PhDになるべきかならざるべきか-それが問題だ

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回のお題は、「生きるべきか死ぬべきか(To be or not to be)」になぞらえて「PhDになるべきかならざるべきか」という、とても根本的な質問に立ち戻っています。さて、ミューバーン准教授からのメッセージは?

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PhD課程がいかに徹底的に学生の人生の意味を見失わせるほどの問題を引き起こせるのか、驚かされることが多々あります。時間とともに気持ちが収まるケースもたくさんありますし、良い結果をもたらすこともあります。ここに書くのはあなたの心の声ですので、ちょっと耳を傾けてみてください。

先週、ANUの学生(仮にリサとしておきます)が勤務時間中に大学の私の部屋を訪れてきました。彼女の訪問の目的は、PhDをやめるべきかの相談でした。

私がこのような相談を受けるときは最初に、なぜPhD取得を目指したのかを聞きます。リサの話によると、彼女は大学の人文学科を卒業後、事務職やコールセンターの仕事しか見つることができませんでした。すぐに仕事が退屈になった彼女は、自分がいつも知的幸福感を感じていられた場所、つまり大学に戻って来ました。リサはPhDとして研究に従事したいとは思っていましたが、PhD取得後に何をするかについては漠然とした考えしか持っていませんでした。PhD課程に入れた彼女は知的生活を楽しんでいます――

とはなりませんでした。

Music for Deckchairs」というブログを書いているケイト・ボールズ(Kate Bowles)(ケイトはオーストラリアの大学で法・人文・創造芸術学部の副学部長を務めています)が言うには、PhDとは人生の支えとしては最悪のものだそうです。リサは大学院に入れたものの、研究職の現実、研究者の生活がいかに想像していたものと違っているかに直面することとなったのです。

思っていた通りだったとしても、研究者の生活は決して優雅なものではありません。教室にいない時間にはミーティングが入っているか、地獄のような作業に追われているかです。研究の時間が取れないために、わずかな合間や週末を研究に費やすこともあれば、次の助成金申請に多くの時間を費やさなければならないこともあります。少なくとも最初は、何らかの契約のもとで研究を行っているでしょうから、引き続き雇用契約を得るには、人脈を構築していくことも必要です。最善の方法は、共同研究を行い、学会に出席し、ソーシャルメディアを通じてたくさんの人たちと交流することです。

私は、自分が内向的か外交的のどちらか一方の人間とは思っていませんが、どちらかと言えば外交的なほうだと思っていますし、学術関係者の多くが大好きです。しかし、リサは間違いなく内向的なタイプだと思います。例えば、私はソーシャルメディアを見るのを楽しんでいますが、リサはソーシャルメディアを時間の無駄だと言うでしょう。リサは、読み書きや考える事が好きでも、教えることは好きではないようです。実際、どんなことでも人前で話すことには不安を感じると言います。学術界に親しい友人はいますが、共同研究や共著をすることにはあまり興味がありません。私が察するに、彼女が最も恐れているのは、委員会の会議に3時間も時間を取られることや、学会懇親会のテーブルで参加者と軽い会話をすることでしょう。

私は、リサのキャリア選択として研究職が良いものだとは全然思いませんが、PhD課程を止めるかどうかは別の話です。すべてのPhD取得者には職に就ける可能性があるとする私の研究から見れば、リサはこの時点までは適切な選択をしていると思います。私は、PhD取得後に研究職に残らない方が普通であることを伝えました。卒業生の6割が研究の道から離れ、色々な仕事に就いています。研究職以外におけるPhDの価値と、学術界で博士取得者がどれだけお金を稼げるかについて、彼女に熱心に説明しました。リサが資格を得た後に付ける可能性のある職種を並べ立ててもみましたが、彼女は納得していないようでした。私が挙げた職種のすべてが多くの人と関わる仕事だったからでしょう。

すべてがはっきりする供述をリサが口に出すまでのしばらくの間、私たちは無言で座っていました。リサは「私、人より植物が好きなので、植物に関わる仕事に就きたいんです。」と言います。私は少し驚かされましたが、苗園を開きたいという心に秘めた希望を話し始めたリサはとても生き生きしていました。

彼女の目標に到達するためにはPhDが役に立たないことは明らかだったので、PhDを止めることはまったく支障にならないとアドバイスしました。既に彼女は1年を無駄にしてしまっていますが、古いことわざにもあるように「木を植えるのに一番良い時期は20年前だった、そして2番目にいいタイミングは今だ(ベストなタイミングではないかもしれないけれど、やるなら今すぐ始めるべきだ)」なのです。ところが、私がPhDを止めたいという学生の意思を確認するときによく起こることですが、リサも自分の発言を撤回し、止めないために自分に言い聞かせ始めました。PhDを継続するための理由を並べ立てるのですが、そのすべては他の人がどう思うかというものでした。

私は、心の動きとモチベーションの兼ね合いの調整はできないので、彼女をカウンセリングに行くように送り出しました。カウンセリングがうまく機能することを祈るばかりです。

PhD課程に存在する難局は、自分が生み出すものばかりではありません。周囲の人によってもたらされるものもあります。私の経験から言えば、このような問題は必ずしもあなたの潜在意識が何らかのメッセージを出すことで生じるのではなく、感情的な悪影響となって表れます。ある男子学生(仮にチンとしておきます)から先週受け取ったメールを例に話を進めてみます。

