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P値に関する問題-P値ハッキング

研究の世界では統計的な有意性が求められます。有意性の判定基準として通常は「P値(有意確率)」が使われており、調査・研究対象によって違いはありますが、一般的には0.05(= 5%)を有意水準として、P値が0.05以下の時に仮説が有意であるとされます。これはつまり、この事象が起こりえる確率は95%以上であるということを示しているわけで、P値が低ければ低いほど起こりえる確率が上昇することになり、その結果、有意性の度合いが高いと評価されます。

ここで、統計的有意性「P値」について簡単に説明しておきましょう。得られたデータ標本から計算した統計値を「統計量の実現値」と言います。「P値」は、帰無仮説(設定した仮説は成立しないという仮定)が正しいとした場合、そこで得られる統計量の実現値よりも極端な統計値が観測される確率のことです。統計量の実現値においてP値が0.05(5%)以下ということは、「帰無仮説が正であれば(つまり仮説が成立しない)、観測されたような事象が生じる確率は5%以下と極めて珍しい。従って帰無仮説は成り立ちにくく、仮説が正である可能性が高い」ということです。少々ややこしいですが、帰無仮説を用いた検定は、逆側からの立論となっているので辛抱してください。なお、「P値」の「P」は「Probability(蓋然性、確率)」のPです。さらに話をややこしくするのは、統計指標であるはずのP値に、誤用や誤解が付き物であるという実態です。このため、一部の研究者や学術雑誌(ジャーナル)はP値の使用を控える動きがあることも書き添えておきます。

さて、本題に入りましょう。太郎さんと花子さんという二人の研究員の会話の形で問題を解説します。

統計的有意性の追求

太郎:やり方を間違ったかな。有意な結果が出るはずなのに、P値は約0.08。どこが間違ったのかわからないよ。

花子:手順を再確認してみた?

太郎:やったよ。手順には問題がなさそうなんだ。指導教官は高インパクトなジャーナルにこの研究成果を発表して、次の研究プロジェクトの資金を獲得したいと思っているのに、今のところ得られている実験結果は、統計的に有意とは言えないよ。やり方を変えてみようかな。

花子:どう変えるつもり?

太郎:もっとデータを集めてみようかと思ってる。一部の異常値を除外することも考えてるし――間違ったデータなのは確実なんだ。それと別のデータ解析方法を試してみるべきかな。

P値ハッキングの問題

花子:でも、それをやったらP値ハッキングになっちゃうと思うけど?

太郎:P値ハッキング?

花子:研究者が意識的にせよ、無意識的にせよ取得後のデータを取捨選択して、有意な結果を導こうとすることはP値ハッキングになるの。取捨選択の他に、今言ったような異常値を除外するとか、解析方法を変えるといったデータの微調整もP値ハッキングに該当するわよ。

太郎:P値ハッキングなんて初めて聞いたよ。

花子:P値を下げたい気持ちはわかるし、統計的な有意性が高い成果の方がジャーナルで発表される可能性が高いことも分かってる。ジャーナルに発表できるかどうかは獲得できる研究資金や今後の経歴に直接的に影響するしね。だからP値を低くするために不適切な行為に手を染めちゃう研究者がいるのよ。

P値ハッキングの種類

太郎:P値ハッキングをしないためには、ちゃんと知っておくべきだね。もっと詳しく教えてよ。

花子:P値ハッキングをすると、P値が0.05か以下になるケースが多くなるけど、それは研究者が有意な結果が得られたと考えるあたりでデータの微調整を止めるからなの。P値が0.05近辺に集まっていると、P値ハッキングが疑われるわ。でも、もっとわかりにくいのもあるみたい。

太郎:例えば?

花子:ひとつは研究者が低いP値を出そうと調整し続けた場合に起こる「overhacking」。P値を低くして、結果により説得力を持たせようと、0.05以下になってもデータの操作を止めずに微調整を続けちゃうことね。

太郎:他には?

花子:収集したデータを何種類かの方法で解析したり、違う変数を分析したりして異なるP値が得られた場合、一番低い値を選択的に発表するという「selection bias」というのもあるわ。いくつか解析を行った結果、0.05以下のP値が複数得られたような場合に研究者は一番低いP値だけを発表する傾向があるというものだけど、これではデータの正しい状態を示すことにならないでしょ。もうひとつは「selective debugging」。コンピュータプログラムのバグを見つけ出して修正する作業である「デバック」に由来する名前なんだけど、選択的(selective)と付いているところが問題なの。統計的な検定の方法が不適切であったり、データ処理のプログラムに問題があったりした場合、そうしたバグを見つけて修正することはよくても、より有意な結果が出るようにバグを選んで修正して、有意性が求める水準に達したところでバグ探しを終了するというのはハッキングと見なされるわね。

太郎:良い結果につながるバクだけを選んで補正し、偽りの好結果を出すってことか。

花子:その通り。

P値ハッキングの防止

太郎:P値ハッキングが問題だということがよく分かったよ。でも、P値ハッキングを防ぐにはどうすればいいのかな?

