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アメリカの政府閉鎖が学術界に与える深刻な影響

2016年のアメリカ大統領選でトランプ大統領が誕生して以来、学術界にはさまざまな変化がありました。政権の主張に沿わない意見を出す環境保護局や農務省などへのかん口令や、予算の削減、業界団体を参加させるための諮問委員会の再編成などです。また、トランプ大統領は、パリ協定からの離脱やアメリカ国立科学財団(National Science Foundation:NSF)の東京をはじめとする海外事務所の閉鎖も表明し、世界に波紋を広げてきました。

そして、3年目を迎えたトランプ政権は学術界にさらなる厳しいニュースをもたらしました。政府機関の閉鎖です。メキシコ国境との壁の建設費をめぐり、2018年12月22日に始まったトランプ政権下での政府機関の一部封鎖は、クリントン政権下で歴代最長を記録した21日間を大きく超え、35日間に及びました。議会と合意に至り、2019年1月25日に一部解除されましたが、予定していた助成金をいまだ全額受け取っていない研究機関もあり、先行きに不安が募ります。

政府閉鎖の影響範囲

トランプ大統領が不法移民対策としての壁建設費約56億ドルを予算案に盛り込む要求をしたことをきっかけとする暫定予算の一部失効により、政府機関が一部閉鎖される事態となったわけですが、この閉鎖により自宅待機や無給での勤務を強いられる政府職員の数は80万人にのぼりました。官公庁や博物館は閉鎖され、首都であるワシントンDCは閑散とし、市民の生活や経済に大きなダメージを与えました。

アメリカ国内の公的研究機関も例外ではありませんでした。国立衛生研究所(National Institutes of Health:NIH)、疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)、エネルギー省(the departments of energy)、国防総省(the departments of defense)は業務を継続していましたが、航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration:NASA)や海洋大気庁(National Oceanic and Atmospheric Administration : NOAA)、標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology : NIST)、地質調査所(U.S. Geological Survey)、農業研究事業団(Agricultural Research Service : ARS)、魚類野生生物局(Fish and Wildlife Service : FWS)、森林局(Forest Service : USFS)などはすべて閉鎖されました。

研究が継続できない政府機関研究者

こうした機関が閉鎖されたことは、研究者にも大きなダメージを与えました。一時解雇されてしまった政府機関の研究者たちは、実験内容の確認や観察、データの収集、検証、結果の共有といった一連の研究活動を継続できなくなったのです。アメリカ地球物理学連合(American Geophysical Union : AGU)のエグゼクティブディレクターであるクリスチャン・マッケンティー(Christine McEntee)は、この閉鎖によって環境保護庁(Environmental Protection Agency:EPA)が期限内に化学物質評価を終えられなかったり、NOAAが商業的な水産物の追跡や絶滅危惧種の保護などを実施できなくなったりするなど、重要なプロジェクトに影響を与えたとコメントしました。

自然史博物館で古脊椎動物学の学芸員を務めるケイ・ベアレンズメイヤー(Kay Behrensmeyer)は、2年がかりのケニアへの研究旅行の中止を余儀なくされました。他にも、気象学会(American Meteorological Society : AMS)がフェニックスで開催した年次総会(1月6日)や天文学会(American Astronomical Society : AAS)がシアトルで開催した「天文学のスーパーボウル」とよばれる世界最大規模の総会(1月6日~10日)などの学会や会合に何百人という政府機関の研究者が参加できない事態となったのです。

なかでも研究者に最も深刻なダメージを与えたのは、国立科学財団(National Science Foundation:NSF)と国立食品・農業研究所(National Institute of Food and Agriculture : NIFA)の閉鎖でしょう。助成金申請の審査が滞り、研究者たちは先の見えない不安の中でただ待つしかありません。生化学・分子生物学会(American Society for Biochemistry and Molecular Biology : ASBMB)の広報ディレクターであるベンジャミン・コーブ(Benjamin Corb)は、政府閉鎖は、合理的な理由もなく研究機関を苦境に陥れるようなものだと意見しています。国際的な非営利団体「憂慮する科学者同盟」(Union of Concerned Scientists)のトップであるケン・キンメル(Ken Kimmell)も、「政府閉鎖によって研究者が研究の機会を失うとすれば、研究機関の科学に基づく研究に多大な影響を与え、結果として研究費として費やされる税金が無駄になりかねない事態となるだろう」と述べています。

揺らぐアメリカ政府への信頼

1月26日以降、今回の政府閉鎖は一部解除されたわけですが、議会で新たな壁の建設費について合意ができなければ再び閉鎖が起きる可能性もあると言われています。研究活動を停滞させる政府閉鎖の余波は、数か月もしくは数年にわたり残っていくでしょう。ひとたび政府閉鎖が起きれば、研究者はただその解除を待つしかありません。研究助成金の提供者として、また、共同研究をしていくパートナーとしてのアメリカ政府への信頼が揺らぎはじめています。

研究結果の信頼性-信頼度指数は適用されるべきか

かねてより学術研究における「再現性の危機(reproducibility crisis)」が問題となっています。Nature誌が2016年に発表した調査結果では、70%を超える研究者が他者の実験結果を再現できなかっただけでなく、半分以上が自分の実験すら再現できなかったことが示されていました。こうなると、研究の信頼性が揺らいでいると言われても反論できません。どのように信頼できる研究を見抜けばよいのでしょうか。

そこで今回は、研究結果の信頼性の目安とされる「信頼度指数」や、実験結果(データ)の妥当性を示す指標とされる「p値(有意確率)」についてみてみます。

信頼度指数とは?

信頼度指数(confidence index)とは、説明内容の妥当性について、事前証拠の影響および調査者の判断を形式的に具体化する指標です。

例えば、ある治療法をテストする実験では、母集団を代表するサンプル(治験の参加者など)は確実に無作為に抽出されていることが必須です。それは、サンプルに対する実験の結果から母集団全体への効果を推定するためであり、この場合の信頼度指数は、その治療法が、母集団全体に対してどの程度、サンプルに見られたのと同様の効果が出るかを示す数値となります。

【信頼度指数】
信頼度指数はベイズ統計に基づくもので、次の要素を考慮したものです。

  • ランダムな変数―情報がないため未知の要素が存在
  • 事前確率―利用可能な既存の情報
  • 仮説の真らしさ―仮説が真であるか偽であるかの確率

p値(有意確率)とは?

