論文審査のワイルドカード

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は博士論文の審査の結果をどのように受け止めるか、博士課程在籍の大学院生による手記をご紹介します。


オーストラリアでは、博士論文はブラインド査読によって審査されます。ここで語られるように、そのことが複雑な結果を生むことがあります。ジョアンヌ・ドイル(Joanne Doyle)は、オーストラリアのトゥーンバにある南クイーンズランド大学(USQ)で博士課程に在籍しており、大学院研究のインパクトを学術的な視点で探る研究を行なっています。博士課程に入る前にはUSQのAustralian Digital Futures Instituteで研究提案とプロジェクトマネージャーを務めていました。プロジェクトマネジメントの経験が豊富で、鉱業、小売、サービス、教育など、さまざまな分野で活躍しています。以下、ジョアンヌによる記事です。

誇張や自己憐憫なしで、控えめに言っても、私の博士課程は困難に溢れていました。

途中、2人の指導教官を失い、3度入院し、論文の全原稿を仕上げる直前には仕事をくびになりました。それでも私は必死に書き終え、カルマの力で審査を通過できると心から信じていました。

残念ながら、現実はそうはいきませんでした。私の力ではどうにもならないところで、論文の審査員の選定に問題があり、私の博士号取得の道のりにさらなる逆風が吹いたのです。提出までに3年半もかかったのに、これ以上遅れるのは耐え難いことでした。それでも心配せず、カルマを信じて、私は博士課程の最終段階まで楽観的でした。

やがて私のもとに審査結果が届きましたが、2人の審査官の評価は全く正反対といっても過言ではありませんでした。1人目の審査官は、私の研究を「模範的な論文であり、これまで審査させていただいた博士課程の研究の中で最も優れたものの一つ」と評価し、さらに「この論文は、博士課程での研究に求められる標準的な要件をほとんどの面で満たし、むしろそれを超えている」とも評価しました。

一方、2人目の審査官は、研究のあらゆる側面を批判し、この論文は博士課程で期待されるスキルを示していないと指摘していました。

このようなコメントの相違が、審査報告書全体に続いていました。文献レビューは「特に印象的」(1人目の審査官)と「表面的」(2人目の審査官)という両方の評価を受け、研究デザインは「正当なものである」(審査官1)と評価される一方で「大きな欠陥がある」(審査官2)とも評価されました。論文が示す「強い分析力と概念的能力」(審査官1)を評価される一方で「バランスと厳密さの欠如」(審査官2)を批判されました。同じ論文提出者が「研究を深く掘り下げる能力を発揮し、質の高い知識への独自の貢献をしている」(審査員1)とされながら、「主題の理解に限界を示し、情報を読み誤っている」(審査員2)とされていたのです。

私は、大幅な修正を余儀なくされました。

同僚によると、大幅な修正はよくある結果で、学生は肯定的なレビューと否定的なレビューを1つずつ受けることが多いそうです。これは学者になるためのステップのひとつで、一流の学術ジャーナルに掲載されるために当たり前のように行われる査読とリジェクトのシステムに慣れるためなのでしょう。この分野で生き残るためには、「面の皮が厚い」ことが必要だとも言われます。

しかし、私は厳しい批判にさらされるような人生は送りたくありません。落ち込んで覇気のない性格にはなりたくないのです。私は一人の若手研究者(シワと白髪はありますが)であり、自分の研究が世の中に変化をもたらすことを望んでいるのです。そして知識の体系に貢献するという自分の熱望を達成するには、自分自身と自分の研究の価値を信じなければなりません。しかし、自分の研究を評価するシステムには幻滅しており、一個人の見解が他の人に大きな影響を与えることにも腹が立ちます。

私は、現代のプロセスに対して、他の人々よりも少し感情的になり過ぎなのかもしれません。結局のところ、私の博士課程研究の焦点は、インパクト(影響)に関する認識を探ることでした(そして、自分が苦境に置かれているという皮肉を身に染みて感じます!)。しかし、私はまだ、上述の正反対のフィードバックに動揺しています。一人の審査官が自分の研究を褒めてくれたことは知っていますが、その人のことはあまり考えません。

2人目の審査官のことばかり考えてしまうのです。

その人に直接会って、コメントの真意を確かめたい。若い審査官の方が厳しく批判する傾向にあるという推測も立ちそうですが、私はその人を、人生に不満を持つ不機嫌な年配の学者だと思い描いています。そうすることで、フィードバックを受け入れるという苦行に耐えています。

3年以上かけて育ててきたものを、これほどまでに痛烈に批判されるのは本当につらいです。絶望の淵に立たされたとき、私は「研究室の荒波にもまれて(Thesis Whisperer)」に頼りました。私は博士課程の旅の間ずっとこのブログをフォローし、「The Valley of Shit」(原文:英語)や「I’m Writing a Book No One Will Read」といったコラムで慰めを得てきました。検索ボックスに「examination(試験)」と入力すると、「Surviving A PhD Disaster」という記事に誘導され、さらにそれがリンクする「論文が審査員に却下されたらどうする?」(英語版オリジナル記事はWhat To Do When Your Thesis is Rejected by the Examiners)などで、苦境に立たされているのは自分一人ではないことがわかって心が和みました。

私を一番救ってくれたのは、「 4 Things You Should Know About Choosing Examiners for your Thesis(論文の審査官を選ぶ際に知っておくべき4つのこと)」という記事でした。ここでは、試験の審査プロセスについて簡潔に位置づけがなされています。「学位論文審査は成績ではなく、どの程度の修正作業が必要かを示すものであり、ほとんど修正を求められないものからかなり多くの修正を求められるものまである」。この記事をもっと早く読んでいれば、私の見方が変わっていたかもしれません。

審査報告書を読み直したところ、求められた修正は許容できるもので、論理的な改善点にさえ思われました。「研究室の荒波にもまれて(Thesis Whisperer)」と、その中の記事「 Doing Your Amendments Without Losing Heart (or Your Mind)」で示された提案に再び導かれ、その年度中に修正をやり遂げることを心に誓ったのでした。

試験のフィードバックを人目にさらすのは簡単ではありませんが、この投稿を書くことは私にとってカタルシスとなりました。自分の苦悩を明確にすることで、現在のジレンマを受け入れることができたのです。しかし、私がこの記事を書いたのにはもっと大きな理由があります。自分の論文審査経験を共有することで私の後にこの道を歩む他の論文提出者を助けたい、そして私が最も必要としていた時にそこにいてくれた「研究室の荒波にもまれて(Thesis Whisperer)」に少しでも恩返しをしたい、というのが理由なのです。でも、この辺で切り上げます。これから推定4ヶ月の大改稿が待っていますので。

追記:論文の修正には3ヶ月を要しました。しかし、2人の審査員からのフィードバックに感謝し、査読のプロセスに対する尊敬の念を強くしています。論文に手を加えることで、自分の研究に対する理解が深まり、自分の論文が受けた厳しい批判に対し合理的な説明をできるようになりました。また、忍耐強さや謙虚さも身につきました。最も貴重な教訓はしばしば最も困難な時に得られる。本当にその通りだと思います。

ジョアンヌ、ありがとう。論文審査に関するご経験をお持ちですか?コメントでお聞かせください。

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