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言語の消滅危機―日本語も他人事じゃない

非営利のキリスト教系の少数言語研究団体である国際SILが公開しているウェブサイト Ethnologue (エスノローグ)の『Ethnologue, 21st edition(第21版)』によると、現在使われていることが確認されているのは世界で7097言語。これほど多くの数の言語が存在していることは驚きですが、グローバル化や少数民族の人口減などのさまざまな理由によって話者がいなくなって、失われつつある言語もあるとの事実にも驚かされます。実際、Ethnologue, 21st editionでは、昨年発行の20th edition(第20版)から2言語が減っていました。世界で話者数が100-999人しかいない言語は1000を超え、10-99人しかいない言語は300を超え、話者数が9人もしくは9人より少ない状況となっている言語が114もあるのです。言語とは人が使うものである以上、話者の途絶えた言語、人に使われなくなった言語が失われていくのは止められません。

■ 止まらない言語の消滅

世界で20億を超える人が3言語(中国語、スペイン語、英語)のいずれかを使っている一方で、使う人が途絶えた言語が想像を超える勢いで失われていると言われています。言語学に特化した学術団体であるアメリカ言語学会(Linguistic Society of America: LSA)によれば、消滅危機言語とは将来的に話者がいなくなる、その言語を理解できる人がいなくなることと定義しており、消滅する主な理由としては、侵略などによる虐殺で話者が消滅するため、多くの話者が影響力の強い言語を使うことで言語の置き換えが起こるため、文化的抑圧などにより言語の使用が断たれるため、の3つを挙げています。グリーンランドにおけるカラーリット語(Kalaallisut)はひとつの例です。1700年代にデンマークがグリーンランドを植民地化して以降、当初は原住民の言語であるカラーリット語とデンマーク語の両方が使われていましたが、教育と公的職務をデンマーク語で行うとの言語政策に押され、カラーリット語の利用が断念されてしまいました。その結果、言語と共に民族性と文化も失われてしまったのです。また、学校教育の中で政策的に言語の利用が制限されることで、特定の言語が廃れてしまうこともあります。

言語は人が使ってこそ生きるものなので、話者がいなくなってしまえば消滅してしまいます。たとえば、話者が複数名いても、次世代がまったくその言語を使わなくなれば一世代という短い時間枠で失われることになります。逆に、少人数ながらでも細々とその言語を使い続ける話者が存在し続けていれば、言語の消滅は緩やかなものとなります。

このように、言語の消滅の理由、タイミングはさまざまです。そもそも世界中の言語の数とそれらの実態(話者の数、使われ方など)を把握することは大変難しく、言語学者によって世界の言語数と消滅危機にある言語数が異なることもあります。しかし、世界中で多くの言語が消滅の危機にあるという点では言語学者の意見は一致しています。世界の言語の80%が来世紀のうちに消えてしまうという予測すらあるのです。

■ 日本語は大丈夫?

近代以降も、都市への人口集中や社会的あるいは経済的理由で特定の言語の話者が失われることや、災害や紛争で難民となり母国を追われることで使用する言語が変わってしまうことが起こっています。日本は少子高齢化が進行しているとはいえ極端に急激な人口減少が起こっているわけでも、侵略されているわけでもないので言語の消滅とは関係ない――と思うのは早計です。国際連合教育科学文化機関(UNESCO)が2009年に発表したAtlas of the World’s Languages in Danger(消滅危機言語、最新版は2010年発表)の消滅危機言語2500の中に、日本で話されている8つの言語が含まれています。先に述べたように世界のすべての言語を把握することが困難な理由のひとつは、言語をどのように定義してカウントするかが難しいからです。言語学者は主に文献などを参考に言語数を数えていると言われますが、日本人は概ね「日本は単一言語の国」と思っているので、日本の中に消滅する言語があると言われると不思議な感じがするかもしれません。しかし、UNESCOの発表では、アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭(くにがみ)語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の8言語が消滅の危機にあると掲載しています。これに対し、日本の文化庁は、UNESCOが地域固有の「方言」も「言語」としていると注釈をつけつつも、それぞれの危険度を3つに分類し、これら8言語の実態把握や保存・継承の取組状況に関する調査研究に着手しています。このように「言語」と「方言」の線引きが難しいことも言語数の把握を難しくしている一因です。国立国語研究所(National Institute for Japanese Language and Linguistics; NINJAL)は文化庁と連携し、「日本の消滅危機言語・方言」データ公開のページを設置。それぞれの言語の基礎語彙を含めた情報を公表することで、言語の記録を作成しています。