もう一方のp値とは、研究者が実験データの統計的有意差の判定に慣習的に用いる指標で、帰無仮説(ある仮説が正しいかどうかの判断のために立てられる仮説)が正しいとするならば、検定統計量(観察された数値)と同程度の結果が得られる確率を示すものです。つまり、特定の仮説に対してデータがどのぐらい整合していないかを示しています。特定の仮定(前提)を想定した数値であること、サンプル数などさまざまな要素(以下)の影響を受けることを念頭に置いておく必要があります。

【p値】
p値は次の要素に依存します。

  • サンプルの規模―サンプルの数が多いほど、結果が正確になる
  • 反応の頻度―特定の反応の頻度が高いほど、結果は正確
  • 母集団の数―母集団が小さいときのみ重要

p値はよく使われている統計値ですが、米国統計学会(American Statistical Association: ASA)は、p値自体は「モデルや仮説の正しさに関する尺度として適切なものではない」と警告しています。

p値が適切な尺度ではないとする理由=p値には以下の情報が含まれない

  1. サンプルが母集団を代表しているか
  2. 検討対象の帰無仮説が正しいか否か
  3. データはランダム抽出によって得られたものか

このことからも、p値だけを判断基準とすることは避けた方がよいでしょう。

p値から判断できること

p値の算出方法は省きますが、一般的に、p値が0.05(5%)を上回れば有意差はなく、下回れば有意差があるとされています。そのため、研究者はp<0.05(5%未満)であれば結果を発表できると考えてきました。p<0.05なら、偶然の影響は問題にならない(結果が有効である)、つまり有意差があると解釈できるからです。p値が0.05以上の場合は、有意差がないと解釈されるので(Not significant: NSと記載される)発表を控える研究者もいるでしょう。p値の閾値については、米国統計学会が2016年に声明を発表し、p値の適切な利用と解釈についてまとめているので参照してみてください。

正しい判断を下すために-信頼度指数を併用する

米国統計学会はp値を「科学的根拠の代わり」とせず、「研究の適切な設計と実施」などの種々の要素を加味した上で研究結果の有効性を分析すべきであると注意を喚起しています。確かにp値に関する議論は、先行文献と関係付けたうえで、実験手法やデータの分析方法を明瞭に示した上で取り扱われるべきでしょう。p値は研究や実験データを統計的に裏付ける唯一の手段ではないのです。研究を正しく評価するためには、さまざまな情報や他の指標を併用して判断することが必要です。

米国スタンフォード大学のSteven Goodman教授は、信頼度指数を考慮して結果を定量的に評価することができれば、研究を明確にすることができると述べています。臨床試験を次の段階に進めるかどうかを判断するとき、研究の限界を知る手がかりとしても重要な信頼度指数を併用することにより、いわゆるpハッキング(p値をできるだけ小さくなるようにデータを操作すること、不正に当たります)を防ぎ、実質的な数値を示すことにつながると考えられます。p値は便利な統計指標ですが、データの信頼性、ひいては研究の価値を裏付けるものではないことを踏まえ、p値ばかりに囚われず、信頼度数と併用することが得策でしょう。

研究分野の専門化と細分化が進む現状において、実験内容や観察がより精緻で微妙なものとなる傾向が目立ちます。こうした中で、実験結果やデータ解析の信頼性がより求められるようになっているのです。再現性の危機を克服するため、そして研究の信頼性を確保するためにも、再度根本に立ち返って考える必要がありそうです。


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学術界に広がるMeToo運動

ハリウッドの女性達が大物映画プロデューサーによるセクハラや性的暴力の被害をSNSで告白する運動として始まったMeToo運動。被害を受けたことがあれば「Me too(私も)」とつぶやいて――との呼びかけに対し、今では世界中、さまざまな業界で多くの女性が声を上げるようになりました。学術界もしかり。米国ではSTEM(科学・技術・工学・数学)分野に進出する女性の数が増加していますが、女性研究者の立場が男性と同等になっているとは言いがたい状況です。そのような中、MeToo運動を科学界に広げた女性がいます。

MeTooSTEM.comを立ち上げた女性

米国ヴァンダービルト大学メディカルセンター(Vanderbilt University Medical Center: VUMC)の神経学者であるBethAnn McLaughlinです。2018年6月にSTEM分野の女性が匿名でハラスメントを告発できるウェブサイトMeTooSTEM.comを立ち上げ、科学界のMeToo運動を牽引してきました。その貢献により、2018年11月、米マサチューセッツ大学が世界を劇的に変えるアイデアを持つ人に贈るMIT Disobedience Award(不服従賞)を受賞しています。

Scienceの記事にはMcLaughlinの似顔絵と「The Twitter Warrior(ツイッター戦士)」というキャッチが書かれています。彼女は、米国科学アカデミー(National Academy of Sciences: NAS)と米国科学振興協会(American Association for the Advancement of Science: AAAS)に、性的暴力あるいは職権乱用で有罪とされた研究者による深刻な影響を示すように求めたのです。これは、彼女の研究への資金提供と学者としての評価を危険にさらす行為でしたが、協会自体の名誉を損なうことにもなる性的暴力を認める指針の承認をAAASに急がせることに成功しました。さらに、国立衛生研究所(National Institutes of Health: NIH)に対しては、性的暴力および職権乱用などで有罪となった研究者への資金提供を取りやめるようにとの呼び掛けを行いました。彼女の研究がNIHからの支援を受けていたにもかかわらずです。McLaughlinのこのような活動は、マサチューセッツ大学だけでなく、さまざまな分野で活躍する女性たちからの賛同を得ています。

とはいえ、現在、McLaughlinのキャリアは危機にひんしています。2014年の秋に大学の終身雇用(テニュア)への申請を提出し、翌年には学部とヴァンダービルト大学メディカルセンター(VUMC)の職位・昇格を審議する委員会からの推薦を受けていました。しかし、2015年12月に彼女が匿名で大学を非難するツイートを発信したとの疑惑が起こると、その時から2017年4月までの1年以上に及ぶ調査期間中、大学はテニュアプロセスを保留しました。この疑惑は、性的暴力の被告となっていた男性教授が、彼の裁判でMcLaughlinが証言を行ったことに対する申し立てでした。VUMCは彼女を処罰することなく調査を終了し、その後に委員会はテニュアプロセスを再開。彼女にはテニュアの資格があると判断し、2017年の夏に彼女のテニュアを一度は承認しました。ところが、医学部長が介入して再検討を促したところ、委員会は満場一致でMcLaughlinのテニュアを否認したのです。この決定には違和感を覚えた研究者もおり、McLaughlinは同年11月に異議申立を行いましたが、未だに大学での彼女の立場は確定されていません。

McLaughlinは自身がこのような苦境にありながら、ハラスメントを受けている女性の立場を改善するための活動を続けています。2018年5月には、5700筆の署名とともに米国科学アカデミー(NAS)にセクハラを認めた研究者を脱退させるように求める嘆願書を提出しまた。この翌月、NASはSTEM分野の女性が差別やセクハラなどを受けていることをまとめた報告書を発表しています。また、2018年8月には、2400筆の署名とともに国立衛生研究所(NIH)の所長にハラスメントの加害者にはどのような報償や恩恵も与えないように求める嘆願書を提出し、所長から謝罪の言葉を引き出しました。

社会問題に対して声を上げることは、とても勇気のいることです。それでも誰かが声を上げなければ何も変わらないのは、どの国も同じです。米国の科学界は、McLaughlinや他の戦う女性たちの努力により、少しずつですが変わってきているようです。