花子:一番良い方法は、データを収集した後にデータや解析方法を変えないこと。いじりたい気持ちを抑えるのは大変だから、事前に研究計画を登録しておくというのもひとつの策ね。統計解析の方法を含めた詳細な研究計画を立てたら、それを「Open Science Framework」のような研究プロジェクト管理のためのプラットフォームに登録しておくの。そうすれば、研究成果が発表された時に他の誰もが当初の計画と実際に行われた方法を比べることができるから、P値ハッキングをやりづらくなるでしょう。

太郎:良い策だね。他にできることは?

花子:事前に計画を立ててそれを遵守することに尽きるわね。何かを変えるのは、純粋なエラーをした時だけ。そうすれば自分の実験を再現することもできるでしょ。

太郎:もしP値ハッキングが見つかったらどうなるんだ?

花子:そりゃ、研究成果の価値はガタ落ちだし、投稿したジャーナルへの掲載がリジェクトされることも考えられるし、最悪は研究費を受けられなくなることだって……自分の研究に費やした時間と資金を無駄にすることはもちろん、科学研究への信頼性を損なうことにつながるようなP値ハッキングは絶対にすべきじゃないわね。

太郎:有意な結果を得たいがためにP値ハッキングに手を出しちゃ駄目ってことは良く分かったよ。でも、P値ハッキングはどの程度認知されているんだ?

花子: P値ハッキングが増えているとの報告もあって、深刻にとらえられているようよ。特にメタ解析でP値ハッキングをやられると影響は大きいし、その結果を引用した他の研究結果にも響いてしまうでしょ。こんな状況を踏まえてジャーナルは有意性の偏重を見直し始めているみたい。研究計画の事前登録の仕組みも進むんじゃないかしら。研究者としても統計解析について別の方法を検討していくことや、研究計画とデータ収集の質を高めることに注力することはできるわよね。

太郎:色々教えてもらって助かったよ。

P値に関するアメリカ統計協会の声明

科学的結論の土台となっているP値は有用な統計指標ではあるものの、誤用と誤解がまかり通っているという背景を踏まえ、アメリカ統計協会(American Statistical Association, ASA)は、P値の適正な使用と解釈の基礎にある広く合意された原則を明らかにするため、2016年3月に「The ASA Statement of Statistical Significance and P-Values」を発表しました。この声明は日本でも注目され、日本計量生物学会が公式な許可を得て翻訳した文書「統計的優位性とP値に関する声明」を同学会のウェブサイトに掲載しています。
この声明の中で、P値につき次のような原則が挙げられています。

  1. P値はデータと特定の統計モデル(仮説もこの統計モデルに含まれる)が矛盾する程度を示す指標のひとつである。
  2. 科学的な結論や、ビジネス、政策における決定は、P値がある値(有意水準)を超えたかどうかにのみ基づくべきではない。
  3. 適正な推測のためには、すべてを報告する透明性が必要である。
    *日本計量生物学会「統計的有意性と P 値に関する ASA 声明(2017年4月公開)」より抜粋

また、この声明では以下のようにP値ハッキングを戒めています。

  • P値と関連した解析は選択して報告すべきではない。複数のデータ解析を実施して、そのうち特定のP値のみ(たいていは有意水準を下回った)を報告することは、報告されたP値を根本的に解釈不能としてしまう。
  • 見込みのありそうな結果をいいとこ取り――データのどぶさらい、有意症、有意クエスト、選択的推論、P値ハッキングとも呼ばれる――すると、出版された論文に統計的に有意な結果が誤って過剰に報告されるため、厳に避けなければならない。
    *同上の声明より抜粋

P値ハッキングを意図的に行うことは論外ですが、意図せず実施してしまうことも起こりえます。しかし、P値が提供する情報は限られており、研究詳細に関するさまざまな情報、論拠(エビデンス)などの提供も不可欠です。ASAの声明ではP値以外のアプローチについても示唆しています。少なくとも研究者はP値ハッキングの問題の危険性を明確に意識しながら、さまざまなアプローチも検討しつつ研究に取り組んでいくことが必要ではないでしょうか。


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オープンアクセスの動向と課題

オープンサイエンスが進展し、国際的にも広がるにつれ、研究の専門家に限らずあらゆる人が学術研究の成果や研究に関連する情報にアクセスできるようになってきていますが、同時に研究スタイルやデータ共有などに影響がおよんでいます。今回は、オープンサイエンスとは切っても切れないオープンアクセス(OA)の動向と課題について振り返ってみます。

オープンアクセスウィーク

毎年10月に、オープンアクセスに関連するイベント「オープンアクセスウィーク」が世界各地で開催されており、2019年は10月21日から27日に行われました。このイベントは、2008年に学術・研究図書館の国際連合であるSPARC(Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition)と学生コミュニティが立ち上げたもので、以降、毎年開催されています。2019年のテーマは「Open for Whom? Equity in Open Knowledge(誰のためのオープン化?オープンな知識における平等を考えよう)」で、まさに研究活動を進める上での本質的な問題を突いているものでした。この質問を投げかけることで、既存のシステムがもたらしているとされる不平等性をオープンアクセスが解消できるかを議論しています。オープンアクセスウィークの詳細情報はwww.openaccessweek.orgで公開されているので、掲載されているブログなどを読んでみると興味深い見解を知ることができるでしょう。

