライティングは、教員にとっても簡単ではありません。PhDの試験で良い成績を治めるには、その分野に自らが属していることを示す書き方を知っていなければなりません。緩衝や譲歩の表現、事実を強調する表現、話題をつないだり要約をしたりする表現、接続副詞等です。受動攻撃的な含意について教えるのには非常に時間がかかりす。ちょうど昨日も、指導している博士課程の学生に、ある一文で「ためらう(hesitate)」という単語を使うべきかについて20分も掛けて説明しました。私は、そのような会話を何年も続けてきているのです。さらに、学術論文の形式について解説した、アカデミックライティングに関するいくつかの書籍の制作にも携わっています。

同じ分野を専攻する集団の一員であることを示唆するような表現はアカデミックライティングの特長ですが、これを習得するには長い時間を要します。これが学位論文の執筆が課せられる理由です(実際のところは、これが理由かどうか私には確信が持てません。1850年頃から、誰もそれについて真剣に考えたことは無いと思います。)。

このような時間は、知識を深め、卒業してすぐに職を得るために有効に使われた方がよいと思います。

実験室での研究やフィールドワークを行い、その発見を‘文章にする’だけが論文執筆だと想像していた博士課程の学生の多くは、アカデミックライティングに費やされるべき時間にショックを受けます。博士課程の学生の日常は、論文執筆の進捗やライティングに関する指導教員からのフィードバック、ライティングについての悩み、執筆の停滞などに関する会話があふれています。
私は、アカデミックライティングの苦労を人々に強い続ける自分の役割に長年にわたりジレンマを感じてきました。私のキャリアは、アカデミックライティングの苦悩に人々が対応することをサポートして積み上げられてきました。しかし、アカデミックライティングに対する苦悩は次の一点により正当化されているのです。

素晴らしい研究者、創造的な思想家やイノベーターにはなれても、 アカデミックライターとしての資質がなければ博士号が取得できないことを、誰もが知っている。

このことについて少し考えてみましょう

こうした評価は本当に正しいのでしょうか?研究ができる人と、学術的にみて正確なスタイルで研究内容を伝えられる人のどちらが良いのでしょうか?極端な話をすれば、ほとんどの研究者は学術的な様式での執筆が苦手です。、そしてそうした様式の論文を楽しんで読んでいる研究者は(いたとしても)非常に少数しかいないのです。

、ですから、そろそろ学位論文に固執するのは止めるべきだと思うのです。

出版に固執することも止めて良いのでは。

例えば、論文の代わりに、広範な読者と目的を対象として執筆する能力を示す著作のポートフォリオを用いることもできるでしょう。

こんな風に書くと、びっくりする同業者もいると思いますので詳しく説明します。私はPhDの評価方法を変更する必要があると考えていますが、必ずしも「正しいアカデミックな様式」で記述する必要性が全て無いということではありません。専門家に対して何らかの主張を正確に行う場合(そして読み手にどの様に確信を持っているかを、緩衝や譲歩の表現、事実を強調する表現などを用いて示す場合)には、従来のアカデミックな様式での文章作成が有効です。ですから、こうしたライティングも一定程度有効なのですが、アカデミックライティングとは何か、そしてそれはどうあるべきかについて広い視野で考えるべきでしょう。

PhDの評価対象とする著作ポートフォリオには、学術論文や会議でのプレゼンテーション等の学術的な著作を含めてもよいでしょう。その様なリストがあることで、必要な書式に対応可能であることを証明してくれることになります。アカデミックの様式で書かれたものは、書かれ方がひどい場合には、読むのがさらに耐え難いものになることは言うまでもありません。そこで、Helen Swordなどのライティングの専門家が、研究者のライティングスキル向上に大きく寄与してきました。(Swordの『Stylish Academic Writingh』はこの分野の金字塔で『Writer’s Diet book』もぜひご一読いただきたい名著です)。しかし、PhDの学生や研究者に、ライティングスキルを教えるだけでは十分ではありません。必要なのはこれまでの様式の改良版ではなく、まったく新しいニューノーマルなのです。エリート意識の低い、新たな規範です。

コミュニケーションの能力こそを評価すべきだとすれば、PhDの取得でライティングに重きが置かれていることについて違和感は持ちませんが、本当にそうであるかは疑問です。興味深いのは、大手の学術出版社が巨額の資金を得ることを可能にする著作のみが研究プロモーションや、研究機関のランキングにおいて重視されていることです。
PhDにおいて意図的にその他のライティングの様式を排除することで、私たちは、知識を一公共財ではなく取引の出来る商品に転換し、大学の「市場化」に寄与しまっているのです。