日本の大学のセクハラ対策

米国よりもさらに男性中心で明確な上下関係の根強い日本社会は、科学界に限らず女性が声を上げにくく、先進国の中では女性が活躍しにくい社会であるとの指摘もあります。1999年の改正均等法を受け、国公立・私立大学でセクハラ対策が動き始めたものの、2017年には職場でのセクハラが広く残っていると米国務省の報告書に書かれています。最近では、多くの大学が指針(ガイドライン)を策定したり、セクハラなどの相談窓口や調査委員会を設置したりと対策を行っていますが、相談体制や対応は大学によりさまざまです。しかも、セクハラ以前の問題も起きています。昨年、東京医科大学が入試の時点で女子差別を行っていたことが発覚したのは記憶に新しく、大きな社会問題に発展しました。文部科学省が、他の大学で同様の女子差別問題がないか、医学部医学科がある全国81大学に緊急調査した結果を発表しましたが、その調査は十分とは言えず、政府が積極的に対応していくとは思えないとの冷静な見方もあります。このような環境では、セクハラ・パワハラの被害にあっても泣き寝入りしてしまう女子学生や女性研究者が少なからずいるのです。

米国の大学や研究機関の指針などを見ると、セクハラは犯罪であるとともに研究不正であるという考え方が広がっているようです。国際共同研究の増加を鑑みれば、日本の大学や研究機関もセクハラに関する指針や世界の流れを無視してはいられません。残念ながら、日本ではMeTooSTEMどころかMeToo運動すら広がっていませんが、世界の大学ランキングでもジェンダーバランスなどが考慮されるようになっていることもあり、大学などはハラスメントが対処すべき重大な問題であると認識し始めているようです。

MeToo運動は、セクハラが個人の問題ではなく、社会の問題であると広めた点で大きな意義を持っています。すでに震源地である米国から英国や韓国にも広がりを見せています。日本社会、ひいては日本の学術界にセクハラ撲滅に向けた気運が高まる日が来るのは、そう遠くないと思いたいところです。

参考:各大学・研究機関などのハラスメント対策(キャンパス・セクシュアル・ハラスメント・全国ネットワーク)

追加補足:国立衛生研究所(NIH)は、2019年2月28日、大規模なセクシャルシャルハラスメントの調査を行ったことを報告しており、その内容がnatureの記事”NIH revoked funding from 14 scientists over sexual harassment last year”に記載されています。

マックス・プランク協会、プロジェクトDEALを支持

学術雑誌(ジャーナル)のオープン・アクセス(OA)を推進する動きが、ここ数年で加速しています。ドイツでは、この動きの一環として従来の契約に替わり、オンライン契約の締結を推奨するプログラムである「Projekt DEAL(プロジェクトDEAL)」を受け入れるように学術出版社に求めてきました。そしてついに、マックス・プランク学術振興協会は、2018年12月末をもってエルゼビアの電子ジャーナルの購入契約を更新しないと同月19日に発表しました。マックス・プランク学術振興協会は、傘下に80以上の研究所等を抱え、約14000人の研究者を擁するドイツ最大級の研究グループですが、購読契約の解約の結果、協会員は2019年からエルゼビア誌へのアクセスを失うこととなったのです。

■ プロジェクトDEAL対エルゼビア

大手学術出版社であるエルゼビア(本社、オランダ)は、2960を越える学術雑誌、48300の書籍を出版しており、出版論文数に至っては年間40万本を越えています。同社が提供する学術文献のオンライン・プラットフォーム『Science Direct』は、3800誌以上の学術雑誌と35000冊以上の書籍タイトルから記事の検索を可能とし、また、抄録・引用データベース『Scopus(スコーパス)』には2万タイトル以上の逐次刊行物などからの文献を収録するなど、研究活動を支援しています。これらのデータベースは多数の研究者に利用されていますが、システムの使用料金や同社の学術雑誌の購読料が高すぎるとの批判が高まっており、欧州を中心に購読契約の見直し交渉などが行われています。

プロジェクトDEALは、学術雑誌のOA出版の利用に関して学術出版社との新たな利用条件を目指して、ドイツの研究機関、大学、図書館などが結成したコンソーシアムです。現在では参加組織数は700近くに達しています。エルゼビアとの契約交渉は決裂しましたが、シュプリンガー・ネイチャーとのナショナルライセンス契約交渉は進展しているようです。また、2019年1月15日には、ワイリー(John Wiley & Sons, Inc.)と新たな条件の契約を交わしたことを発表しました。この契約は、コンソーシアム・メンバーは年間固定料金で1997年以降に刊行されたワイリーの雑誌を閲覧でき、かつ、コンソーシアム参加組織の研究者がワイリーの雑誌に投稿した論文はOA化するとの内容となっています。

■ エルゼビアとの交渉

プロジェクトDEALは、数年間エルゼビアとの交渉を続けてきました。求めてきたのは、学術雑誌を研究組織などがオンライン利用する料金の固定化、研究成果のOA化、そしてドイツの研究者全員に対して有料論文のオンライン利用と自らの研究成果発表をOA化する権利を併せて一括料金とする「publish and read」と呼ばれるモデルの適用です。このモデルでは、出版社は研究および論文への対価を研究者に支払いませんから、学術機関や研究者にとって公平な条件だという声がありますが、エルゼビアの合意は得られていません。

これまでの交渉でも、コンソーシアム・メンバーのうち60以上の組織が2017年末をもってエルゼビアとの契約を延長しないと発表し、エルゼビアは折衝相手のオンラインアクセスを停止しました。このときは40日ほどで利用が再開したのですが、2018年分の契約をめぐるその後の折衝も難航し、前年を上回る数の組織が契約更新をせずに折衝を続けたところ、エルゼビアは2018年7月に再び折衝相手のオンラインアクセスを打ち切りました。実際、プロジェクトDEALに賛同する団体の中で2016-2017年の間にエルゼビアとの個別契約を解消したドイツの大学・研究機関は200を超えています。

マックス・プランク協会は、プロジェクトDEALの中心メンバーであり、これまでも対エルゼビア折衝で重要な役割を果たしてきました。2017年には、傘下の研究者13名がエルゼビアの学術雑誌の編集関連のポジションを辞任して、同社に圧力をかけています。そして、2019年分のオンライン利用契約を更新しないことでエルゼビア誌へのアクセスが失われることに対し、すでに処置を講じていると表明しています。

■ 今後の見通し

エルゼビアは、シュプリンガー・ネイチャーや英国王立化学会(Royal Society of Chemistry)との出版物利用契約の見直しを進めています。プロジェクトDEALは、エルゼビアとシュプリンガー・ネイチャーの契約見直しは遅くとも2019年半ばまでに決着するとの見通しを述べています。先に触れたとおり、ワイリーとは契約条件の変更で合意しています。

