成功した研究者に降りかかる問題と対処

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、インガー准教授が、「研究者としての成功に起因する問題=the problems of success」にはどのようなものがあるか、そしてその対処法について語ります。


このブログ「研究室の荒波にもまれて」(The Thesis Whisperer)は年を追うごとに勢いを増しています。そして、人の目に留まる、ということは学術界で価値になります。ことわざで、転がる石は苔を集めるといいますが(追記:正しくは苔を集めない=A rolling stone gathers no moss.でした。むしろ「雪だるま式」でしょうか?)、私の場合は苔=チャンスです。このサイトのおかげで、基調講演やワークショップの開催、書籍への寄稿、研究助成などのオファーが来ます。そして、そんなチャンスを受け入れることは学問的な成功につながります。現在の私は、名のある大学の准教授で、好きなことをするだけの給与もいただいています。私は学問的なサバイバルを生き残ってきていますが、それで私の生活にトラブルがないことになるでしょうか。

残念ながら違います。私たちは学術界での失敗に対する備えはできていますが、成功に対しては備えられてはいないのです。

学術界での失敗は珍しいことではありません。就職ができない、論文が出版できない、学会発表が認められないなど、学問的追求にまつわる問題は数多く存在します。そして学問上の失敗への対処方法については、たくさんのアドバイスがあり、多くの人々に共感されます。一方の、成功によって生じる問題について具体例を挙げるのは難しく、議論されることも少なく、仲間の研究者から共感を得ることもほとんどありません。

友人で(有名な社会学者の)デボラ・ラプトンの例を見てみましょう。この記事を書いている時点で、彼女の論文の被引用件数は26740で、h指数は70です(私の被引用件数437とh指数9と比べるとイメージしやすいでしょう)。最近彼女は、匿名化された自分の論文を読んだ査読者に「ラプトンの著作が引用されていない」と指摘され、それを受けて提出した最終版について、今度は自分の著作を引用し過ぎだと批判されたと不満を漏らしていました。私たちのほとんどは、20冊もの著作がある訳ではありませんし、デボラのような革新的で創造的な思想家として世界中に知られている訳ではありませんが、成功の結果として生じる問題について考えることには価値があると思います。私は何年もこれについて考えてきたのですが、ある同僚がランチをしながら研究者としての成功が原因で生じる問題を洗い出すのを手伝ってくれたおかげで、今回ようやくその原因を整理して記事とすることができました。コメント欄から、皆さんがお考えの成功にまつわる失敗のリストもいただければと思います。

同業者や同僚からの嫉妬

以前私は、自分の経験を元にした「Academic Assholes and the Circle of Niceness」という記事を投稿しました。同業者からの嫉妬は様々な形で現れます。冷遇される、悪い噂を流される、貶される、根回しをして排除される、仕事を横取りされる、等々。

同業者や同僚からの嫉妬でやっかいなのは、成功に対する他者の羨望と、それが引き金となる行動が、表向きは直接結び付いていないことです。例えば、あなたの過労が心配だと言いながら、あなたの仕事の質の悪さを上司にほのめかす同僚がいるかもしれません。あるいは「ブログ執筆でお忙しいでしょうから」という理由で、重要なプロジェクトの蚊帳の外に置かれることもあるでしょう。博士課程の学生たちの間では、研究上の嫉妬は、相手の自信を挫くような質問に現れることもあります。「なぜ、そんな事に時間を費やすのか?」、「なぜ、あの先行研究が引用されていないのか?」、「なぜ、この研究方法を取らなかったのか?」などです。こうした質問は役立つこともあるでしょうが、人間関係を険悪にしてしまうこともあるでしょう。

人は、驚くほど簡単に、他者のひどい仕打ちの原因を自分の中に見出そうとしてしまいます。そうした仕打ちが特定の対象に対し繰り返し行われる場合、それはいじめです。自信を喪失させるような質問を続け、やめろと言われてもやめないような行為は正しくありません。私自身、こうした同業者や同僚からの嫉妬への上手い対処法を知りません。本当に関係が険悪になってしまった場合は、場所を移して野球でも楽しむのが最良の打開策かもしれません。自分の成功を脅威と感じない他の成功者たちと一緒に。