21世紀においては、PhDの評定は、より多くの読者とのつながりを得る能力を含めるべきではないでしょうか?PhDの修了者は、研究者だけでなく自分たちの暮らすコミュニティを動かすライティングを行わなければならなりません。この前提を是とするなら、「その他の」ライティング様式を卑しめ否定的することを止めるべきでしょう。社会の注目を研究に集めるのに最良のライティング様式であれば特にそうでしょう。

私のイメージするPhDの著作ポートフォリオには、純粋なアカデミックライティングに加え、一般の人々がアクセス可能な研究レポートやブログの投稿、意見集、政策立案者への提言、ウェブのコピー、授業ノート、指導テキスト、動画等を含みます。適切であれば、ツイートの要約を含めることにも反対しません!(人々が共有するような面白いツイートは思っているよりも難しいことで、これは数万のフォロワーがいる人もいれば、100のフォロワーを得るのにも苦労する人がいることに表れています。)

私たちの研究は世界を動かすことが可能ですが、研究者たちにしか理解されない研究は世界を動かせません。

この考えは私一人のものではありません。履歴書における学術出版の多さへのこだわりが不平等を生み出しているとする多くの人々の意見や、学術的な言語が人種差別主義と性差別主義を永続させている状況に関して学術界を糾弾した声と共鳴するものなのです。

多くの人が学術履歴書のサバイバルゲームに抗い、新たな形で社会に関わろうとし始めています。コツコツとブログを更新し、意見記事と教科書を書き続けしながらも、そうした努力への報いを受けられない人には、私が味方になります!

現在の困難な状況下において変化を起こしたいと考えている私たちの声は、これまでより人々の耳に届くのでしょうか?

PhDの評定の変更は、学術界の改革の可能性を秘めています。高度に専門家された内輪の言語でのコミュニケーションに拘泥し続けてきたことは、学術界に関して大きな弊害をもたらしてきました。健康科学についての研究者の著作よりも、パレオダイエットのレシピを紹介するPete Evansの本が多くの人に読まれているのです。人々が陰謀論に対抗しなければならいという事実は有料サイトでしか読むことができず、害のある嘘が無料の「健康ブログ」に掲載されているのです。

 人々に専門家の意見を尊重しもらう方法のひとつは、伝えなければならいことをちゃんと伝えることです。

これは、私たちがライティングの教え方を、根本的に見直さなければならないこと意味しています。PhDの学生に、ノンフィクションのベストセラーとともに、雑誌論文を書くように指導してはどうでしょうか。卒業後に、ケンブリッジ大学出版局のためにだけ本を書くのではなく、ノンフィクションのベストセラーを書いてその印税を懐に入れるすべを教えるのです。(私の友人のLynne Kellyは、これを実践しています。)さらに、本で得た名声を元手に、ネットフリックスのドキュメンタリーシリーズを作る。博士課程で、包括的なライティングや内容設定のスキルを習得していていれば、こうしたことが可能です。さらに言えば、学術論文という厄介な代物を抱えていなければそれが出来るのです

「正しい」アカデミックの様式を学習し、再現するように人々に強要することへの固執は、PhDを21世紀にふさわしい有用なものにすることへの最も大きな障害になっています。学術界の外で、研究に関連した仕事で、ライティングスキルを必要するものは少なくありません。明確で迅速に書く能力は、非常に大きな職能なのです。 「正しいアカデミックな様式」だけを追求するために多くの時間を費やしていれば、そうした能力を育成することは出来ません。

大学や研究機関に正式に採用されている研究者とてアカデミックな様式の出版にのみ重きを置くことも健全ではありません。人員整理が始まった際には、研究実績の豊富な履歴書で救われるという保証は無いからです。

以前の投稿で、COVID-19が学術に関連する雇用状況を崩壊させたと指摘しました。求人市場の冷え込みがいつまで続くかはわかりませんが、本稿を執筆しているまさにこの瞬間にも大学職員の人員整理が始まっています。昨日は、ディーキン大学の知り合いも解雇の可能性を言い渡されました。ある学部では、7名が定員1名の求人に申し込むように言われたとのことです。

ツイッターは悲嘆と怒りであふれ返りました。テキストメッセージや涙ながらのズームのコールなど、個人的なコミュニケーションでは言うまでもありません。一つだけ明白でだったのは、大量のジャーナル掲載実績だけではリストラから逃れられなかったということです。このような困難な時期において、大学は主要な収入源を中心に考えており、その第一は授業なのです。大学の運営側は、素晴らししいオンラインのコースで必要となるライティングと指導スキルは、査読を通過する学術論文を書く能力と異なると考えているのです。

それで、最初の質問に戻りましょう。博士課程にいる間、どんなことに時間をつぎ込むべきでしょうか?