プロジェクトDEALとエルゼビアとの対立は先鋭化しており、先の見通しは不透明です。このままの状態が長期間続くのは双方にとって望ましくないのは明らかです。さらに、同様の契約更新に関わる交渉の決裂はドイツに留まらず、多くの研究者が最新の論文を読めないという事態に直面しているとの記事がネイチャーに掲載されています。学術出版社との購読料に関する折衝は2019年に大きな山場を迎えることでしょう。


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影響力のある関連団体による編集介入は許容されるのか

2018年もさまざまな研究不正が発覚し、研究界を揺さぶり続けました。データのねつ造、収集データの意図的な虚偽表示、画像の改ざんなどは露呈した研究不正のほんの一例ですが、12月になって、米国環境保護庁(Environmental Protection Agency:EPA)の諮問委員会のトップが、資金援助を受けている業界団体に対して、発表前に研究論文の編集介入を許容していたという倫理的に問題視される事態が判明して話題となりました。

背景には、資金提供者と研究者とのつながりは見つけにくいという問題があります。しかし、利害関係のある外部団体が発表前の論文を編集するのを認めるということは、学術的に許されるものなのでしょうか。

 政府機関におよぶ業界団体の影響

この話は学術界に留まりません。米国における大気汚染基準の大幅な見直しを行うEPAの委員会を率いているのは、規制強化に反対する団体から資金提供を受けていた研究者です。しかも、この研究者、トニー・コックス(Tony Cox)が業界団体に自身の研究成果の編集を許容したことを認めたことが論議の的となっているのです。研究成果に何らかの影響をおよぼしかねない研究の資金提供者に、発表前の論文への編集介入を認めることは異例です。まして、該当論文が政策決定に関連するとなれば、なおのことその影響は重大です。

そもそも、なぜ業界団体からの資金援助を受けていたコックスが国の環境政策に助言を行う立場にある大気清浄化科学諮問委員会(Clean Air Scientific Advisory Committee: CASAC)の委員長になったのかと言えば、非常に政治的な裏があります。コックスを任命したのは、元EPA長官スコット・プルーイット(Scott Pruitt)です。プルーイットは、EPAの助成金や資金提供を得ている研究者は、科学諮問委員会の委員として偏見(バイアス)があるという理由で多くの委員を解任し、逆に業界団体から資金援助を受けている研究者を諮問機関に参加させようとの動きの一環でコックスを任命しました。プルーイットは地球温暖化対策に批判的な姿勢を示しており、EPA科学諮問委員会の透明性と委員の独立性を高めることを目指したとされています。しかし、長官就任以来、プルーイット自身に対する職務倫理違反などの疑惑をめぐる調査が進み、2018年7月に辞任しました。

■ コックスの論文と石油協会のつながり

問題となったコックスの論文は、2017年にエルゼビアが出版するToxicologyの評論(Critical Reviews)に掲載されました。この学術雑誌(ジャーナル)は、業界団体の出資のもと行われた研究成果が掲載されることでも知られており、掲載された論文が政府による規制に反論するため引用されることもあります。コックスが発表したのは、大気汚染と人体の健康との因果関係を検証した論文でしたが、この研究は米国石油協会(American Petroleum Institute:API)による資金援助を受けていました。APIとは、米国内の石油・天然ガス産業の保護と繁栄を目的として設立された業界団体で、大気を汚染するとされる粒子状物質(PM)が公衆衛生への脅威になるという証拠に対し、数百万ドルをかけて反論を展開しています。つまり、大気汚染の防止策とは相反する動きをしている団体です。にもかかわらず、コックスはこのAPIが掲載前の論文の校正と校閲を行ったと記しています。

■ 不正行為に該当するか?

コックスは、APIは研究の実質的な中身を書き換えてはいないし、APIのフィードバックを取り込むかどうかは自分で判断したと主張しています。資金援助をしている団体による研究成果への影響はない、という立場を維持しているのです。

研究の資金援助をしている組織が論文の編集を行うことは研究不正にあたるのでしょうか?また、影響がないという主張は信じることができるのでしょうか?

こうした行為を極めて異例だという人たちは多数います。科学の悪用を防ぐことを目的に設立された米国の科学者団体「憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)」のCenter for Science and Democracyの研究部長であるグレッチェン・ゴールドマン(Gretchen Goldman)は、コックスの主張は重視すべきではない、と力説しています。些細な変更であっても、業界団体のメッセージを伝えるために研究論文を都合のよい媒体に変えてしまうことは起こり得ると言うのです。より重大な問題は、研究者と資金提供者が何らかのつながりを持っているかは分かりにくい上、こうしたことが起これば研究自体への信頼性に疑問が生じることにもなりかねないことです。そして、このEPAの事例のように、政策に影響をおよぼすことすら懸念されます。

■ 関連団体や資金援助者からの影響と研究の信頼性

研究への資金援助をしている組織が研究論文を編集するという行為自体は、本来、不正にはあたらないかもしれませんが、利益相反にあたる可能性はあります。結果として研究の信頼性が損なわれる危険は拭えません。研究者は、本当に資金提供者の影響を受けずに研究を行うことができるのでしょうか?そして、資金援助している団体が研究の内容に関係していることが明らかな場合、発表前の論文を編集することを認めることは妥当なのでしょうか?

この問題は、産学官の連携の増加や資金提供団体の多様化などと関連し、今後も増えることでしょう。いずれにせよ、研究結果に経済的な利害関係を持つ人たちは、結果に影響をおよぼすことに関心があるのは明らかなようです。学術界は、以前にもましてさらに多くの問題に直面することになりそうです。

米国議会へ科学者が多数進出

科学研究者は伝統的に「非科学的」なことには興味をもたず、主として学術分野、あるいは学研から離れてもせいぜい産業の分野で活躍してきたと言われます。科学(Science)・技術(Technology)・工学(Engineering)・数学(Mathematics)の頭文字をとってSTEMと言われる分野に従事する研究者だけでなく、医学・ヘルスケア分野の研究者にも同じ傾向があると言えるでしょう。しかし、時代は変わり、科学者は政治に無関心ではいられなくなってきました。米国では「象牙の塔」から出して政界に進出する人たちが増えてきています。

■ 2018年中間選挙でSTEM/医学・ヘルスケア系候補者が連邦議会に進出

2018年11月に行われた米国の中間選挙は、上院で共和党、下院で民主党が過半数を制し、「ねじれ」を生んだこととともに、マイノリティや女性が多数当選したことがニュースになりましたが、学術界ではSTEM/医学・ヘルスケア分野の経歴を持つ候補者( 科学系候補者 )が多数当選したことも話題になりました。Business Insiderの記事には、上院で1名、下院で9名が新たに連邦議会に当選したとして、当選者とそれぞれの専攻分野が次の通り紹介されていまし。