にもかかわらず、日本国内にも消滅危機言語・方言があるということが広く認識されているとは言い難い状況です。言語の多様性が失われつつある背景には、日本が近代化する中で、標準語教育が浸透したのと同時に、かつて地域のコミュニケーションに使われてきた方言の大切さを認識し、それを育んだ地域の伝統や文化と共に守ろうという意識が薄かったことがあげられるのではないでしょうか。アイヌ語以外は島の言葉であり、そもそもの話者数が限定的な上、多くの島で若い人は島外に出てしまい、残った話者が高齢化しているなど社会的な変化も鑑みると、失われつつある言語の調査研究・保存は急務です。

■ 世界の言語の状況

このUNESCOの発表では、消滅の危機にさらされている2500の言語を、最も危険なものから「極めて深刻」、「重大な危険」、「危険」、「脆弱」の4つに分類しています。先述の8つの日本語の中ではアイヌ語が「極めて深刻」と評価されています。すでに、1950年以降に消滅した言語は230語(2018年時点に公式ページに掲載の数字)にのぼっていると聞けば、危機感が募ります。言語とは、地域の自然や生活、歴史、文化、人々の考え方などを通して培われてきたものです。言語を形作るにはとても長い時間がかかるのに、消滅にはそれほどの時間を要しません。しかも、言語の消失はそれを使用してきた人々の知識や文化の消失も伴います。

世界は刻々と変わり、言語ごとの話者数や言語の使われ方、言語自体および付随する文化も常に変化し続けています。それは言語が日と共に生きているからです。だからこそ、言語は難しくも面白いのだと思いませんか。


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最も「使える言語」を探ってみた

大手商社の伊藤忠商事が、2015年度から中国語人材の育成強化に取り組み、独自基準で認定した「中国語人材」が1000人に到達したことを祝う式典を開催したとニュースになりました。同社CEOは中国語人材を育成することで、中国でのコミュニケーションを円滑にし、中国ビジネスの拡大を狙うと語っています。

2010年に楽天が社内公用語の英語化を宣言したのを皮切りに、多くの企業が英語を社内公用語または半公用語として推進するようになりましたが、ビジネスの世界では英語に加え中国語の需要も増えてきたため、伊藤忠のように中国語の習得を推奨する会社も増えているようです。

面白いのは、このような習得が実益につながる特定の言語、「使える言語」が、古くは中国語、明治維新後はイギリス英語やドイツ語、戦後はアメリカ英語(米語)、と時代とともに変わってきていることです。英語が世界共通語となっている現代では、英語の強さが圧倒的ですが、他の言語はどうでしょう。「使える言語」について考えてみました。

■ 言語の役割と言語の必要性

本来、言語の役割は人と人とのコミュニケーションであり、文化をつなぐためのものです。グローバル化が進んだことにより、人と人、あるいは多国間、多文化間で情報を共有するためのツールとして言語を習得する必要性が増すこととなりました。多くの日本人にとって外国語を学ぶ理由は、その言葉を話す人とコミュニケーションをとりたい、その言葉を使う国に行ってみたい、など強い動機や好奇心に後押しされてのことだったはずです。しかし今では、学校の外国語教育ですら「グローバルな人材育成のため」と大義名分を掲げるように、必要性に迫られている感が強くなっています。外国語の使い方も、この10年で大きく様変わりしてきました。ウェブサイトは、より多くの人に同じ情報を届けるため、母国語に加えて英語、あるいは英語を含む複数の言語で表示されるようになっています。企業は事業を国外に拡張する際、ウェブサイトを多言語化するだけでなく、円滑かつ効果的に事業を展開するべく、社員に外国語の学習を推奨するようになりました。また、世界中の研究者は国を超えて共同研究を行い、結果の論文を英語で公開しています。それぞれの事情に差異はあるものの、使い方が広がるのに伴い、言語の必要性も高まっているのです。

■ 最も話されている言語は?