PhDの著作ポートフォリオ作成をすぐに始めましょう。試験官にこれを評価されることはないかもしれませんが、H-インデックスには無縁の将来の雇用者に評価されるかもしれないのです。いくつもの学術論文と単行本の1冊や二2冊を書いている様な学者になっている自分を想像するのはやめましょう。特定の専門分野を持っているが、知識をより身近にすることで人々のより良い決断の手助けを出来る、マルチの才能を持つプロのライターとしての自分を想像してください。

博士課程修了までにそれぐらい履歴書に書けるようになってなければいけません。

そのために、次のように自問してください。特定の分野の専門家であると同時に、マルチの才能を持つライターであることを示すためには、どのような書き物を見せる必要があるのか?さらに、自分の研究を学んで利益を得られる読者層を明確にし、彼らにどのようなものが読みたいかを尋ねるのです。(もし私が大学の責任者ならば、研究領域決定の段階でこれを強制的に行ってもらいますが、興味をもつ可能性がある層を見出すのに遅すぎるということはありません。)。それが分かった時点で、実際にその様なものを書くのです!そして興味を持つ人々が容易にアクセスできるよう公開します(専門誌と業界団体のニュースレターなどで始めるのもよいでしょう)。Linkedinのプロフィールに、出版していない成果物をすべて記載してください。それにより、自分のライターとしての能力を示すことができます。

不安に思われる方もいらっしゃるでしょう。 「インガーが言うほど、実際は簡単ではない。自分の所属大学では、そんなことをサポートするシステムはない」と。
確かにそうです。指導教員はあなたのサポートできないか、するつもりがないかもしれません。励ましを受けることもないかもしれませんし、私の提案を実行して損さえするかもしれません。しかし、大学は賢明な人々の宝庫です。必要なサポートをしてくれる人を周りで探してみてください。必ず何かあるはずです。例えば、広報室かもしれません。もし無かった場合には、大学に対して、普段の論文執筆ワークショップではなく、専門能力開発のワークショップを提供するようにお願いをして下さい。。

自身の研究や他人の研究に関して文章を作成できるという自分の能力が重要なキャリア上の資産であるということを認識してください。難解で、複雑、時に退屈な読解に対応する能力と耐性はたぐいまれなるものです。あなたが一週間で吸収し、理解するこの出来る知識の量に近ける人はいるでしょうか。そして、あなたの根気に。 「3年もかけて、同じテーマの書籍や論文を400ほど読んでほしい、そしてその何割かはほとんど理解不能な学術書と思しきものです」そんな要望に「大丈夫です」と答えられる人がどれほどいるでしょうか。雇用する立場にいる人々は、出版された研究の内容の理解や、自分たちの問題解決への研究の応用のアドバイスを行ってくれる人材を求めています。自分たちに競争上の優位性をもたらすために新たな研究をさせる必要があるのです。これをAIにさせることは出来ません(少なくともまだ)。不況の中、非常に多くの問題があり、それらは非常に困難なものとなるでしょう。博士課程で研究を続ける皆さんは、純金の様なものです。

ライティング能力を活かして学術界の外で仕事を得られなかったとしても、例えば、研究に関するコンサルティングビジネスでそれを活かすことも出来るでしょう。ですから速く、そして上手く書けるように研鑽を積んでください。これは天賦の才ではなく、習得して得られる技術です。正しいアカデミックな様式でのライティングに関する書籍は引き続き読んでおきましょう。(いずれ、そうした論文を突き放さなければならなくなったとしても。)、それと同時に明確に伝える技術についての本や、フィクションのライティングに関する本など別のライティング技術を学べる本も読むよう努めてください。学術論文執筆のための時間を削り、その他のライティングのための時間を創出してください。慣例的に単語数に制限があるからといって、それに従って書く必要はありません。多くの審査官がそれにとらわれない方が好ましいと感じていることを示すエビデンスもあるのです

私の提案を実践すれば、間違いなく反発にあう方も出てくるでしょう。特に論文に名前が載ることが個人的な利益となる指導教員は反発するでしょう。(都合よく自分の退屈なライティングの作業を減らしてくれていた学生がそれに異を唱えることになるのですから。)博士課程の皆さんは、将来のキャリアの確保と同時に、学位の要件や対人関係のバランスを取っていかなければならないのです。一筋縄ではいかない状況ですが、優秀で、能力のある皆さんであれば、きっとうまくやれるでしょう。

コメントはオフになったままですが、ソーシャルメディアで連絡をください。応援しています‐頑張ってください。

連帯を

インガー\

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/06/10/why-academic-writing-sucks-and-how-we-can-fix-it/

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