  • Jacky Rosen(ネバダ州、上院、民主党):コンピューター・プログラム。ネバダ州選出の下院議員として議席を持っていたが、今回の中間選挙で上院に立候補。
  • Chrissy Houlahan(ペンシルバニア州、下院、民主党):インダストリアル・エンジニアリング(経営工学)。米国空軍勤務、化学教師、NPO代表などの職歴を有する。
  • Joe Cunningham(サウス・カロライナ州、下院、民主党):海洋科学。弁護士の資格も有し、環境専門弁護の実績を持つ。
  • Sean Casten(イリノイ州、下院、民主党):生化学エンジニアリング。廃エネルギー回収会社を設立。
  • Elaine Luria(バージニア州、下院、民主党):原子力エンジニアリング。米国海軍の原子力エンジニアとして20年勤務した経験を有する。
  • Kim Schrier(ワシントン州、下院、民主党):小児科医。15年以上の医師としての勤務を経て、米国議会で初の女性医師に。
  • Lauren Underwood(イリノイ州、下院、民主党):看護師。オバマ政権下で保健福祉省のシニア・アドバイザーを務めた。
  • Kevin Hern(オクラホマ州、下院、共和党):航空宇宙エンジニアリング。航空宇宙企業から養豚まで含むさまざまな職歴を経て事業家に。
  • John Joyce(ペンシルバニア州、下院、共和党):研修医。医科大学を卒業後、ジョンズ・ホプキンズ病院の内科と皮膚科での研修(レジデンス)を経て、海軍医療センターに勤務した経験を持つ。
  • Jeff Van Drew(ニュー・ジャージー州、下院、民主党):歯科医。2008年からニュー・ジャージー州議会上院議員。

■ 科学者の政界進出を支援する運動

科学系候補者が選挙に出馬するきっかけとなったのは、トランプ政権の誕生と言えます。気候変動を大統領選挙戦の時から一貫して否定し、科学研究予算を大幅に削減しようとしたことに科学者は危機感を持ったのです。科学軽視の政権に対抗すべく、科学者を議会に送ることを後押しする運動が起こりました。2016年に設立されたNPOの「314Action」は、STEM/医学・ヘルスケア関連の知識を有する人々が立法府で声をあげることにより、トランプ政権による科学の軽視に対抗し、気候変動問題や健康保険問題など重大な課題に対して、「科学に基づいた」政策が行われることを目指しています。この中間選挙で立候補を表明した科学系候補者は過去最大規模の150以上に達したとも報道されました。314Actionは前述の民主党の当選者8名のうち6名を応援し、今回の成果につなげたのです。

こうした動きは、2017年1月のトランプ大統領の就任の翌日に、同大統領の気候変動に関する政策に反対してワシントンを中心に行われた「March for Science」で加速したと言われています。この運動は世界に広がり、継続的に運動を支える主体の組織もできており、多くの人に影響を与えています。また、州レベルでも、科学者が議会に向かう動きが出ています。例えばアトランタのエモリー大学で微生物学の講師を務めるJasmine Clarkは、ジョージア州議会の議席を目指して運動を進めています。314Actionは、2018年初めに州議会を目指す科学系の人たちが全米で約250名にのぼるだろうと推定していましたが、中間選挙での科学系候補者数の増加を見ると、今後も政界を目指す科学者が増えると予想されます。

■ 日本の政界の状況は

全体に占める割合がまだまだ少ないとはいえ、多くの科学系候補者が立ち上がったアメリカのような動きは日本で起こりえるでしょうか。日本の政界における状況を見てみると、いわゆる理系出身者は極めて少ないのが実情です。

まず、政界を代表する内閣総理大臣。戦後の総理大臣は、第43代の東久邇稔彦氏から第98代の安倍晋三氏まで再任を含めて延べ56代、再任を除くと33名となります。学歴を見ると、大学の理系出身者は鳩山由紀夫氏(東京大学工学部卒、スタンフォード大学工学部博士課程修了)と菅直人氏(東京工業大学理学部卒)の2名のみです。他の大学卒業者は法学部が圧倒的に多く、次いで経済学部や政治経済学などとなっています。つぎに、国会議員ですが、国会議員の理系率を調べたあるブログによると、データは2006年5月時点とやや古いですが、衆参の国会議員総数722名の内、理系は86名で12%となっていました。ここで理系とされているのは、工、理、理工、医、薬、歯の学部卒業者です。やはり、理系は極めて少数であり、この後、理系の議員数が大きく躍進したという報道は見られないので2018年の段階でも大勢に変化はないとみられます。このように、政治家には理系出身が少なく、経済・政治・国際関係論などの文系出身が多くなっていますが、問題は数だけではありません。日本の文系中心の政治家の中に、科学政策を積極的に支援している議員がどれだけいるのでしょうか。

トランプ大統領ほどあからさまな科学軽視による予算削減はないとしても、日本でも、ノーベル受賞者たちがそろって危機感を口にするように、研究費が基礎研究に配分されず、国際競争力が低下し続けているという問題を抱えています。文理を問わず、科学に理解のある議員が増えて欲しいと願っている科学者は多いことでしょう。アメリカの314ActionやMarch for Scienceのように、科学者が議会に向かう動きが日本でも起こるのか、どのように政治や社会に影響していくのか――今後の動向に注目です。


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撤回された論文のデータベース公開

1年間に何本ぐらいの論文が学術雑誌(ジャーナル)から撤回されていると思いますか?なんとその数は年500~600本にもおよび、しかも、過去数十年の撤回数は確実に増えているというのですから驚きです。撤回の理由は研究不正や意図していないミスなどさまざまですが、不正と判断される多くは、データの捏造・偽造・盗用に起因しています。しかし、論文が撤回された場合、なぜ撤回となったのか明確な理由が分からないままということも多々あります。そこで、この状況を打開すべく、2018年10月末、論文撤回を監視するサイト「Retraction Watch」が18,000本の撤回論文のデータベースをオンラインに公開し、 撤回論文 の閲覧および検証を行うことを可能としたのです。

■ 論文撤回の判断とその後の処置

多くの出版社は論文撤回規定を設けており、学術雑誌の編集委員はその規定に従って、どの論文を出版するかを決定します。倫理規範に反することが指摘されたことに対し、該当論文の著者全員が撤回に同意すれば問題ありませんが、著者のひとりでも同意しない場合には編集委員が撤回するかの最終判断を行います。学術出版規範委員会(Committee on Publication Ethics : COPE)による論文撤回ガイドラインには、編集者は著者の同意なく論文を撤回できると記されています。論文が撤回となると、印刷誌では撤回されたことを伝える注釈が次の号に掲載されるなどの処置が取られますが、オンラインでは、文章の上に「撤回 (Retracted)」の透かしが表示されることはあっても削除されないなど、出版社や公開媒体によって対応が異なるようです。そのため、どの論文が撤回されたのか気づかないまま引用してしまうことが起こっていました。そこに登場したのが、撤回論文のデータベースなのです。

■ Retraction Watchと撤回論文データベース

2人の科学ジャーナリスト、アイヴァン・オランスキー(Ivan Oransky)とアダム・マーカス(Adam Marcus)が始めたRetraction Watchは、学術雑誌に掲載された後に撤回された論文について報告・分析するだけでなく、学術界の問題点への鋭い指摘を投げかけているブログです。