やはり一番学習する必要性が高い「使える言語」は英語か――と結論に急ぐ前に、世界でどのぐらい英語を使っている人がいるのかを見てみましょう。実は、「最も話されている言語」を見る時、気をつけなければいけない落とし穴があります。特定の言語を話す人の数だけ見ても、母国語話者数だけ見る場合と、公用語あるいは第二言語としてその言語を使用している人の数を含める場合とで、その数は大きく変わってくるのです。世界最大の統計ポータルである「Statista 」によると、2017年に世界で最も話されている言語は中国語(12.84億)、2位がスペイン語(4.37億)、3位が英語(3.72億)となっています。総人口数の多い中国語が1位、中南米のほとんどの国で使用されているスペイン語が2位なのはわかりますが、英語を母国語とする人数の少なさは意外かもしれません。しかし、これは該当言語を母国語とする人の数なので、実際に使用している人の数(母語話者・第二言語話者・言語習得者を含めた数)を2018年にWorldAtrass.comがまとめた別の統計 で見ると、1位が英語(13.9億)、2位が中国語(11.5億)、3位がスペイン語(6.61億)と納得の順位になります。使われている国の数をみても、英語は106か国、中国語は37か国、スペイン語は31か国となっているので、なるほどと思える数字です。

■ インターネットで最も使われている言語

次に、世界に普及しているインターネットでどの言語が最も使われているかを見比べてみましょう。前述のStatistaの「ウェブサイトで利用されている言語の割合」 によると、1位は英語(54.4%)、2位がロシア語(5.9%)、3位ドイツ語(5.7%)と英語が突出しています。意外にも日本語が4位(5.0%)に入っています。英語の占める割合が圧倒的な一方、話者数でトップの中国語はわずか2.2%とその差は明らかです。同様に、5億人以上の人が母語として使っているヒンディー語、アラビア語またはベンガル語は、3言語を合わせても11.4%にしかなりません。このようにウェブサイトで利用されている言語の多様性の少なさは、情報へのアクセスの障壁となるだけでなく、言語の衰退に拍車をかけると指摘する活動家や科学者もいます。

■ 最も「使える言語」は?

世界がグローバル化するのに伴い、多言語化が広がる中、最も「使える言語」はどの言語なのか?この答を探すのに2016年にWorld Economic Forumが発表した「The most powerful languages in the world 」という指標データが参考になります。これは言語ごとに1) 地理力(Geography)2) 経済力(Economy)3) コミュケーション力(Communication)4) 知識力・メディア力(Knowledge and Media)5) 外交力(Diplomacy)の5つの項目を数値化してランキングしたものです。これによると、最もスコアの高かったのは英語、2位は中国語(標準中国語)、3位はフランス語、4位がスペイン語、5位がアラビア語、6位がロシア語、7位がドイツ語、8位が日本語、9位がポルトガル語、10位がヒンディー語となっていました。ヒンディー語の方言をまとめてヒンディー語に含めて数えた場合、8位となり後半の順位が入れ替わると注釈が付いていたものの、上位の順位は不動のようです。ここでも予想以上に日本語が健闘していますが、日本語のネックは、苦労して習得しても日本以外で使える機会がほとんどないというのが他の言語とは異なる点でしょうか。

■ 2050年の言語勢力図は?

もうひとつ面白いことに、上と同じ5つの項目で2050年 の「使える言語」ランキングが出ていたので、これも見てみました。結果は、1位が英語、2位が中国語(標準中国語)、3位がスペイン語、4位がフランス語、5位がアラビア語、6位がロシア語、7位がドイツ語、8位がポルトガル語、9位がヒンディー語、10位が日本語となっています。若干の入れ替わりはあるものの、大きくは変わってはいません。日本語はコミュニケーション力以外のスコアが下がった結果、順位を下げています。

とはいえ、ほとんど日本でしか使えない日本語が「使える言語」トップ10に入っているだけでも喜ぶべきかもしれません。その一方で、トップに輝く英語を話せるようになれば、現在の世界人口76億のうちの約14億、約20%の人と話ができると考えるとすごいと思いませんか。

難民の命を救う言語のエキスパート

翻訳会社

紛争や民族・宗教対立などから自分や家族の命を守るために母国を脱出、あるいは追われて国境を越える難民が、後を絶ちません。シリア国民やロヒンギャ族を筆頭に、その数はここ数年で急激に増加し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によると、2016年には過去最多の6560万人に上りました。