学術出版の多様化

研究をオープンにすることにより、認知度を高め、研究を発展させ、さらに研究の成果を社会に役立てることが可能になります。かつて、出版とは研究者が研究成果を発信し、読者に届けるための唯一の手段でした。ところが、デジタル時代の到来により電子ジャーナル、電子書籍、データベースといった新たな手段が登場する一方で、従来の学術雑誌(ジャーナル)の購読料が高騰したことを背景に学術界から反発が生まれ、オープンアクセスに向けての動きが一気に加速してきました。

2019年1月、学術出版社ワイリーは、DEALプロジェクト(ドイツの大学図書館と研究機関のコンソーシアム)とパートナーシップ契約を結び、新たな出版モデルを試行すると発表しました。これにより、ドイツの約700の機関は、契約期間である3年間、ワイリーのジャーナルへのアクセスと同社の全ジャーナルへのOA出版が可能となりました。この前年、DEALプロジェクトと学術出版社エルゼビアとの電子ジャーナルのライセンス契約交渉が中断し、エルゼビアがドイツ国内の未契約機関に対して最新号へのアクセス遮断を実施していたのとは対照的です。エルゼビアは2019年8月にはDEALプロジェクトと同社との購読契約中止に伴うドイツ研究コミュニティへの影響に関する委託調査の結果を公開しています。このような学術コミュニティと出版社間の混乱は、論文へのアクセスおよび研究発表の機会における不平等性を生む要因となっており、各地の学術コミュニティと出版社の交渉が難航することで顕在化してきています。

オープンアクセスウィークでは、OA推進のための新しい試みも紹介されました。「Subscribe to Open(S20)」と称する試験的モデルは、電子ジャーナルをオープンアクセス出版に移行するための取り組みであり、年間購読収入が維持される限り、該当ジャーナルをOAで公開するものです。つまり、出版社側から見ればOA出版費用を既存の年間購読契約とその収入に委ねるもので、図書館や大学側から見れば年間購読契約を継続していれば、インセンティブが提供され、該当ジャーナルのOA利用が可能になるというプログラムです。これを開発した米国の非営利学術出版社Annual Reviewsは、2020年に5誌を対象としてパイロットプログラムを開始し、うまくいけば対象を拡大し、逆に購読料金が想定レベルを満たさなかった場合には引き続き電子ジャーナル閲覧の年間購読契約を求めるとしています。この試みは学術関係者には好意的に受け止められているようです。

とはいえ、従来のモデルを継続している出版社も多く、中には契約内容や金額における透明性や平等性に疑問がもたれているケースもあるようです。高エネルギー物理学分野のジャーナルをOA化させることを目的とした国際連携プロジェクトであるSCOAP3(Sponsoring Consortium for Open Access Publishing in Particle Physics)によると、ドイツ国内の大学や研究機関のうち20%がOAジャーナルの出版費用を支払っていないとしています。通常、OAジャーナルへの投稿費用は著者が負担するため、研究費が限られる研究者にとっては財政的負担が大きくなり、取得した研究費の大きさによって発表論文数に差が生じるという不平等を生じさせてしまいます。また、大学・研究機関が費用を負担する場合でも、費用と論文生産数が比例するとも限らないため、不公平感が生まれる可能性もあります。このような理由から、ドイツ国内では先述のワイリーとDEALプロジェクトのような出版社との交渉のような新しい動きに対して批判的な意見も見られるようです。パートナーシップ契約が発表されても、契約期間内および契約期間終了後のハイブリッドジャーナルから完全OAジャーナルへの移行プロセスについては、移行コスト同様に課題として残されています。

また、シュプリンガー・ネイチャーも2019年8月に変革的オープンアクセス契約に関する合意をDEALプロジェクトと締結し、最終的な契約締結を目指しています。この合意締結により、シュプリンガー・ネイチャーはOAへの移行実現に向けた取り組みを前進させることになります。ドイツの研究者にとっては、アクセスできるコンテンツが増えるだけでなく、完全OAのもとで研究成果を出版する機会が増え、自分の論文の認知度を上げ、世界の研究者に読んでもらう機会を増やすことにもつながります。DEALプロジェクトのような団体や、大学、研究組織などが、ここに挙げたような契約や交渉を進めることで、オープンサイエンスに向けた流れが動き続けていくと予想されます。

研究データの共有

OAが進むにつれ、学術情報の共有における研究者、研究支援者(助成金提供者)、図書館らの役割と責任が変わってきていますが、研究者が出版プロセスの大規模な変化の先端にいるのではなく、末尾にいるという位置づけや、公的な研究資金を受けて研究を行った場合には助成金の規定に従って研究成果を発表しなければならないという義務も変わりません。それでも、OA化は学術コミュニティに大きなメリットをもたらすと考えられています。

