論文は専門用語の使い方で信頼を得る

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、ミューバーン准教授がジャーナリストの書く文章と論文の違いは読者の知識量と解説し、論文著者として信頼を得るために論文中でどう専門用語を使うべきか語ります。


ほとんどの人は、博士課程に入る時点で文章能力を身に付けていますが、論文の執筆には特殊なスキルが必要です。論文を執筆するには持っている文章スキルを 「論文スタイル」 に修正しなければなりません。これまで私が見てきた中で論文スタイルに最も手を焼いているのは皮肉なことにジャーナリストたちでした。

既にジャーナリストとして活躍してきたとあれば、博士号取得までの試練の中でも執筆についてはことさら既に乗り越えているものだと期待するでしょう。しかしジャーナリストたちが、論文の執筆が難しいと感じる明らかな理由があるのです。ジャーナリストは一般読者向けの文章を書くことに慣れており、その主な役割は、その話題についてよく知らない人々に状況や考えを伝え、説明することです。対照的に、論文とは専門家が他の専門家に情報を提供し、自分の見解について納得してもらうために書かれるものです。

高い専門性を誇る読み手は簡単には納得しないため、博士課程の学生の原稿に、私はよく次のようなコメントを書きます。

「本来は複数形でも、慣例上、単数表記。英語はバカなのです」とコメント欄に記入しています。

私は指導教官としては、文法の 「ルール」 についてはかなり寛容です。文法のルールなど人が作ったものなのですから。むしろ私は、文法的に正しいことより「社会的に正しい」文章を学生が書くお手伝いをします。「社会的に正しい」文章 とは、想定される読者の期待に沿う文章という意味合いです。

学術界の研究者同士のコミュニケーションのためのライティングは、マスターするのが最も難しい作文技術の1つです。専門家である読者は、自分の研究トピックに関連する研究方法に関する知識や、一般的な背景などを理解しているという前提で書かなくてはなりません。ただし、研究者であっても自分のトピックについては自分ほど詳しくないという認識も重要です。自分が採用した研究手法を知っていたけれど使ったことはないという読者もいるでしょうし、30年来ほぼ毎日、その研究手法を使っているという読者がいるかもしれません。また、その分野の研究の歴史について非常に詳しいかもしれませんし、何の知識も持っていないかもしれません。

論文の場合、その読み手の知識量をあらかじめ知るのは不可能です。論文の審査を行う担当者は、研究トピックについての知識量ではなく、その論文から新しいことを学び取る能力によって選ばれるからです。誰もが研究論文から何かを学び取れるわけではありません。例えば私の場合、量子計算の論文の単語を追うことはできますが、その意味を理解することはできません。つまり、論文というものは特定の専門家に合わせて書かれるものなのです。

論文の主な目的は他の研究者に情報を提供し、その分野の知見を発展させることです。論文を教育的な (または教えたり学んだりするための) 手段として捉えることで、何を書いて何を書かないかが決めやすくなるでしょう。自分の発見や解釈について、研究者である読者に理解してもらい、納得してもらうためにはある程度の背景情報を含めなければなりません。研究者相手ですから、読者がすでに知っている情報が含まれる可能性もあります。興味深く有益な文章と、説教臭い退屈な文章は紙一重なのです。この課題を克服するには、いくつもの戦略が必要になります。

まずは専門用語について考えてみましょう。一般的な文章作法では、専門用語の使用は控えるべきだとされ、ほとんどのジャーナリストは当然のことながらあまり使いません。しかし論文では専門用語を使用する必要があります。使用しなければ、 「正しい」 用語や略語を知らない著者だと思われてしまう可能性があります。専門用語は 「内輪の言葉」 で、自分が 「学術界」 の一員であることを読み手に示すものです。しかし、どんな分野でも専門用語が多すぎるのも事実で、読み手の中には、特定の専門用語に出会ったことがない、あるいは忘れてしまったという人がいるかもしれません。ですから、メジャーではない専門用語については短い説明を脚注などに含めたり、意味を詳しく説明する用語集を付けたりすることをお勧めします。重要なのは、テキストの流れを中断せずに、必要とする人のために注釈を用意することです。