このようにたくさんの人が国境を越えると、移動先で、ある問題が起こります。受け入れ側との事務手続きはもちろん、医療処置や職業訓練を施す上で、言葉が障害となる可能性があるのです。難民のコミュニケーションをサポートする言語のエキスパートが、これまで以上に必要とされています。

■ 難民の言語は多種多様

なぜ言語のエキスパートが必要か。それは、難民が多様な言語話者から構成されている集団だからです。UNHCRの統計によれば、全難民の55%がシリア、アフガニスタン、南スーダンの3カ国で占められていますが、サハラ以南のアフリカの国々からの難民も増加しています。言語は多種多様であり、中には母国語以外を理解できない人も多いのです。シリアからのアラビア語話者は教育水準が高く、ある程度は英語も理解できますが、ペルシア語やダリー語(アフガン・ペルシア語)の話者には、英語がわからない人が多数います。

人道支援を行う組織だけで多様な言語に対応することは難しく、そのため非営利団体「国境なき翻訳者団(Translators Without Borders: TWS)」が創設されました。国境なき医師団(MSF)の姉妹組織であるTWSは、世界各地の難民キャンプなどで援助組織や人道支援団体と難民との間をつなぐ多言語翻訳を無償で行い、ハイチやフィリピンでの自然災害時にも、英語から現地語への翻訳を行うなど、幅広い活動を展開しています。TWSが要請を受けている言語には、クルド語、ウルドゥー語(パキスタンの国語)、パシュトー語(アフガニスタンの公用語)、ティグリニア語(エチオピアの公用語の1つ)、フランス語などがあり、所属するボランティア翻訳者が、さまざまな言語を母国語とする難民のコミュニケーションを助けています。

■ 人道支援における言語サポートの4つの特異性

TWSの広報マネージャーのラリ・フォスター氏によると、難民の言語サポートには4つの特異性があるとしています。

1) 難民が多様な言語集団からなること
2) 受け入れ側にも言語上のサポートが必要なこと
3) 情報の伝達が困難であること(難民の動きが流動的であるため、必要な情報を繰り返し伝達しなければならない)
4) 難民側に絶えず更新される情報を伝達するのが必要なこと

TWSが抱える困難な課題の1つに、通訳や翻訳のサポートを行う際の地元コミュニティとのコミュニケーションがあります。支援者や国際ボランティアが地元の言語と難民側の言語の両方を話せないという事態に陥ってしまうと、コミュニケーションの障害が壁となって、受け入れ側の善意が難民に伝わらず、双方の緊張を高めてしまうことがあるのです。また、難民キャンプや災害現場などの危機的な状況下で人々の命や安全を確保するためには、情報伝達の間違いや遅れは致命傷となりかねません。この課題を解決するには、受け入れ側も言語によるコミュニケーションの重要性を理解し、サポートできる体制を整える必要があります。

■ 翻訳は人を救う仕事

テレビやインターネットによる情報配信がままならない状況下で、刻々と変化する情報を難民が理解できる言語で提供し続けることは、至難の業です。健康管理、保護施設、緊急処置に関わる施設情報、家族や母国の状況、各国の難民受け入れ状況、難民申請手続き、移動手段と費用……。例にあげただけでも、難民が必要とする情報が多いことがわかります。危機的状況下において翻訳者は、コミュニケーションの支援のみならず、最新情報の入手と提供にも対応する必要があるのです。

英語のみの情報提供では、それを必要とするすべての人に届けることはできません。言語が理解できなかったために医療処置を受けられなかったり、避難できなかったりして命を落とす人も存在します。それを防ぐべく、TWSの翻訳者たちは今日も、世界各地で活動しています。

2017年5月、国連総会会議にて「国どうしを結び、平和と理解、発展をはぐくむうえで専門の翻訳者が果たす役割」を重視する決議が採択され、9月30日が「国際翻訳デー(International Translation Day)」と公式に認定されました。翻訳という、表舞台では注目されづらい役割。しかしその必要性は誰もが認めるところです。世界で活躍する翻訳者に思いを馳せてみるのもよいのではないでしょうか。


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言語の文法的性が話者の思考に影響する?