とはいえ、研究者が成果をオープンにするにはさまざまな注意が必要です。成果の公開にはデータまで含まれることも注意すべきことのひとつです。研究データは、Findable(見つけやすく)、Accessible(アクセスしやすく)、Interoperable(相互運用を可能に)、Re-usable(再利用を可能に)であるようにと提唱された「FAIR 原則(FAIR Data Principles)」に基づく公開が求められます。日本でも研究によっては「委託研究開発におけるデータマネジメントに関する運用ガイドライン」に基づき、データマネジメントプラン(DMP)を提出するように求められており、データも含めた研究成果の共有が広がっています。同時に、大手出版社の論文データベースが有料でデータの利用が制限されていることから、データ共有を含めたOAインフラ構築の必要性についても議論されています。

オープンサイエンスの課題

オープンサイエンス推進の方向性は、世界中で議論されています。研究者および大学・研究機関等は、公的研究資金を受けて実施された研究の成果の公開、研究データの共有・保存、研究不正への対応といった責務に対応していかなければなりません。オープンサイエンスを進める上で平等性は重要なひとつの課題であり、また、データマネジメントとともに、研究データの信頼性および透明性の確保に向けた仕組みの構築が必要です。今後も、学術成果の公開、成果の共有、産学の連携、さらに学術コミュニメーションのオープン化に対する要求が顕在化していくことでしょう。オープンサイエンスの拡大にともない、出版形態も多様化しています。さまざまな課題に対し、どのような策がとられていくのか――研究者ならずとも興味は尽きません。

科学技術基本法の改正で変わること

国会での審議なんて学術研究には関係ないよ……と言われるかもしれませんが、今国会は要注意です。というのは、今国会に科学技術基本法の改正案が提出されると見越されているからです。はたしてどのような「改定」が検討されているのか、近年の日本の科学研究の危機的状況を解消することにつながるのか。改定で変わることを見てみます。

1995年に議員立法で成立した科学技術基本法は、日本の科学技術・イノベーション(技術革新)創出の振興を目的として設定されたものです。科学技術の振興に関する施策を計画的に推進するため、基本計画(科学技術基本計画)、研究推進のための総合的な方針、研究設備・環境の整備および研究者の育成などに関する定めを示しています。1996年から5年ごとに策定するよう定められていますが、近年は特に時代にそぐわない課題がいろいろ出てきているので、それらを踏まえた改正法案を2020年の通常国会に提出し、2021年度からの第6期科学技術基本計画に反映させるとしています。よって、今回の改正は日本の学術研究に大きな影響を及ぼすと考えられるのです。

2019年11月20日、内閣府の総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の有識者による作業部会は「科学技術基本法」の改正に向けた報告書『科学技術・イノベーション創出の総合的な振興に向けた科学技術基本法等の在り方について』 を公表しました。政府はこれを受けて具体的な法改正作業を進め、今年1月からの通常国会での法改正成立を目指しています。今回の改正が実現すれば、これまで対象としていなかった人文科学の振興が追加され、さらに、イノベーション創出の概念が明確化されることになり、今後の日本における科学・技術政策のあり方などに大きな影響を与える可能性があると言われています。

改正の柱のひとつは、従来の基本法の対象が「人文科学のみに関わるものを除く」とあるものの修正です。科学技術基本法の第一条を見ると、冒頭に「科学技術(人文科学のみに係るものを除く)の振興に関する施策」と規定されています。今回の改正でこの規定をやめようとしています。日本学術会議 は、人文・社会科学を含む科学・技術の全体について長期的かつ総合的な政策を展開することの必要性を指摘しています。これは、近年、地球規模の環境問題や人口知能(AI)、ゲノム編集技術の発展といった現代社会の課題に対応するためには人文・社会科学の研究も不可欠になっているとの意見が増えていることが背景にあります。環境問題の解決には、自然環境と人間活動の結びつきを理解する必要があるため、生物学、地球科学、社会科学、人文科学など多分野からのアプローチが求められます。また、AIによる自動運転を実用化する場合、法律や行政の知識が必要となるため、イノベーションの段階から人文・社会科学も一緒に研究に携わる必要が出てきます。改正法となる「科学技術・イノベーション基本法」(仮称)では、AIの自動運転による事故の扱いなど、人文・社会科学系の知や解釈を重視するとしています。実際、2016年にはグーグルの自動運転車が公道での走行実験中に接触事故を起こし、法的責任に関する問題が指摘されました。このとき、米運輸省道路交通安全局はグーグルの自動運転車が搭載する人工知能(AI)を連邦法上の運転手とみなす方針を明らかにしましたが、運転手の有無や介入の仕方によって運転責任が変わってくることなどを鑑みれば、自動車に関する法令につき抜本的な議論が必要となることでしょう。同様に、ゲノム編集の研究でも、法学あるいは倫理学的な視点が必要になってきます。2019年に中国研究者が遺伝子操作した受精卵から双子が誕生したという衝撃ニュースが世界を駆け巡り、日本の国会でもゲノム編集技術について審議 されましたが、厚生労働省は従来通り研究指針で規制する考えを示しました。つまり、日本では遺伝子を改変した受精卵による妊娠・出産させることを研究指針で禁止しているのみで、ゲノム編集による改変は網羅的には規制対象となっていないというのです。受精卵の操作については倫理的な問題も議論されていますが、他のゲノム編集技術も日々刻々と進歩し、同じく2019年には日本でゲノム編集された食品が解禁になっているなど、既にゲノム編集が身近なところに迫っていることから慎重な議論が必要となっています。このような状況を踏まえ、文理融合の研究とそのような研究を推進する研究者の育成が急務となってきているのです。