研究者どうしのコミュニケーションにおけるもう1つの課題は、面倒な背景情報をいかに扱うかです。例えば、私の学生の一人は、研究教育の分野では比較的珍しい分析手法である機械学習ニューラル言語処理 (ML-NLP) を使っています。高等教育に関する研究者の多くは、対面調査やその他の標準的な調査手法を取っているため、論文の審査官はこうしたコンピュータサイエンスについては何も知らないと考えてよいでしょう。ML-NLPの原理に馴染みのない読み手の理解を促すために必要な説明は膨大になり、それだけで別の論文1本分にもなってしまいます。ですから、この論文において研究方法のセクションを書くのは困難です。この研究方法を教育の研究者に十全に伝えようとすると、重要な発見が締め出されてしまうのです。この学生の場合は、概念を理解したいと望む読み手に対しては十分な資料を提供し、信頼してもらわなければなりません。

読み手の信頼を獲得する方法は、いくつかあります。平易な英語で説明がなされている情報源を示す参照と脚注がその1つです。もう1つは詳細な解説資料を添えることです。このような添付資料は通常、論文の語数にはカウントされません。現実的には、ほとんどの読み手はそうした情報源にはアクセスせず、自分が知らない概念について学習することはありません。しかし読み手に対して情報源を提供することで、自分の手法をしっかりと理解した上で研究を行っている著者だと信頼してもらえるのです。

研究者を読み手とする論文では、一文一文、綿密に意味が積み上げられます。例として、最近、私が学生の原稿に残したコメントを見てみましょう。

「非常に明白なことを言う際は、読者にとって既知であろうと書き添える。これは、研究者どうしのコミュニケーションである論文を書く際に必要な手法。」

このケースで学生は、発見した内容の常識的な解釈を提示することで、より精緻な議論を構築しようとしていました。私のコメントは、「話に加わってくれ」と読者を誘うべきだという指摘です。彼女は、例えば、次のような書き方でそれを行えるでしょう。

“As we might expect, …(予想される通り)
“As is commonly understood, …”(一般的に理解される通り)
“Obviously, …”(明らかに)

こうした文頭の文句は、とても古くさい印象です。

これら文言は、読み手にシグナルを送ります。読み手がすでに知っていることは承知の上で、専門家としてまともに取り合ってもらうために書かなければならないことを書いているというシグナルです。こうした洗練されたテキスト戦略を取ることで、何かを学んだことを証明しようとする学生ではなく、別の研究者に対して語りかけるひとりの研究者としての自分の立ち位置を確立できるのです。

論文を書き終えることなど不可能にさえ思えることが私にもあります。このレベルで細部にわたって注意を払っていくのは、正直言って困憊する作業なのです。「そんな、細かいことはどうでもいい」と言われる学生の方の言い分も否定はしませんが、読み手の期待に従わないことにはリスクが伴うということは覚えておいてください。皆さんの指導教官が、研究者どうしのコミュニケーションについて十分な知識を持っていて、論文草稿の余白に詳細なコメントを残してくれることを望みます。もしそうでなければ、カムラー(Barbara Kamler)とトーマス(Pat Thomson)による名著「Helping doctoral students write」を読んで、その中のアドバイスを自分の論文に活かせるか試してください。

論文の中でこのような手法を使えば、優越感に浸れるかもしれません。しかしこの手法にも注意が必要です。たとえば、”Obviously”などという言い回しは、自分の述べている内容が他の研究者にとって確実に明らかな場合にのみ使うべきで、そうでなければ独断的な印象を与えてしまいます。その話は、また別の機会に。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2021/05/05/how-to-make-your-dissertation-speak-to-experts/

返信を残す

あなたのメールアドレスは公開されません。

X

今すぐメールニュースに登録して無制限のアクセスを

ユレイタス学術英語アカデミーのコンテンツに無制限でアクセスできます。

* ご入力いただくメールアドレスは個人情報保護方針に則り厳重に取り扱い、お客様の同意がない限り第三者に開示いたしません。