心で叫んでも、研究続行 – プロジェクト管理と不確実性(前編)

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、コロナ禍で研究の不確実性を実感した2020年を振り返っての記事です。インガー准教授の心の叫びや、プロジェクト管理に付きまとう不確実性と対処方法を前後編でお届けします。


2020年。何という一年だったのでしょう。皆さんにとってはどうか分かりませんが、世界が混乱に陥った年、私にとっては仕事に集中することは難しい一年でした。学生や同僚たちの前で平静さを保つために、私は声に出さずに心の中で叫んでいました。まるで、真面目な顔で遊園地のジェットコースターに乗っている日本人が、感染防止のために叫び声を抑えるように。もちろんマスク着用です

とはいえ、コロナ禍に限らず、いかなる時も研究は大変です。計画通りに進むことはありません。学術研究というものは、綿密な計画を立てたとしても大きく逸脱してしまうものなのです。

私は、周りからは効果的に研究を行っている、生産性の高い研究者だと目されているようですが、想定通りに進行したプロジェクトはいまだかつて一つもありません。大抵、なんとか期日に間に合わせます――とは言っても、提出を約束した日から1、2か月遅れて出している状況で、いつも最後はがむしゃらに仕上げることになります。

こんなハメに陥っているのは、私だけではないはずです。学生の多くは、博士課程を卒業するのに3.5年ではなく(訳者注:日本では博士課程卒業に要する年数は3年と言われているが国や大学院、学部によって差があります)、約5年を費やしています。そしてオーストラリア国立大学(ANU)でも約20%の学生しか予定通りに卒業することができないのです。決して学生たちが怠けているわけではありません。これをお読みの皆さんの中にも、日々苦労しているにもかかわらず、博士課程の進行に遅れが生じているという方もいるでしょう。

計画通りに進まないのはPhD課程だけではありません。複数の著者との共著書籍の出版プロジェクトなども遅れがちです。担当した章を予定通り、つまり期日から1カ月遅れで提出したところ、著者たちの中で私が最初に原稿を出したと編集者に感謝されました。それが1年半前。以降、その書籍の刊行については、なしのつぶてです。おそらく、他の著者の原稿がまだなのでしょう。

研究者は、なぜ提出期日に間に合わせることができないのでしょう?

期日を守るための適切な訓練を受けていない、というのが一つの理由でしょう。大学としては、博士課程まで進んだ学生は、しっかりしていて、頭の中も整理された状態で作業ができて当然だとみなしているのだと思います。これはかなり雑な決めつけです。例えば学生当時の私の専門分野は建築でした。学部生だった5年の間に建物を建てるためのプロジェクト管理について学んできたと思われるでしょうけれど、実際のところは、ほとんど何も教わりませんでした。プロジェクト管理の手法を覚えることができたのは、建築事務所に出入りをしていた10年ほどの間です。例えば、プロジェクト管理や生産管理に用いられるガントチャートの使い方を学ぶことができました。ガントチャートとは、下図のようなプロジェクトの各タスク(工程)のタイムラインを可視化するものです。

これに類するものを作成したことのある人も多いことでしょう。博士課程の学生には、定期的にガントチャートを作るよう勧めています。グラント(助成金)への応募に際しては、助成機関に対しプロジェクト完了の日程を現実的に見積もる能力を示すため、こうしたガントチャートが必要になります。まずこれを見て応募者をふるいにかけるという機関もありますので、ガントチャートの作成能力は大切です。興味のある方は、Research Whispererでシンプルなグラントチャートの作成法が紹介されているので参考にすると良いでしょう。

ガントチャートは有用です。

でも、実際に研究プロジェクトを管理する上で万能とは言えません。

ガントチャートはプロジェクトをどう進めようと思っているかを説明する上では役に立つでしょう。しかし、実際のタスクと時間という二つの要素への対応が必要な研究者は、ガントチャートを作成しただけですべてに対処できるわけではありません。しかも研究プロジェクトに想定外は付きものです。実験は計画どおりに進まず、インタビューには予定より時間がかかり、アーカイブされた資料を閲覧できる期間は限られている等々、プロジェクトの進行を阻む出来事が多々起こります。ガントチャートを作成した直後から、時間やタスクに関して楽観的過ぎたように見え始めることでしょう。そうして、ガントチャート通りにプロジェクトを進めるのを諦め、ひたすら頑張って作業を続けるのです。進捗状況を報告する必要性に迫られたときになって、当初作成したガントチャートを引っ張り出してきて、自分がやろうと思っていた計画と実態を比べることになります。そのときガントチャートはどう見えるでしょう?作成当時に必要だと思って書き込んだタスクがまったく無駄だったり、反対に本当に必要なタスクが抜け落ちていたりすることに気付くかもしれません。