もうひとつの改定の柱は、現行の基本法にはないイノベーションの概念を導入するとして、科学技術・イノベーション(STI)を明確に定義付けていることです。近年の科学技術・イノベーション(技術革新)政策の動向を踏まえ、科学技術振興を基本理念とした現行法とのズレを修正するために必要な規定を追加するとしています。「イノベーションの創出」が重要であることを前提とすることで、イノベーションのプロセス全体を通じて自然科学と人文・社会科学が連携することが期待されます。日本の学術研究の将来が不安視される中、科学技術レベルの向上とイノベーションの創出は重要です。政府は、科学技術イノベーションは経済再生の原動力であり、科学技術イノベーション政策を強力に推進していくと表明。一方の学識者は、今回の改訂で「イノベーションの創出」が書き込まれようとしている点は評価しつつ、基本法本来の目的である科学・技術振興、とくに基礎研究振興の視点が後退しないか注視する必要があると指摘 しています。大学や国立研究所がイノベーション創出のため「成果の普及」を義務づけられた場合、産学官連携への国家動員が強まる危険性を懸念する識者もいます。また、従来の自然科学中心の科学技術振興に加えてイノベーションにまで範囲を広げることで、自然科学における最先端技術に大きな予算が配分されている現状の科学技術予算の範囲は大幅に変わると予想されます。政府は、平成28~32年度の第5期基本計画 及び統合イノベーション戦略でも重要な分野や効果の高い施策への重点的な資源配分を図り官民の研究開発投資の拡充を目指してきました。科学技術・イノベーション創出の活性化に関する法律等の見直しでは、産学官連携を活性化するために国立研究開発法人の出資規定の整備 を行うことも検討するとしていますが、予算配分は研究者にとって影響が大きいだけに今後の動きにも注意が必要でしょう。

今回の科学技術基本法改正により、日本の学術界のサイエンス至上主義が見直され、人文社会科学の存在感が増すことを期待します。

参考:
文部科学省 科学技術基本法について(外部リンク


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気になる研究助成金の分配方法

研究助成金は研究を続ける上で不可欠です。なんとか必要な額の助成金を得ようと苦労している研究者が、申請が不採択となった理由を知りたいと思うことは不思議ではありません。助成金の審査方法だけでなく分配方法も気になります。一方、助成金提供者側にとっては、助成金申請の数が増加すると、事務手続きが膨大な量となって負担が重くなる上、すべての申請内容を評価し、合意を集約させるのは一苦労です。では、手続きを簡略化する対策として「公正な抽選により、あなたの申請は不採択になりました。」と言われたとしたら、研究者は納得できるのでしょうか?

実際、資金提供者の手間と審査に要する時間を削減すると同時に、公平性を保つため、申請をランダムに選んでいる(任意抽出している)組織があるようです。ニュージーランドの保健研究会議(Health Research Council)は研究資金提供先を「くじ引き方式」によって抽出している一例ですが、このように部分的なものも含めてランダム抽出を行っている団体・研究機関の数は増えているとnatureの記事が指摘しています。

変わりゆくプロセス

研究資金提供団体の中には従来の選出方法は妥当ではないとして、「くじ引き方式」を実施しつつ、研究助成金の選出プロセスに透明性を持たせるための新しい方法を模索しているところもあります。一方、従来の方法をとっている団体も、研究分野によってはランダム抽出への動きがあることは認識しており、今後の動きを検討しています。2019年11月にスイスのチューリッヒ大学で開催された会議では、科学界におけるより広域な作業にもランダム式選考を採用すべきとの意見も出されました。この主張によれば、助成金申請の抽出に留まらず、どの論文を出版するかの選出や、さらにはどの候補者を研究者として採用するかの選考にも使うことができるとしています。この会議の主催者でもあるチューリッヒ大学の経済学者は、ランダム方式は現在のプロセスよりも高い開放性を得ることができるだろうと示唆しています。現行プロセスは、研究者にとっては申請書類の作成に関するさまざまな作業に手間取る割にはいくら苦労しても不採択となる可能性は捨てきれず、評価委員にとっても大きな差異のない申請書類を大量に仕分け、評価、選出することに多くの時間を要することから、効率的とは言い難いと述べています。さらに、標準的な評価が、政策立案者、出版社、大学の事務局が思うようには行われていない上、審査・選考を行うあらゆる組織・団体が的確な基準をもって機能しているわけではない現状も指摘しています。

今では、ニュージーランドの技術革新科学基金(Science for Technological Innovation National Science Challenge, SfTI)やスイス科学財団(Swiss National Science Foundation, SNSF)、ドイツ最大の私的支援団体であるVolkswagen Foundationのようにランダム方式を導入する団体・組織が出てきており、研究資金の提供先の選出プロセスは変わりつつあるようです。