そのRetraction Watchが公開した撤回論文データベースは、論文の著者・国・学術雑誌などさまざまな指標で撤回論文を検索できるので、撤回された原因を探ることも可能です。このデータベースによれば、1970年代以降に撤回された論文の数は18,000本を越え、2000年以前には年100本以下だった撤回数が、2014年には約1,000本に増えています。この数だけ見ると増加傾向は明らかですが、撤回される論文は1万本に4本程度と、割合はあまり変わっていないようです。実際、2003年から2016年の間に、1年間に発表される論文の数は、倍以上に増えているので、相対的に撤回論文数も増えていると言えます。とはいえ、著者も学術出版社の編集者も安易には論文を撤回しないことを考えれば、撤回数の増加は軽視できない問題でしょう。学術雑誌Scienceの記事は、論文の投稿から審査・公開までのプロセスが改善されてきたことも、撤回数が多くなった一因と示唆しています。

また、Retraction Watchは、撤回論文の中から2018年10月時点で閲覧数の高かった論文をリストする“Top 10 most highly cited retracted papers(閲覧回数の高い撤回論文Top10)”の公開という取り組みも行っています。撤回されたと知らずに論文を閲覧していた経験を有する人もいると思いますが、事実、このリストの中には撤回された後に引用回数が増えた論文もあるとRetraction Watchは述べています。

■ このデータベースはどのように役立つのか

一般的に言って、研究不正の調査には時間がかかる上、透明性が確保されるとは言いがたいこともあります。一例をあげると、別記事でもとりあげたコーネル大学のブライアン・ワンシンク(Brian Wansink)博士の論文は、米国医師会雑誌(the Journal of American Medical Association : JAMA)から結果の信頼性が低いことを理由に撤回されましたが、不正内容の詳細は公開されませんでした。論文が撤回されたこと自体が明示されないこともあるので、撤回された後でも引用されてしまうことがあるのです。

撤回を承知した上での引用は問題ないのですが、撤回を知らずに該当論文を引用してしまうのは問題です。引用したい論文が撤回されていないことを確認するため、また、撤回されていたとすれば、なぜ撤回されたのか理由を探るため、この2つの目的のためにデータベースは役立つのです。さらに、撤回された論文を閲覧することができれば、疑わしいデータや操作された画像を把握することも可能です。何が問題なのかを確認することからさらに踏み込んで、公開された研究の完全性を確認することもできるでしょう。このように、撤回論文データベースは、研究者にとって非常に有用であり、結果として研究の透明性の向上につながることが期待されます。

■ 撤回論文が増えている背景には…

研究者は自分の論文が倫理ガイドラインに準じているか注意しつつ研究を進め、その結果を記した論文を投稿します。一方の学術出版社の編集委員は、良質な研究論文を公開することにおいて重要な責任を担っており、査読システムを通して信頼のおける研究論文を出版するための努力を重ねています。信頼性の低い研究、不正の疑われる研究、既に公開されたデータの利用、倫理不正などについて明確な証拠が得られ、厳格な対応が必要と判断した場合には論文を撤回するわけですが、故意による不正、盗用や重複発表(二重投稿)は増加傾向にあるようです。論文発表へのプレッシャーや、研究資金の獲得競争、研究者としての生き残りレースといった研究者を悩ませている人為的な問題が、不正増加を後押ししているとも言われています。一方で、剽窃・盗用を検出するソフトの利用が不正の発覚増の一因となっているとも考えられます。ソフトが以前は見過ごしていた不正をも発見するからです。また、撤回理由の中には、「誠実な誤り(honest error)」も含まれますが、この点については、英語を第一言語としない国からの投稿が増えていることが一因と言えるかもしれません。前述のScienceの記事にもあったように、投稿論文数が増えたために相対的に撤回数が増えているのも確かなのです。

研究者や大学教育機関、および学術出版社の努力に加え、科学コミュニティも科学研究の透明性と公正性を促進するために、たとえば「Center for Scientific Integrity」などを設置し、指導やトレーニングを行うなど、研究不正を防ぐための取り組みを進めています。このような状況において、論文撤回データベースは、撤回論文についての最新情報を提供するだけでなく、論文の信頼性に対する懸念を表明するプラットフォームとして利用され続け、その重要性を高めていくことでしょう。


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米国NSFは海外での研究に対する支援を撤廃か?

アメリカ国立科学財団(NSF)は、科学研究の促進を図る米国政府機関であり、2017年度予算は75億ドルに達し、大学に対する連邦レベルの研究支援の約24%を占める、米国の科学政策の大きな担い手です。NSFは、2013年から米国の大学院生が海外で研究する場合の資金援助をGraduate Research Opportunities Worldwide ( GROW ) プログラムにより実施してきました。しかし、NSFが毎年秋に行うGROWプログラムの申込み受付の2018-19年分については、2018年12月11現在も行われていません。GROWプログラムは、廃止の可能性も含めて、先行きが不透明です。

■ 科学研究への圧力

今回、GROWの受付が行われていないことは、トランプ政権発足以来の米国政府の内向きの姿勢を反映している可能性があります。トランプ政権は、科学研究の資金援助に関して、種々の変更を加えようとしています。例えば2018年初めに、政府の科学政策に対してアドバイスを行う連邦レベルのさまざまな科学諮問委員会のメンバーから内務省、エネルギー省、食品医薬品局などを外して、これらの委員会の弱体化を進めています。科学関係の政府スタッフの採用を凍結し、気候変動に関する研究への圧力も多く見られます。また、トランプ政権はNSFの2018年度予算の大幅削減を提案しましたが、これは議会の反対により実現しませんでした。しかし、依然としてトランプ政権は削減を狙っているようです。NSFは2018年2月に、日本を含む3カ国の海外事務所の閉鎖をすると発表しましたが、これもトランプの「米国第一主義」の反映と解する向きもあります。

■ GROWが無くなった場合の影響

GROWは、既に米国内で年間3万4000ドルの奨学金(Graduate Research Fellowship Program: GRFP)をNSFから受給している大学院生を対象に選抜して、海外で研究を進める場合に、渡航・滞在費の補助として追加で5000ドル支給するものです。プログラムの提携国は18カ国(欧州8カ国、アジア4カ国、中南米4カ国、オセアニア、中東各1カ国)で、アジアは日本、韓国、インド、シンガポールとなっています。受入国の機関と提携して、受入国からもさらに助成が行われます。日本の場合は、日本学術振興会が年間約30名を上限に、採用期間を3カ月以上12カ月以内として、初期費用10万円、月次滞在費20万円、海外旅行保険費用を支給します。GROWから支援を受けた大学院生にとっては、海外の異なる環境での研究を通じて新たな研究手法や発想法に接することができる、共同研究の経験を積むことができる、プログラム期間中に獲得した人脈が将来の研究や就職に役立つ、などの効果が期待されます。こうした効果は助成を受けた大学院生本人に留まらず、受入国側で机を並べる大学院生などにも及ぶものでしょう。この制度が廃止された場合は、前述の効果が失われ、研究者個人の成長機会が減少するのみならず、国際的な共同研究や研究協力の広がりにマイナスの影響が生じることが懸念されます。