文法的性
 
世界中の言語における文法的性(性区分)の有無を調査した研究(Corbett, 2013)によれば、世界の257言語のうち性区分がない言語が145、ある言語が112(このうち性区分が2つの言語は50、3つは26、4つは12、5以上は24)とのこと。言語によって分け方やその由来は異なりますが、およそ4割に性区分があることがわかります。

かつて男女(雌雄)の差を区別する必要あるいは意味があり、生きる上で必要だったのではないかと察せられますが、言語によって残り方は異なります。多くの言語で性を区別する必要が薄れてはいますが、今回の記事では、果たしてこの区分が、その言語を使う話者の思考に影響をおよぼしているのかを探ります。

■ 影響は幼少期から

言語の性区別が話者の思考に影響を与えるかは、研究者にとって長年の疑問です。アメリカの言語学者のベンジャミン・リー・ウォーフ(Benjamin Lee Whorf)は、言語の違いが思考に影響をおよぼすという仮説「異なる言語を話す者は、その言語の相違ゆえに異なったように思考する」(言語相対性仮説*1)を立てました。ウォーフは、話者の考え方と行動は使用する言語に影響を受けると示唆しましたが、この説は認知科学においては長年、退けられてきました。しかし「言語はどこまでその話者の思考過程に影響するのか」という問いは、今なお言語関係者の強い関心対象となっています。

1980年代のある研究(Guiora, Beit-Hallahmi, Fried, and Yoder, 1982)で、イスラエル・アメリカ・フィンランドの2歳児と3歳児のジェンダーアイデンティティ(性自認)の発達段階の比較・検証が行われました。その結果は、「イスラエルの子どもたちは、性認識の発達のタイミングにおいて、一時的ではあっても、アメリカやフィンランドの子どもたちより先行する」というものでした。これは、性区分の強いヘブライ語*2の話者がその母語の特徴ゆえ、ジェンダー上の差異を、性区分の弱い言語の話者よりも早く意識するようになることを示唆するものでした。「母語における性区分と性自認の獲得には直接的な関連があることが明らかである」と結論づけられたのです。

■ 文法上の性は思考にも影響する

2003年に発刊された書籍 ”Language in Mind” に収録されたBoroditskyらによる研究(Boroditsky, Schmidt, and Phillips, 2002)に注目してみましょう。そこでは、英語に堪能なスペイン語の話者とドイツ語の話者に、24個の対象物(無生物)を見せ、最初に頭に浮かんだ3つの形容詞を英語で書いてもらうという実験を行いました。

この対象物には、スペイン語とドイツ語で文法上の性、つまり男性名詞と女性名詞が逆になるものが同数ずつ選ばれています。対象物の文法上の性は、話者が思いつく形容詞に影響するのか。非常に興味深い実験ですが、結果、参加者は各々の言語で対応する文法上の性に強く関連する形容詞をはっきりと好んで書き出しました。例えば、スペイン語で「橋」は男性名詞 el puente ですが、ドイツ語では女性名詞 die Brücke となります。スペイン語の話者が橋について 「big、strong、long、dangerous、sturdy(頑丈)、towering(高い)」などと形容する一方、ドイツ語の話者は「beautiful、elegant、fragile、peaceful、pretty、slender」と形容する傾向が顕著に見られたのです。これは、母語の文法上の性が、物を対象とした思考に影響を与えていることを示しています。

■ 言語による影響か、文化による影響か

この違いは、参加者の母語における性区分による影響か、それとも文化的な違いに基づくものなのか。あるいは、ドイツの橋とスペインないしラテンアメリカの橋との構造的な違いが言葉の選択に表れたのか。さらに言えば、言語における性区分は文化的な感じ方の違いの結果であって、原因ではないのか。さまざまな疑問が残ります。

Boroditskyらは追加の実験を行い、今度は、英語の話者に架空の Gumbuzi 語と称する言語を教授し、この言語上の女性名詞と男性名詞に分けた12の無生物対象を見せ、この語句に対する形容詞を選択してもらいました。すると、参加者たちは、架空の言語である Gumbuzi 語でも、文法上の性に整合する男性的あるいは女性的な形容詞を選ぶ傾向を見せたのです。この結果から、人の思考は文化的な違いではなく、言語で割り振られた文法上の性によって影響を受けることが示されました。この後も、 Boroditsky らは文法上の性が言葉ではなく視覚(画)のみでも影響されるかどうかを調べる実験を重ねており、言語における文法上の区別が、記憶や言葉や画の表現に何らかのバイアスを与えることがある、と示しています。

他方で、考え方における違いは文法の違いと文化的な違い(文化的要素の欠落)のみによって生じるとする研究もあり、一概には断定できません。言語はコミュニケーション手段ですが、アイデンティティを示すものでもあります。人は所属する社会集団の中で育ち、時間をかけて母語や文化を体得しているため、母語における性区分が話者の考え方に影響をおよぼしていると実験で示されても、どのように、かつどの程度の影響を受けているかを見極めることは難しく、言語学・社会言語学などの分野を中心に、研究は継続されています。

■ 社会が性区分を変えることは?