とはいえ、すべてのプロセスがランダム化している訳ではありません。一般的には、研究支援者は、送られてくる申請が自分たちの基本的な基準に適合したものかどうかの確認を行い、その上で研究ごとの番号を付けてコンピューターによるランダム選出を行い、研究費の分配を行います。例えば、ニュージーランドのSfTIは、20件の研究プロジェクトに助成金を提供していますが、評価委員はどのプロジェクトを20番目(採択)にしてどのプロジェクトを21番目(不採択)にするかで頭を悩ませる必要はありません。どのプロジェクトが支援に値するかのみを評価して、後はシステムに任せればよいのです。

ランダム化のメリット

資金提供者は、申請者に対して選考がどの段階にあるかを伝えます。申請者は、自分の申請が支援に値する内容かどうかを知ることができ、後は運任せとなれば、不採用になったとしても何が悪かったのかと思い悩まずにすみます。ランダム抽出には、いつも同じような研究が助成金を受けるというバイアス(偏見)を削減し、助成金を受けられる研究の多様性を増やすといったメリットもあります。しかも、ランダム抽出の採択基準に、例えば、民族的にマイノリティー(少数派)な研究者や、あるいは潤沢な資金のある組織の後ろ盾を持たない研究者を優先して抽出するといった要素を加味することも可能です。もちろん、発想の斬新さよりも個々の研究者の実績に重きを置く従来の選考方法にもメリットはあるので、新しいシステムに従来の良さも取り込んでいくことが望ましいとされています。

しかし、今のところすべての研究支援組織・団体が、ランダム抽出に移行することありません。ランダム抽出のメリットを良いと考える団体ばかりではないからです。従来のプロセスでうまくいっている場合、自分たちの手間を省くためにプロセスを変更することは望ましくないと考える人もいます。また、申請書にはランダム抽出に必要な基本的な基準さえ書き込めばよいと申請者が考える可能性を鑑みると、書類が簡略化されることをメリットと取るか、高品質な申請書を作成することにも意義があると取るかでも見解は分かれます。

すぐに助成金申請の審査方法が大きく変わるというわけではありませんが、試行錯誤は続きそうです。上述の選出時のメリットに加えて、ランダムに抽出された研究論文が学術雑誌(ジャーナル)に掲載された後にこそ、大きなメリットが得られるとの議論も生まれています。ランダム抽出であれば、自分の論文が「選ばれた」との意識が薄れ、謙虚になれるのがよいというのです。科学には謙虚な姿勢が大切であるとする研究者の意見は、新しいプロセスを考える上でも貴重でしょう。

また、近年は、政府系機関や企業などから資金を得るのではなく、さまざまな財団やインターネットで不特定多数からの資金提供を募るクラウドファンディングや、出版社や学術関連企業などによる奨励金で研究費を集めるといった他の方法も出てきています。どのような選考があるかは資金提供者によって異なりますが、研究費獲得先としても多様性を持たせることを考えてみるのもよいでしょう。


参考情報:エナゴ・グラント(エナゴ研究奨励金)

中国系研究者を狙い撃ちか?

がん治療・研究に特化した研究施設であり、がん研究では世界トップを走るテキサス大学MDアンダーソンがんセンターに米連邦捜査局(FBI)の捜査が入り、研究情報の窃盗の疑いでアジア系の教授を解雇したことが報じられました。このニュースについて説明します。

テキサス大学MDアンダーソンがんセンターの教授解雇

テキサス大学MDアンダーソンがんセンターで、2019年4月に研究者5名が相次いで同センターを去りました。同センターの発表によれば、2018年8月に米国国立衛生研究所(NIH)から数名の研究者に情報漏洩および論文査読における整合性が疑われるとの指摘を受けて調査を進めたところ、疑わしいと指摘された3名の懲戒免職の手続きに動き、そのほかの2名は違反が認められたものの免職には当たらないとしました。免職対象の3名のうち2名は解雇される前に辞職し、残る1名は調査中となりました(4月時点)。NIHもMDアンダーソンがんセンターも個別の嫌疑の詳細や3名の情報を明らかにしていませんが、情報の漏洩先は中国であり、嫌疑ありとされたのは中国系の研究者と報道されています。

内部情報を基にした報道によると、嫌疑の対象になったうちの一人は疫学部教授のXifeng Wuです。彼女は中国生まれですが、テキサス大学で博士号を取得し、米国籍を所有していました。数々の業績をあげ、MDアンダーソンがんセンターの疫学部長として、中国の研究者やがんセンターと密接な関係を築いてきました。中国の研究機関との共著論文も多数発表しており、その数は26研究機関、87本に及びます。しかし、2014年頃からMDアンダーソンがんセンターから中国の研究機関に情報が漏洩しているのではないかとの疑いがもたれるようになり、当センターはセキュリティを強化しましたが、FBIが2017年夏に研究および専門情報の盗難の可能性の調査を始めると、その調査途中の2019年1月にWu博士は辞職してしまいました。3月には中国に戻り浙江大学医学院公衆衛生学部の学部長の職に就いています。Wu博士の嫌疑が正当であったのか、辞任の理由が何であったのかは明らかにされていませんが、情報窃盗として容疑が固まるには至りませんでした。とはいえ、米国内の研究施設からの情報漏洩や知的財産盗難については警戒感が高まっており、同センターも秘密情報の窃盗については処分を強化すると言及しています。

