学術界の外はサーカス。成功に必要なのは、ピエロの靴? 後編

オーストラリア国立大学のインガー・ミューバーン(Inger Mewburn)准教授が、大学院で勉学に勤しむ学生さんにお役立ち情報をお届けするコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。前編では研究者が学術界を出るのがどれだけ想像がつかないことなのかを話しました。この後編では、それまでの経験を活かして研究者がビジネスで「成功」するヒントが詰まった本を紹介します。


古代ローマの詩の分野で博士号を持つクリストファー・L・カテリーン(Chris Caterine)博士は、研究者がビジネスで成功するためのガイドを書くにうってつけの人物でしょう。理系の大学院生は、「売り物になる」技術スキルを持っていることが多く、自らをデータサイエンティストに変身させることができます。残念ながら、人文系の大学院生は、学術界の外の雇用者に対し自らのスキルが役立つことを納得してもらうのに苦労します。『Leaving Academia: a practical guide』の中でカテリーン博士は、バックグラウンドに関わらず、自身のリサーチスキルを活用できる仕事を見つけるためのプロセス全般を説明しています。

カテリーン博士は、学術界の外の仕事への道筋を、ブラックホールを見つめることに対比させながら話を始めます。

「そこに何かがあることは分かっていても、すべてを謎に包み込んでしまうブラックホール、事象の地平面の向こうを見ることはできない。そして、引力のせいで、その境界面は、引き返すことのもはや不可能な限界地点となっている。事象の地平面を越えた者は、不可逆的かつ完全に姿を変えでもしない限り、帰ってくることができないのである。こうした特質のせいで、学術界を離れることは途方もない、恐ろしいこととなっているのである。」

彼は、人々は恐れと未知という2つの要因により、外縁にさえ近づかないのだと述べています。私の経験上、これは正しいと思います。博士課程にいる限り、しきたりをよく知っている学術界だけが、自分の全世界となるからです。低賃金・不安定であっても、やりがいと面白みにより、多くの人がそこに居続けるのです。私自身9年以上そこで頑張ってきましたし、行き詰まった感覚も十分に理解しています。学術界を離れることについて熟慮するということは、自分の職業上のアイデンティティを再考し、新たな仕事関連のネットワークを構築することと同じです。どこから始めていいかさえ判然としないのです。

この本には実に多くのヒントが含まれます。「恐怖」と題された第1章では、「外縁、境界面へとアプローチする」感覚が臨場感を持ってつづられています。彼は、学術界で打ち砕かれる夢や、学者としてのキャリアを追求する上で迫られる苦汁の選択について嫌というほど理解しているのです。新たな一歩を踏み出すため、知人の一人もいない町で仕事を始められるか?その見返りに何がえられるのか?この章は、あたかも「学術界で夢を追い続ける」人物の語りかけのようです。私は、不安との闘いと投薬治療について書いたことがありますが、他の仕事に就いていた場合でも薬物治療が必要になったかは疑問です。この本を読んでみて、あんな犠牲を払う価値があったのかと考えさせられました。

研究職は快適な精神生活を送ることのできる仕事と考えられがちですが、それは20年以上も前の話です。学術界では大量の仕事を非常に不安定な立場でこなすことを求められるのです。私の息子は、とても幼いころから「お母さんはお父さんより沢山働くのに、給料が少ない」という理由で研究者にはなりたくないと言っていました。息子が気付いていたのは、「成果」を出さねばならないという恒常的なプレッシャーに対応するために私が長時間働いているということでした。仕事量のせいで趣味に割ける時間は限られています。実際、私の趣味のほとんど(ブログ投稿や本のためのライティング、ポッドキャスト配信等)は、形を変えた仕事のようなものです。

マリー・アリックス・ダイユ(Marie-Alix Thouaille)博士は、学術界での夢は「残酷な楽観主義」の一種であると述べています。そこでは「良い生活」への幻想は、研究の励みにはなるものの、同時に害ももたらすと言うのです。常勤の研究職を得たいという願望によって、結局のところ自分のためにならない人生の選択をしてしまうかもしれないのです。研究を続けている人の多くは、自分のやっていることに情熱を持っているのでしょう。そして、研究者の仕事で自分の存在理由や価値まで感じているのです。

つまり、研究者でい続けるということは、言い方は悪いですが、常軌を逸したマインドを持っているということなのです。

学術界での夢を諦め、人生の意味や生きがいを得るために他の道を探すことは、生易しいことではありません。前述の本があって良かったと思うのはそんな理由からです。カテリーン博士は、「自分が問題を抱えていることを認める」という最初のステップから説明し、自身の幸福と健康を優先するため、「学ぶために生きる」というスタンスから「生きるために学ぶ」スタンスに移行する方法を説いています。

この本の中でも特に読みごたえがあるのが、人脈を仕事に結びつけて行くための段階ごとのガイドで、これがあるのとないのでは本書の価値は全然違ったものになっていたでしょう。多くの、いえ、恐らくほとんどの求人は、求人広告に出されることなく決まってしまいます。私自身、広告に出ていない仕事を得てきたことが多かったため、よく分かっていますが、このように仕事を探すのは手間がかかります。カテリーン博士の本を読めば、人脈の育み方とその活かし方を教えてくれるため時間を大幅に節約できるでしょう。

ここで人脈の育み方を細かく説明することはできませんが、興味のある方は是非本書を読んでください。最近カテリーン博士にインタビューを行い、いくつかの秘訣を聞くことができました。 SoundCloud page というところでインタビューを公開していますので、こちらも併せてお聞きください。

私の知る限りカテリーン博士の本は、就職活動後のことや特別な仕事人となる方法について扱った唯一の本です。以前、学術界の外の人々が学術界の批評文化を無作法だと感じるということについて書いたことがあります。あら探しや細部への異常なまでのこだわり、「新奇性」のある成果への執着といった学術界の傾向は、外の業界では役に立ちません。大変な努力をして就職したあげく、職場で嫌味な学者先生のごとく振る舞ってクビになるようなことは避けなければなりません。

カテリーン博士は、外の世界で経験することになる「カルチャーショック」や、学術的なバックグラウンドをトラブルの種とせず、強みとして生かす方法について注意深く語っています。そして、自分や他の当事者の経験をもとに、研究で培った見識を生かし、落とし穴を回避する方法を示しています。世間話の大切さについてもページを割いています。その章の詳細な記述には本当に感心しました。どんな場所で新しく働き始めるにしても、事前に読んでおけば心を落ち着かせることができるでしょう。

学術界を離れることを真剣に考えているものの何から始めるべきかが分からない、というすべての人にこの本を強く薦めたいと思います。また、指導する立場の研究者にも推薦します。サーカスに入りたいと学生が言い出したら、知り合いの象の遺伝学者を紹介するのではなく、この本を学生に与えてみてください。きっと感謝されます。

本記事の前編は「学術界の外はサーカス。成功に必要なのは、ピエロの靴? 前編」をご覧ください。

原文を読む:https://thesiswhisperer.com/2020/09/02/do-you-need-clown-shoes-finding-a-research-job-during-covid-lockdowns/

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