■ 今後どうなるか

NSFのGROW担当者は11月2日時点のコメントで、GROWプログラムについて検討をしており、今後の方向が決まれば発表すると述べています。GROWのウェブサイトには2017年12月15日締切りの2017-18の募集の案内が掲載されていますが、2018-19の募集アナウンスは2018年12月11日現在未だ発表されていません。検討の理由の一つとしてGROW担当者は、近年受給者数が減少(2015-16年に158名であったが、2017-18年は88名へ減少)していることを挙げています。この減少の背景にある要因について関心がもたれますが、NSFとしての分析は今のところ見られません。

トランプ政権の間は、米国の自国第一主義、内向きに回帰する動きが継続する模様です。科学研究に対する政策やGROWのような支援制度に今後も大きな影を落としていくのでしょうか。


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著名な栄養学者が論文撤回で辞職―その背景は

論文に書かれている通りの方法で実験を行っても、結果を再現できない「再現性の危機(reproducibility crisis)」。これは学術界にとって深刻な問題です。また、まったく別の問題であるにも関わらず「研究不正の有無(scientific misconduct)」と混同され、問題が深刻化することも多々あります。再現性の危機は、研究室で行われた多くの研究の再現実験あるいは追試で同じ結果が再現できないことに端を発していますが、再現実験で同じ結果が得られなければ、科学研究としての価値が薄れるだけでなく、その原因が研究不正にある可能性が高いため、結果として複数の名だたる学術雑誌(ジャーナル)が論文を撤回することになってしまうのです。撤回される論文の数が増えていること含め、学術界は危機感をつのらせています。

■ 栄養学第一人者の辞職

2018年9月20日、コーネル大学の教授であり、栄養学の研究者であるブライアン・ワンシンク(Brian Wansink)博士が、米国医師会雑誌(the Journal of American Medical Association (JAMA))に6論文を撤回されたことを受けて辞職したことが、ワシントンポストに報じられました。アメリカのアイビーリーグに属する名門コーネル大学の研究者の辞職が有力新聞紙に取り上げられたことが、再現性の危機の深刻さを物語っています。

ワンシンク博士は、食品消費の行動心理学の第一人者で、広告やパッケージが食生活におよぼす影響などに着目した食生活改善のための研究を推進していました。1992年にイリノイ大学で食品商標研究所(Food and Brand Lab)と消費者教育財団(Consumer Education Foundation)を設立し、2005年にそれらの組織ごとコーネル大学に移っています。

彼は、健康や食品に関する多くの問題を研究テーマとして扱ってきました。例えば、自動的に給仕されるスープ皿でスープを飲むと、通常のスープ皿で飲んだ人よりも多く飲むという「bottomless bowls(底のない器)」という研究を発表し、2007年にイグ・ノーベル賞を受賞したことでも知られています。また、ファストフードなど健康的ではない食品には「health halos(健康におけるハロー効果)」があると提唱しました。ハロー効果とは、ある対象を評価する時にそれが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象ですが、“サブウェイ”などの健康志向の高いファストフード店で食事を購入する際、“マクドナルド”のような健康志向の低い店で購入するのに比べて、消費者はメインメニューのカロリーを少なく見積もり、その分、高カロリーのサイドメニューや飲み物、デザートを選ぶ傾向があるとの概念をhealth halosと称しています。

ところが、こうした数々の研究成果にも関わらず、ワンシンク博士は期せずしてコーネル大学での職を失うことになりました。辞職の発表は、JAMAが科学的な有効性が欠如しているとの理由で博士の6論文を撤回した翌日でした。以前にも7本の論文が撤回されていたのと合わせ、2005年から2014年の間にJAMAの3誌に出版された13本が撤回されたと指摘されています。コーネル大学の総長であるマイケル・コトリコフ(Michael Kotlikoff)氏によれば、「この調査で、研究データの虚偽報告、問題のある統計手法、適切な文書および研究結果の保存における不備、さらに不適切なオーサーシップ(Authorship)の記載が明らかになりました。」とのことです。

■ 飛び交う憶測

ワンシンク博士は、タイプミスや統計の誤り、その他の落ち度については認める一方で、自身の研究内容については正当性を主張しています。つまり、これらの落ち度があったとしても研究の「実質的な結論」に変更はなく、研究成果は自信を持てるものだと反論しているのです。しかし、科学論文の撤回を監視するブログ「リトラクション・ウオッチ(Retraction Watch)」の共同創設者イヴァン・オランスキー(Ivan Oransky)博士は、これは、科学における不正行為の深刻なケースだと述べています。こうしたミスは、統計の根本と学術雑誌が掲載する研究の有効性を脅かすものだと考えているのです。

実際、ワンシンク博士に疑惑の目が向けられたのは、今回が初めてではありません。以前から彼の研究の信憑性には疑問が呈されており、論文にも記されています。その論文の著者らは、ワンシンク博士の論文を分析し、p値ハッキング(p-hacking)と呼ばれる統計処理を行った疑いがあると指摘しています。p値ハッキングとは、データの浚渫(しゅんせつ、data dredging)とも言われ、得られたデータから特定の値(p値)が小さく見えるように操作することです。有意な数値だけを報告するといったことで、注目を集める成果を作り上げているわけですが、データ自体は存在しているので捏造にはあたりません。しかし、p値ハッキングをすることで食物と病気の相関関係が曖昧になり、結果の信頼性が揺らぐことになります。同じデータセットを再分析することで、異なる解釈を導き出すことができてしまうからです。例えば、コーヒーやチーズと赤ワインは心臓病やガンの予防に効果的と示す論文がある一方で、別の研究分析で、同じ物がガンの原因になると示すようなものです。

研究の目的が、世の中の役に立つ情報を提供することよりも学術雑誌に掲載されることにすり替わってしまったのでは――との憶測を生んだわけですが、問題は 論文撤回 ・辞職だけでは終わりません。「食品」という生活に密着する研究においてワンシンク博士のようにメディア露出の高い研究者がデータ操作した情報を広めたのだとすれば、消費者は何を信じればよいのでしょう。栄養食物学分野の研究者や、むやみに研究成果を取り上げる報道関係者にも課題を突きつけることになったのです。

■ 不正行為の背景にあるもの

ニューヨーク大学の栄養食物学および公衆衛生学のマリオン・ネスレ(Marion Nestle)教授は、「論文を書かずして、研究職には就けない」と言います。教授や研究者の感じる論文掲載へのプレッシャーがうかがい知れる言葉です。もちろんこれは、栄養食物学だけに限ったことではありません。どの分野でも同じです。科学研究者は膨大なデータセットを見て、自分が欲しい結果を導き出すためにデータを操作することもできます。とにかく何らかの学術雑誌に論文を掲載することが唯一のゴールとなったときに陥りがちな過ちです。ワンシンク博士が彼の配下の研究者に宛てたメールで、研究成果が「爆発的に広まる」ように、データを変えるよう迫っていたという例もあるとのことです。

