森口iPS細胞事件

1962年、英国のジョン・ガードン博士がカエルの細胞の初期化に成功し、「従来の常識を覆した」と賞賛されてから半世紀。あらゆる種類の細胞に変化できる iPS細胞(人工多能性幹細胞、新型万能細胞)を使った再生医療は、夢の治療として世界がしのぎを削る臨床応用の激戦地です。そんな国内外で急速に進むiPS細胞の研究、それによる新たな初期化の方法の確立によって、山中伸弥教授(京都大学iPS細胞研究所)が日本人として25年ぶりとなるノーベル医学生理学賞を、ガードン博士と共同で受賞したことは、本当に喜ばしいことです。
その喜ばしいニュースもつかの間、10月11日に世界を驚かしたのが、森口尚史氏(自称米ハーバード大学客員講師)らによるiPS細胞の臨床応用成功のニュースです。当初の『読売新聞』の記事によると、森口氏らは「iPS細胞(新型万能細胞)から心筋の細胞を作り、重症の心不全患者に細胞移植する治療」に成功し、 「(10月)10、11日に米国で開かれる国際会議で発表するほか、科学誌ネイチャー・プロトコルズ電子版で近く手法を論文発表する」とされました。 「ハーバード大の関係者」とか「国際会議で発表」と言われると、思わず信頼しきってしまうのが人情というものでしょう。
しかし、このニュースが世界中に広まると同時に、米マサチューセッツ総合病院とハーバード大学が「森口氏に関連した治験が承認されたことはない。現在、両機関とも森口氏と関係はない」との声明を発表。また、ロックフェラー大で開かれていたトランスレーショナル幹細胞学会では、森口氏らのポスターが「内容に疑義がある」として撤去されました。
その後、森口氏が「実験は6件ではなく1件のみ行われた」、「実験は自分の名前で申請されておらず、他の研究者の名前で申請されている」、「共同研究者と話をしていないので、何も答えられない」など、うやむやな対応を続ける中、森口氏の職歴や交付されてきた補助金の使用用途の是非などさまざまな問題が浮上しました。疑惑は、大学院時代の指導教官で19本の共著論文がある佐藤千史教授(東京医科歯科大)にまで及んでいます。データの検証もせずに論文に名を連ねるのは、研究者にあるまじき行為、と批難を浴びました。
その結果、森口氏は所属していた東京大学医学部付属病院から懲戒戒告処分を受け、佐藤氏も退職を余儀なくされました。
「明日発表したのではライバルに追い抜かれる」という研究者の恐怖と、「iPS細胞の斬新な研究を発表すれば、研究者としての地位をより向上することができる」という研究者の夢が、まったく実在しない架空の御伽噺をここまでつくりあげてしまったのでしょうか? 嘘が嘘を呼び、知らないうちに自分でもどうしようもない嘘の世界を築いてしまったのでしょうか?
もし、「これぐらい」とか「みんなもしていることだから」などという思いがよぎったら、森口氏に起こったことを思い出し、自分に厳しい対応をすることをお勧めします。最終的には、研究者としてだけでなく、人間として正しい道を選びたいものです。

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