優れたプロジェクト管理能力は、優れた学術研究者であるために中核的な要素です。私は膨大な冊数のプロジェクト管理関連の書籍を購入しましたし、ソフトウェアにも多額の投資を行いました。それらは少しは役に立ちましたが、プロジェクトの進行に遅れが生じるという根本的な問題を解決するには至っていません。最近は、ツールに頼るのをやめて、遅れること自体について深く考えるようにしています。「On the Reg」というPodcastでもプロジェクト管理についての文献を取り上げました。(Google Scholarで「プロジェクト管理 機能しない」と検索して、最も興味深い論文を読んでいったのです。)そしてGoogle Scholarの引用検索機能のおかげで、タイトルは面白みに欠けるものの中身は有益な「A framework for project management under uncertaintyという論文に出会うことができました。これは2002年に発表された、Arnoud Meyer、Michael Pich、Christoph Lochの共著による論文です。

この論文を読んで、理解者を得られた気持ちになりました。私の日々のプロジェクト管理との格闘を著者たちは正確に理解していると思えたのです。Meyerらはまず始めに、プロジェクトとプロセスの違いを明確にしています。彼らによれば、プロセスとは「繰り返し行われる活動を手順通りに遂行すること」で、学術界におけるタスクの中では授業の準備がこれに当たります。さまざまな授業があるでしょうが、その準備には一定のステップがあります。文献資料をまとめて講義ノートや動画を作成したり、作業を立案したり、学習成果を段階的に示すための評価基準を調整したりしなければならないのです。(授業の準備をプロセスとして扱うことで効率化が図れますが、それについては別の機会にお話ししましょう。)

次はプロジェクトですが、著者らによると、プロジェクトとは「類似したもののない一過性の活動の遂行」で、①タスクの管理、②利害関係を持つ人や集団との関係性の管理、という2つの大きな構成要素があるといいます。博士課程においては、指導教官が主だった関係者で、実験やデータ収集、その他の作業などがタスクに当たるでしょう。他に利害関係が生じるのは、研究をサポートしてくれる大学や、研究者コミュニティー、研究によって恩恵を受けるかもしれない一般社会などです。他との関係をまったく持たずに研究を行うことはできません。どのような研究者も最終的には研究のすべてを利害関係者に報告する必要があるので、プロジェクトを管理し報告書をまとめておくことは不可欠です。

利害関係者が問題視することの多くは、研究タスクに伴う不確実性に起因しており、Meyerらは3つのカテゴリーに分けています。

  1. 予期できる不確実性:タスクに予定以上の時間がかかる、リソースが迅速に得られない等々、誰にでも起こりうる不確実な事態。
  2. 予期できない不確実性:予期できない出来事に対して代替プラン(プランB)が準備されていないもの。例えば、洪水や嵐、パンデミック、火災など。2020年は、この予期できない不確実性に見舞われ、広範囲で実験的な試みが行われる事態となりました。
  3. 無秩序な不確実性あるいは騒然とした状態:全く新しいことを行おうとするため、プロジェクトの計画そのものを前もって完全な形で準備できない状態。全てが流動的で、プロジェクトの中で、手法や結果、課題そのものが変化していくような場合。

Meyerらは、3つ目の無秩序な不確実性が、プロジェクト管理を困難な状況に追い込むと言っています。私も、博士課程の学生がこの無秩序な不確実性によって混乱に陥ったのを多々目にして来ました。ある特定の手法に基づき研究に着手し、得られた結果に混乱し、研究計画を練り直すということを繰り返すのです。多くの学生が、その特定の手法を再検討する際、その手法で得られたデータや記録も同時に手放してしまうのです。私自身も同じことをしました。そうして、プロジェクトを何度も何度も一からやり直すのです。

一般的によく知られている(けれども、ほとんど語られることのない)事実は、多くの博士課程の学生が、具体的な研究課題を、答えが得られてから後付けで確定させているということです。私の論文講習プログラムに参加する学生は、多くが、その時点ですでに疲労困憊しており、自分の研究は失敗だと思い込んでしまっています。実際のところ彼らは3-4年の間、無秩序な状態から脱出できずに煮詰まっているのです。そんな状態が続いていれば疲労困憊しても不思議ではありません。誰もが何とかしたい!でも、どうすればいいのか?後半では対処戦略を紹介します。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/12/02/please-keep-doing-your-work-while-you-scream-inside-your-heart-a-guide-for-research-project-management-during-covid/

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