情報を急速に広げることが、学術的に困難な研究をすることよりも重要なものにすり替わってしまったようです。こうした状況は、学術界において深刻化する大きな問題の一角ですが、学術界でも再現性および研究不正に対する危機感は共有されており、査読の徹底をはじめ、これらの問題に対処するためのさまざまな取り組みが始まっています。ワンシンク博士の件は、問題解決に向けた取り組みと、科学研究における不正行為の一層の削減に向けた対策の必要性を示しています。


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ゲノム編集の女児誕生がもたらした衝撃

2018年11月26日、世界に衝撃が走りました。中国の南方科技大学のJiankui He氏が、 ゲノム編集 技術「CRISPR」を使って改変を施した受精卵から双子の女児を誕生させたとAP通信が報じたのです。本当であれば世界で初めて遺伝子を改変されたヒトが誕生したことになります。He氏は、遺伝子操作をすることにより、エイズウイルス(HIV)がヒトの細胞に侵入する際に利用するタンパク質「CCR5」の働きを押さえ、HIVへの抵抗力を獲得させたとしています。しかし、ゲノム編集で遺伝子を改変した場合の安全性は未知の領域であり、胚の編集は次世代に受け継がれるため、欧米の多くの国ではゲノム編集した受精卵を母胎に戻し妊娠させることは非合法または禁止とされています。中国でも政府ガイドラインで遺伝子工学を用いた胚の妊娠を禁止しているので、今回のHe氏の研究は、ガイドラインに反するものと言えます。

■ 11月28日 香港での講演

He氏の発表は、世界の遺伝子研究者が集う「第2回ヒトゲノム編集国際サミット(Second International Summit on Human Genome Editing)」の直前というタイミングで行われました。サミットは11月27日から29日に開催されましたが、He氏の発表はサミット主催者にとっても寝耳に水だったようです。28日には、サミットでHe氏が講演。二人の女児が生まれ、さらに他にもゲノム編集した受精卵を移植した女性が妊娠している可能性があると延べました。講演後、参加者からは厳しい質問や痛烈な批判が噴出し、多くの研究者は、このような改変を行うことは医療倫理に反するとして批判の声を上げています。

He氏の発表の翌日にはCRIPRの共同研究者Feng Zhang教授が、CRISPRで遺伝子編集したヒト胚細胞を子宮に戻すことを全世界で停止すべきとの声明を出しています。実験の危険性はもちろん、He氏の研究の不透明さ、秘密裏に実施されたことを疑問視してのことです。He氏がこれまでにゲノム研究の専門家としてはあまり知られていなかったことにも疑念を持たれています。米国のスタンフォード大学で研究を行った後、海外の優秀な研究者を中国に呼び戻す「千人計画」で中国に戻り、2012年に最年少で南方科技大学の准教授に就任したという経歴の持ち主ですが、ゲノム編集の専門家とは書かれていません。では、なぜ遺伝子改変操作が可能だったのか――これは、まさに技術の進歩によるものです。近年、CRISPR-Cas9と呼ばれる手法が開発されたことで、専門家ではない研究者も遺伝子の改変操作が技術的に可能となったのです。CRISPRは、まさに切り貼りするようにDNAの部分的削除や置換を可能にする技術です。この技術により、かつて高度な技術を要していた受精卵への遺伝子注入といった遺伝子操作すら、今や装置があれば技術がなくても可能となりました。そのため、He氏の研究「成果」につき現時点で研究の詳細を精査できる論文もなく、実際に双子が生まれた証明もないことから「嘘」ではないかとの疑いもある一方、「事実」である可能性も捨てきれないのです。そして「事実」であるとすれば倫理的な問題であるとして、世界的な非難が高まる中、He氏はこの成果を誇りに思うと述べています。南方科技大学と医療倫理委員会(Medical Ethics Expert Board)は調査を行うとしていますが、大学もHe氏の研究を非難し、この研究は学問的倫理や行動規範に著しく反するとの声明を出しています。

■ 11月29日 中国政府の中止命令

11月29日、中国政府はこの実験を行ったチームに研究の中止を命じたと、中国科学技術部Xu Nanping副部長が国営放送局CCTVに述べました。2015年のヒトゲノム編集国際サミットでは、次世代に遺伝する生殖系列の編集は、その適用の適切さについて社会的なコンセンサスがなければ、どのようなものであれ実施することは無責任であるとの声明「On Human Gene Editing: International Summit Statement」が出されています。このときのサミットでは、急速に進展する技術に関して国際的議論を継続することが求められたわけですが、早くも懸念が現実の課題として突きつけられた形です。今回、同サミットの29日の閉会にあたって発表された声明は、現時点では生殖系列の編集の臨床利用は依然として許されない、と前回と同じ考えであることを明確に示すとともに、責任ある基礎研究から臨床研究への道程(トランスレーショナルパスウェイ)を定義するときに来ているとも述べています。

■ 日本における受精卵のゲノム編集

日本において受精卵のゲノム編集については、文部科学省と厚生労働省による専門家会議が指針案を作成しており、基礎研究においてのみ認める方針となっています。内容は、不妊治療などの基礎研究に限って受精卵のゲノム編集を認めるものの、その受精卵を子宮に戻して妊娠・誕生させることは禁止するというものです。12月4日に文部科学省の生命倫理・安全部会によって指針案が了承されたので、今後、厚生労働省や内閣府の同様の専門家会議の了承を経て、2019年4月には解禁となる見通しです。

中国人研究者による女児誕生の発表に対する反応としては、11月30日、日本医師会と日本医学会が「極めて重大な懸念を表明する」と指摘する共同声明を発表しています。また、12月4日、日本遺伝子細胞治療学会、日本人類遺伝学会、日本産科婦人科学会、日本生殖医学会の4学会は、「臨床応用は禁止すべき」との共同声明を発表しました。受精卵のゲノム編集は、発展途上の技術であり、改変の影響が世代を超えて続くため、人類の多様性や進化にも影響する重大な事態が懸念されるとの判断です。

多くの研究者は、ゲノム解読をはじめとする遺伝子研究および技術の進展は、疾病の予防や治療等に大きな貢献を果たすと期待しています。その一方で、ヒトにとって遺伝子編集とは何なのか、遺伝子編集技術からどのような恩恵を受けられるのか、あるいは、どのような操作は認めるべきではないのか、そして受精卵は「ヒト」と見なされるのか――多くの課題が残されています。日本でも指針の運用が開始されるものの、違反しても罰則はなく、対象も大学や研究機関の研究者となっています。法律や指針などでの規制には限界があることも課題の一つです。日本だけでなく、国際社会においても適切な研究倫理の在り方や指針の構築に向け、積極的な議論が加速されるでしょう。