では、反対に言語における性区分が話者あるいは社会の影響を受けて変容することはあり得るのでしょうか。

近年、国によってはポリティカル・コレクトネスやジェンダーフリーといった新しい考え方が台頭してきており、このような社会的観点から、言葉の選択や言い方が変わることがあります。また、最近では英語で he とも she とも呼ばれたくない LGBT*3 を配慮し、AP通信が they を三人称単数として利用するのを認めました。この they の使い方が世界的に広がるか否かは、これからの動きを見なければなりませんが、少なくとも英語においては、生物学的な性ではなく社会概念における性の考え方が言語に影響を与えることになりそうです。つまり、言語が人の考え方に影響するのと反対に、人の営みから言語に影響が出ることもあり得ると言えるのではないでしょうか。

日本人にとっては理解と記憶に時間がかかる他言語の性区別ですが、世界の共通語である英語話者にとっても、これは苦労の種のようです。性区分がなくなるとは考えづらく、 文法的性 を含め言語の特徴が話者の思考におよぼす影響については、今後も研究が続きそうです。

注釈:

*1 ウォーフとその師エドワード・サピア(Edward Sapir)の研究の機軸を成し、サピア=ウォーフの仮説とも呼ばれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%94%E3%82%A2%EF%BC%9D%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%81%AE%E4%BB%AE%E8%AA%AC

*2 ヘブライ語には原則として男性と女性の2区分で中性はないが、複数形や動詞の人称変化にも性の区分がある。

*3 LGBT:レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシャル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字をとった表現。
 

翻訳だけが仕事じゃない――ランゲージサービス会社に求められるもの

ランゲージサービス

グローバル化した現代社会。そこで成功を収めるためには、情報の多言語展開、つまり「情報のグローバル化」も欠かせません。個人事業者から多国籍企業まで、多種多様な形態のビジネスが展開される中、製品あるいはサービスに関する情報を即時に、かつ正確に広げていかなければ生き残れない時代です。多くの企業が、急速に進むグローバル化に応じて、世界中の顧客に情報を伝達する必要に迫られています。翻訳または通訳業務を提供するランゲージサービスプロバイダーも例外ではありません。

■ ランゲージサービスは翻訳に留まらない

ランゲージサービスを提供する企業に求められるのは、もはや言葉の置き換え(=翻訳)に留まりません。顧客の情報を言語的・文化的に適切に伝えると共に、「付加価値」を生み出すことで顧客の時間とコスト削減に貢献しなければなりません。単純な逐語訳を大きく上回る質、つまりはインターネット上での検索のされ方を考慮し、SNSで話題になる可能性にも配慮しながら、適切に言葉を選択するとともに、文章の構築にも気を配ることが求められているのです。

言葉(テキスト)だけではありません。色彩、イメージ、シンボルなどを文化や状況に応じて適切に用い、それぞれの国のターゲット層に与える印象を、ふさわしいものにする必要があります。プロバイダーは、顧客がターゲットとする市場の言語・文化・習慣・特性までをも熟知する専門家としてサービスを提供し、顧客の競争力獲得を支えるのです。

■ 翻訳を誤ると……

ランゲージサービスの役割が大きくなる反面、言葉の適切な使用を誤って、顧客の事業に傷をつけてしまう可能性もあります。実際、ビジネス関連の文書においても、翻訳の失敗例が数多く見受けられます。これは大きな問題を引き起こしかねません。ビジネスにおける誤訳は経済的損失だけでなく、企業イメージを損なう恐れすらあるためです。

顕著な失敗例の1つに、ドイツの大手自動車メーカーのアウディ社が2009年5月に打ち出した広告があります。ハイスペック高級車「RS6アバント」の新車プレスリリースにおいて、広告会社がドイツ語の原文にあった車名を「ホワイトパワー(White Power)」と直訳したことに端を発し、大きな騒動に陥りました*1。“White Power”とは白人至上主義を示し、この思想と人種的憎悪のスローガンとして用いられるに留まらず、ネオ・ナチ運動をも意味するものであり、アウディ社のイメージを大きく損なうものとなってしまいました。

