博士課程(PhD)のシンボル

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回のテーマは、博士課程の道のりを共に歩む博士号のシンボルについてです。


博士課程に人生が縛られている、悪い意味でそう感じることはないでしょうか。本稿ではフィオナ・ロバーズ(Fiona Robards)博士が、適切に制御しなければ侵食性の雑草にもなりかねない竹の話から、獲得すべきレジリエンスについて語ります。

フィオナ・ロバーズ(Fiona Robards)は、政府と地域の医療部門に戦略、政策、リソース開発を提供する独立系コンサルタントです。彼女のプロフィールについては、こちらをご覧ください。

以下フィオナの文章です。

博士課程をスタートしたとき、私はこの新しい成長の機会に心を躍らせ、熱意に満ちていました。私は、「研究室の荒波にもまれて(Thesis Whisperer)」に掲載されたジョディ・トレンバス(Jodie Trembath)の記事に書かれていた「PhDのシンボル(原文:英語)」を持つことについて読みました(彼女は当初「PhDのシンボル」ではなく「PhDのトーテム」という言葉を使っていましたが、アメリカの先住民研究者たちからの要請で変更しています)。

そして、大学の自分の新しいワークスペースの机の上に、竹を買いました。緑色でみずみずしく、力強く成長する姿が気に入ったため、それを私はPhDのシンボル、または「PhDの竹」としました。竹は、私自身の成長とともに、どんどん大きくなっていきました。PhDの竹を見ると、やる気が湧きました。

1年ほど経つと、竹は高さを増し、小さな植木鉢では支えきれなくなりました。ある時、私は同僚に「PhDの竹」の世話を委ねて学会に出かけました。帰ってくると、同僚が書いた「植え替えて!」という竹の台詞が付箋で鉢に貼ってありました。明確なメッセージです。そこで、私は竹を植え替えました。より正確に言うと土から取り出して水の入った背の高い花瓶に挿したのです。

PhDの竹は、私と同様に新たな成長フェーズを迎えました。データ収集が完了し、分析の段階に入った私も、スキルと知識を成長させていきました。

多くの博士課程の旅がそうであるように、私にも困難な時期が訪れました。研究で給与がもらえる期間が終了し、ワークスペースを利用できなくなったのです。私は自宅で仕事をし、PhDの竹も一緒に持って帰りました。指導教官からのサポートも得られなくなり、孤立感が強まりました。

竹は花瓶でも直立できないほど高くなり、十分な支えがないと倒れるようになりました。そこで、切った枝を花瓶にぎゅうぎゅうに詰めました。

博士課程の最後の1年間、私は指導教官のサポート不足の問題を解決しようと試みましたが、あまり成果は得られませんでした。そして、PhDの竹を嫌悪するようにもなりました。もはやいきいきとしたみずみずしさもなく、私のようにもがいていたのです。書斎に置いておくも嫌でしたが、それでも、PhDのシンボルを手放すわけにはいかないと思いました。そこで、空き部屋のドアの後ろに隠しました。 掃除機をかける時以外はその存在を忘れて、目に入ったら「いまいましいPhD竹め」と呪うのです。その結果、何本かは枯れてしまいました。

課程が終わりに近づいた頃、私はPhDの竹を再び目立つ場所に出して、より大きな花瓶に移しました。解放された竹は幸せそうに見え、再び成長し始めました。PhDの竹に余裕ができると、今度は私にも余裕が出てきました。

論文を提出した私は、旅が終わっていないものの、そろそろPhDの竹を手放たいと思いました。破棄してしまうのは嫌でしたから、手放すことにしました。卒業パーティーで竹に乾杯と告げた後、自宅の玄関前に出して、新しい住処をあてがってくれる通りすがりの人に引き取ってもらうようにしたのです。

竹とお別れして寂しいとは思いませんが、共に歩んだ旅路に懐かしさは感じます。不必要な苦労もありました。でも、PhDの竹も私も大きく成長し、幾度も変貌を遂げられたのです。ありがたいことに、竹は新たな暮らしを歩むことになり、私も新たな人生を歩むことになりました。

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