チンは、彼の学部の研究グループとの昼時のおしゃべりで気分を害したようです。

「私たちは研究プロジェクトについて話をしていたのですが、普段はすごく前向き思考で超協力的な一人が、私がプロジェクトで何を達成しようとしているのかを質問してきました。その問いかけに答えること自体にはなんの問題も無かったのですが、質問はすぐに挑戦的で対立的なものとなり、彼女は私に、なぜ誰かの役に立つことや何かを変えることをしないのかと聞いてきたのです。」

あらら……

PhD課程で多忙なときに決してやらなくていいことは、他人がすることに口を挟むことです。他の研究者からこんな風に何か言われれば非常に気分を害するでしょうけれど、チンの作業に対する発言というよりも、その研究者の心の状態から発せられた発言だと思います。

あなたのPhDの研究が世界に何らかの変化をもたらす可能性は低いはずです。私の研究も大した波紋も起こしませんでしたが、だから何だと?私は時間を無駄にしたとは思っていません。あなたがPhDを取ることで最も重要なことは何だと考えるか、例えば学位論文なのか人が重要なのか、によるのです。

多くの場合、私は人に重きを置くことを好みます。何を学んできましたか?PhD課程は、仕事において、あるいは人生において何らかの力となりましたか?どうすれば最も効率よく仕事ができて、どんなサポートが必要だったか理解できましたか?どうすればPhDで培った知識やスキルを、他の状況や問題を解決するのに役立てることができますか?

個人的には、世俗的な記号論と群集思考に関するものを読むことは、委員会で協業することや書類仕事をするのに役だっています。私はお役所仕事の中で変化させることが難しい理由をちゃんと理解しているので、物わかりがいいのです。習慣行動と文化的資本について知識を深めることは、PhD学生がどのように学術界での生活に適応しているか、あるいは適応していないかを理解することの助けとなっています。知識があればプログラムや学生との関わりを通して学生を支援する新しい方法を考えることができるのです。

ジェスチャー研究における研究方法に関する私の知識は、PhD取得者の雇用の可能性に関わる今の仕事にはあまり役に立っていませんが、知識を生み出す方法の基本は理解していますし、ものすごいスピードで読むこともできます。とはいっても、(搭乗機内で「ミューバーン博士、おかえりなさい」と迎えられる以外に)PhDの成果として最も良かったことを挙げるとすれば、自分が愚か者だと見られることを恐れていないということでしょうか。自分が無知だと分かれば、修正することはできるので。

無意味に見える研究もやりますし。

正直なところ、私の研究調査スキルは大したものです。もちろん、このスキルは仕事で発揮されますが、研究以外にも使えます。前の家主がリース契約の最後に庭の状態を保つための補償金からお金を差し引こうとしたとき、私は法律を調べ、自宅のケースについてたくさんの情報源から収集した情報から注意深く表を作成して示しました。その結果、1200ドルの支払いから間逃れる事ができたのです。

人を成長させる以外のPhD課程の主な成果は、書くことです。謙虚な気持ちで書かれた論文は、最も頻繁に大学のリポジトリからダウンロードされる文書となっているのですから、論文執筆は手に負えないと投げ出すべきではありません。通常、知識はそれが有用なものであるとわかる形で示す必要があり、そのためにはそれなりの作業を伴うのです(私はこの作業が面倒だと思ったことはありませんでした)。

あなたが自分の論文を本にすれば、それを読んだ読者が研究題材についての考え方を改める手助けにつながるかもしれません。研究成果を要約して学生に教え、刺激を与えることもできるでしょう。あるいは、記事やポジション・ペーパー(政策方針書)を書いたり、ドキュメンタリーを作成したり、博物館に展示したり、さらには公衆衛生プログラムを策定したり、講演ツアーを行ったり、行事でスピーチしたり、などなどさまざまな可能性があるのです。ただし、ここで私が言っていることはすべてPhDを取得したらの話です。あなたがやりたいと思えば、どんなプロジェクトにも信じられないほどの創造力と熱心さをもって取り組むことができるはずです。

もしまたPhD課程で難局に当たったら、以下の質問を自問自答してみてください。

  • なぜPhD課程に足を踏み入れたのか?最初にPhDを取ろうと思ったのは惰性で、もう息切れしちゃってる?それとも、当時のモチベーションを見失った?
  • 潜在意識が望んでいることは?本当はもっと生産的で面白いと思っていることができるのでは?もしそう思うなら、それはどんなこと?
  • PhD取得後に進みたいのが研究職ではない場合、他の選択として何がある?研究者になるのとは別のキャリアをつかむためには、今何をする必要がある?
  • 今の自分はかつての自分と何が違う?自分自身について何を学んだ?
  • PhD取得後、自分が気になることを変えるためにベストな方法は何?

さて、あなたはどう思いますか?PhD課程で難局に遭遇したことはありますか?何がその問題を引き起こして、どのように克服しましたか?みなさんの経験をお聞かせください。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2016/10/19/to-be-or-not-to-be-doing-a-phd-that-is-the-question/

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