国際問題に発展しかねなかった誤訳も存在します。比較的最近の話では、2016年の9月にTPP(環太平洋経済連携協定)関連法案の文書内に、誤訳が多数あったことが報道されました。外務省によれば、誤訳や表記ミスはTPP協定に3か所、付属文書などに15か所の計18か所もあったとのこと。中には「国有企業」が「国内企業」と訳されるなど、まったく意味が異なってしまうものもありました。この内容を国会で長時間かけて審議していたことを考えると、非常に危ない橋を渡っていたことがわかります。

■ ランゲージプロバイダーを利用するメリット

では、誤訳や不適切な翻訳を防ぐためにはどうしたらよいでしょうか。失敗例から学ぶのはもちろんですが、多言語化を行うにあたり、言語ソリューションサービスを提供するランゲージプロバイダーと関係を構築するのも一案です。ランゲージプロバイダーを利用するメリットを以下に記します。

1.ウェブサイト、製品情報のプレスリリースなどのマーケティング・宣伝活動において事業内容に応じた専門的な翻訳が提供される。
2.ターゲット市場に在住するネイティブ翻訳者が翻訳作業に関与することで、発信するメッセージが意図した通りに伝達される。また、マーケティングの一環でキャッチコピーが必要な場合でも、ネイティブ翻訳者が文化的な調査・表現の調整を行うことで、自然なコピーの作成が可能になる。
3.翻訳を行う上での翻訳者への指示書および参考資料の準備・作成を行ってくれるため、要望が明確に反映される。
4.ニーズに応じて最適なプラン(翻訳者やチェッカーの人数のアレンジ、翻訳工程の柔軟な組み立て)を遂行してもらえる。
5.ほとんどの場合、ファイル形式を変更することなく翻訳を依頼できる。
6.どの市場をターゲットにするか、どのコンテンツをローカライズするのかなどを、言語戦略コンサルタントに相談できる。
7.煩雑な情報の整理や翻訳を一任できることで、企業本来の事業、製品やサービスの開発・宣伝活動の考案に注力することができる。

■ ビジネスを後押しする翻訳とは

先にあげた失敗例とは反対に、素晴らしい翻訳によって新しい国でのビジネス展開が成功した話や、ターゲット国のニーズを的確につかめた、といった好事例もあります。単に言葉を置き換えるだけでなく、ターゲット市場に則した言葉や言い回しに変換することで、好評を得ることもできるのです。

例えば、世界中で絶大な人気を誇るポケモン。このゲームに登場するキャラクターの中には、それぞれの言語によって異なる名前が付けられているものがいます。プリンという人気キャラクターは英語では「Jigglypuff」(「Giggly」は「くすくす笑う」、「Puff」は「ふわっと柔らかいもの」という意)、カメックスは「Blastoise」(「発射」を表す「Blast」と「亀」を表す「tortoise」を合わせた造語)というように。キャラクターの見た目と、その言葉が持つイメージに合わせた名前にすることで、現地の子供たちにもより親しみやすいものになっています。的確なローカライズがヒットを後押しした例としてあげられるのではないでしょうか。

ランゲージプロバイダーは、名前の変更提案のようなものも含め、ターゲット市場で顧客の商品またはサービスが受け入れられるよう、付加価値の高い翻訳を通してビジネスの成功をサポートします。プロバイダーが擁する翻訳者は、それぞれの言語に精通しているのと同時に、IT・小売・金融サービスなどの専門分野にも熟達しています。この翻訳者の技能が翻訳に要する時間とコストを削減し、ひいてはブランド力の向上にもつながると言えます。刻々と変わる世界市場。ランゲージプロバイダーを活用し、良好な関係を構築することも世界でビジネスを成功させるための有力な選択肢の一つと言えるのではないでしょうか。

参考サイト:
*1
https://www.google.co.jp/amp/s/amp.carscoops.com/2009/04/avus-issues-press-r
elease-on-audi-rs6.html

http://www.deseretnews.com/article/705367406/Downplaying-linguistic-ability-
can-sometimes-be-to-your-advantage-in-business.html?pg=all