時間食いの無理難題

傍目にも成功していて、仕事が得意で、独自のスキルを持っているような人の所に、人々は困難な課題を持ち込もうとするでしょう。自分の能力が認められているわけですから悪い気はしません。ほとんどの研究者は自分の知識を共有することに喜びを感じるのです。しかし複雑な問題の解決には、時間を要するわりに、ぼんやりとした高揚感以外、直接的な報酬はほとんどありません。

成功した人は、他人を助けるために費やす時間と、自分自身のために費やす時間のバランスを取ることを学ばなければなりません。特に「世話好き」と見られがちな女性が陥りやすいのは、常に無理難題を持ち込まれる何でも屋になってしまうという状況です。寛大な姿勢は望ましいことなのですが、明確な線引きも大切です。簡単にできる線引きの1つは時間です。私の場合、自分の専門分野のトピックについてアドバイスを求められると、たいていランチに誘います。そうすれば仕事の時間を削ることなく、楽しく会話しながら食事ができるからです。問題を抱えた知人から送られてきたメールには必ず返信しますが、何週間も後になることもあります。そして待たせたことに対して謝罪もしません。時間は、自分に与えられたギフトですから自分の思い通りに使うべきです。他人の思うように使われてしまうなら、その人には与えてはいけません。

知識と能力と立場の関係性

これは私自身にも関わる問題です。私は現在の専門分野で14年ほどの経験があり、理論と実践の双方において知識を持っています。必要ならば、おそらく上司が行っている仕事もできるでしょう。しかし私は指揮系統の中にいるわけで最終的な決定権はありません。私はバスの運転手ではなく、後部座席での座り方をまだ習っている最中なのです。

同等の知識を持つのに、力関係が同等ではないという場合は、慎重な対応が必要です。不安を感じる上司なら助言を批判と受け取るかもしれませんし、自信過剰な上司なら、あなたの助言を無視するかもしれません。避けられたかもしれない過ちを傍で見ているのはつらいことです。

このような関係性は、指導教官と学生の間でも見られます。その分野の実務を長年行ってきた学生と、理論的な研究に一生をささげてきた指導教官などの場合です。実務の側から学術的な知見を評価するのは簡単ではないでしょうし、その反対もしかりです。敬意をもって相手の声に耳を傾けるには、お互いの努力が必要で、立場の上下があればなおさらです。

チャンスを取捨選択する難しさ

転がる石と苔の話を冒頭で書きましたが、成功はチャンスを生み出します。運とは、準備のできた状態でチャンスに出会うことです。そしてチャンスを得れば得るほど、人は幸運になるのです。たくさんのチャンスがあること自体は素晴らしいのですが、良いことだけではありません。テーブルの上にたくさんのチャンスが並べられた状態でそれらに優先順位をつけるのは簡単ではありません。そして、たくさんあるチャンスの全てを利用しようとしても、そのための時間が十分に取れないのであれば、結局は自分の価値を貶めてしまいます。

ジェイソン・ダウンズという友人が、住宅ローンを提供する銀行のために、自動車で住宅を評価して回る仕事をしていました。そんな彼の言っていたことに真実が含まれていると思います。「週に一度は、夢みたいな家があるんだ」。機会を逃すのが耐えられないのは、その機会が二度と訪れないという恐れによるものでしょう。でも、夢のような家はいつも複数あるのです。良い仕事をしていて、他の人にそれを認められたら、同じチャンスやそれに類したものが、いずれまた現れます。信じてください。

これが私の考える「成功によって生じる問題」です。皆さんにとって「成功によって生じる問題」はどんなものでしょうか。上に挙げた項目以外に思いつくことがあれば、ぜひコメントをください。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2018/10/24/everyone-prepares-you-for-failure-but-what-are-the-problems-of-success/

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