事件の背景

こうしたケースはMD アンダーソンがんセンターに限りません。NIHが2018年8月に疑惑を指摘した研究機関は数十箇所に上り、中国をはじめとする外国が絡んだ情報漏洩の摘発を狙ったようです。米国上院の予算委員会でNIHの高官が2019年6月行った報告では、外国政府と秘密裏に関係している疑いにつき、HIHが研究資金を提供している研究機関のうち61箇所にFBIの協力を得て予備調査を行った結果、うち16機関に法律違反の可能性があると述べています。NIH高官は別の機会に「本来は秘密扱いとはならない基礎研究であっても、将来的には特許申請に結びつくものが含まれている可能性はあるので、そのような情報を外部に流すのは実質的に情報を盗むことと同義である」との趣旨の発言をしています。こうしたことを踏まえてメディアは、今回の事件は中国との貿易戦争を背景に、米国政府が学術関連の情報の取り扱いについて、中国および中国系の研究者に圧力かける意図があったと分析しています。

米国のあせり?

トランプ政権による中国との貿易戦争は、上乗せ関税の応酬のニュースが目立ちますが、中国における国家主導の経済体制と並んで、米国が重視している争点のひとつに知的財産の保護があります。中国の知的財産の問題は、ブランド品の贋作の輸出や、国内での外国特許や著作権の侵害ですが、その手口は巧妙化の一途をたどっています。中国政府は11月24日に知的財産権侵害への罰則を強化すると発表していますが、ここにきて米国が特に研究情報の漏洩に強い姿勢を示している背景には、科学技術における中国の躍進への警戒もありそうです。

ここ20年ほどで中国の科学技術における発表論文数は大幅に増加しています。米国国立科学財団(NSF)が発表した報告書『SCIENCE & ENGINEERING INDICATORS 2018』によれば、科学技術分野の中国の論文発表件数は2003年から2016年に5倍に増加しています。一方、米国は同期間に約1.3倍になっただけであり、2010年以降は横ばいで、2015年に前年よりやや減少し、2016年には中国に抜かれています。こうした状況に、米国が焦りを感じていることは否定できないでしょう。

実際、中国政府が科学研究に潤沢な予算をつぎ込み、研究を促進するにともない、中国人研究者の論文発表数は増加してきました。中国の大学の格付けも年々上昇しており、まさに米国に迫っているのです。米国側に、中国の科学研究のプレゼンスの拡大を何とか抑制したいとの思いがあっても不思議ではありません。今回紹介したMDアンダーソンがんセンターの事件も、米国のあせりが下敷きになっているのではないでしょうか。

米国の2020会計年度の予算の行方は

学術界が、資金確保と科学的な知見への不信感から困難な状況に置かれています。とくに顕著なのが、トランプ大統領の率いる米国。米国は、最先端の研究を進め、学術雑誌への掲載論文数も多い「科学大国」でしたが、地球温暖化は「でっちあげ」だとの発言を筆頭に、平然と科学的知見に反論するトランプ大統領の就任後、科学への不信感が広がっています。同大統領は米国環境保護庁(EPA)や米国航空宇宙局(NASA)による温暖化研究を「税金の無駄」と評しただけでなく、主だった研究機関の 研究費 の大幅削減を試みています。特に、米国国立衛生研究所(NIH)と米国国立科学財団(NSF)への予算増加はしないと明言したことから、米国の科学研究の行く先が不安視されています。

大統領の姿勢

研究費の削減は、科学研究全体に多大な影響を与えるのは必至ですが、大統領の科学軽視の姿勢は、科学への不信感の増大に影響を及ぼすこともあります。かつて、トランプ大統領は、麻疹(はしか)のワクチン接種の副作用が自閉症につながるなどと科学的論拠を無視した発言を繰り返しツイートしていました。Anti-vaccinationistを示す「anti-vaxxer」と呼ばれる反ワクチン論者の集団は、米国中間選挙の裏で選挙資金を流して選挙に関与したとも言われていますが、その政治的な動きはともかく、予防接種率が低下したことではしかの感染が拡大してしまいました。このときの感染拡大を受け、ニューヨーク市のブルックリン地区では公衆衛生の非常事態宣言が発令されたほどです。幸いにしてトランプ大統領は、はしかワクチンについては「予防接種は重要だから受けなさい」と意見を覆しましたが、科学への不信感による影響には恐ろしいものがあります。トランプ大統領の科学軽視の傾向に加え、トランプ政権を支持する人の間には科学研究活動に対する不信感が根強いのです。そして、トランプ政権における科学技術への関心の薄さが研究費削減という予算案となって示されていると言えるでしょう。

トランプ政権による研究費削減策とその影響

2019年3月、トランプ大統領は、ほぼすべての政府系研究機関向けの予算を大幅にカットするよう議会に求めました。ここで対象外となったのは、米国エネルギー省(DOE)と米国航空宇宙局(NASA)の2機関のみです。

これに先立ち、2018年12月22日から2019年1月25日にかけて米国政府機関の一部機関が閉鎖されていました。35日間もの閉鎖は、歴史上での最長の長さにおよび、約30億ドルもの経済損失が生じたと試算されています。この影響は学術界にも波及し、NSF単体でも2000もの助成金申請処理が遅れたほか、さまざまな点で支障をきたす原因となりました。

そして今年前半、トランプ大統領はすべての政府系研究機関の研究費を削減するとの予算教書を提出したのです。NIHの研究費については、大統領による前年比5億ドル減の予算案に対して、下院が2億ドル増を提案し、同様に、NSFの研究費についても予算増の提案が出ていましたが、行政予算管理局(OMB)は増額案に反対。研究費などの削減分は軍事費の増額分に充てられるとの噂もあり、予算における攻防が続いています。

下院の民主党らは、トランプ政権は政府系研究機関による科学研究、特に基礎研究の重要性を認識していないと主張し、予算削減に抵抗しています。トランプ大統領の掲げる「国境の壁」建設費をめぐっても妥協点は見えていません。大統領は9月に11月21日までのつなぎ予算に署名しましたが、本来10月1日から始まる2020会計年度の予算は11月21日までにまとまらず、11月21日に大統領が継続予算決議(CR)に署名したことで12月20日まで交渉は継続されることとなりました。これで当面、政府機関の閉鎖は避けられてはいますが、また年末になって騒ぎにならないとも限りません。

トランプ政権による優遇

OMBは大統領府の付属機関であるため、予算については大統領の意向を反映させがちな傾向があり、予算削減の対象外とされた2機関については異を唱えていません。一方で、OMBのディレクターRussell Voughtは、NASAの研究開発プログラムに対し、2024年までに再び有人月面着陸を行う目標を達成するための研究開発費を含め7億ドルの増額が必要だとする書簡を10月23日に議会に提出しました。トランプ大統領は、宇宙開発においても「かつての偉大さを取り戻す」と約束しており、NASAの一部の研究開発については積極的に財政支援するようです。また、DOE科学局とエネルギー高等研究計画局(ARRPA-E)に対しては史上最高額の予算案が可決されています。DOEは、無人・自立システム、人口知能(AI)、極超音速技術、指向性エネルギーに関する技術開発を優先事項に掲げています。これらのことから、トランプ政権下の予算案の特徴としては、経済成長優先と、好む政策と好まない政策の予算案の増減について大きな落差があると言えそうです。

学術界の反応

トランプ政権が、基礎研究を軽視し、偏った予算配分を強行しようとしていることに対し、学術界はどう反応しているのか気になるところですが、多くの研究者、研究グループ、機関は前回の政府機関の閉鎖の影響から回復しきれていないのが現状です。閉鎖期間中は会議開催や研究活動の制限、あるいはキャンセルを余儀なくされました。政府系の博物館などの資料やデータへのアクセスも制限され、データセットへのアクセスができなかっただけでなく、データ自体に穴(抜け)が生じたりしており、それらの損失は計り知れません。しかも、同期間中、無給となってしまった研究者もいたのです。ひどい事態ではありますが、多くの研究者にとって、将来、研究費が大幅に削減された場合には同様の事態が起こり得るのです。

来年の大統領選を踏まえ、2020会計年度の予算上でどのような政治的駆け引きが行われるか、実際に研究機関の予算が削られてしまうのか――予算編成プロセスにおける熾烈な戦いを思うと本予算確定まで気が抜けそうにありません。


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プランSの学術界への影響は⁈(2)

論文のオープンアクセス(OA)化に向けた公的助成機関によるイニシアチブ「cOAlition S」の開始と、OA推進の10の原則「 プランS 」についての概要、ならびに、このプランSへのフィードバック募集(期限:2019年2月8日)については別記事で紹介しました。学術研究者のみならず、出版界もこのプランSの動向に注目しており、600を超えるフィードバックが寄せられたそうです。それらの意見を踏まえてcOAlition Sが目指すOAの実現に向けた手引き「Guidance on the Implementation of Plan S(以下、手引書)」が改訂され、効力の発生時期を予定より1年遅れの2021年1月1日に延期するなどの変更が加えられました。この動きは学術界にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

加速するオープンアクセス

2019年5月31日に発表された手引書の改訂版には、cOAlition S参加機関による研究助成を受けた研究成果(査読出版物)は、すべてOAジャーナルかOAプラットフォーム、またはOAリポジトリに即時発表しなければならないとされる日が、当初計画されていた2020年ではなく2021年1月1日となったことが記されています。OAへの移行には時間が必要であるとの指摘に対応し、出版社のビジネスをOAモデルにシフトする時間的猶予を与えるものと見られます。とはいえ、効力発生日までに学術界が適応しきれるのか疑問視する声は根強く残っており、さまざまな点で論議を呼んでいます。

改訂点

エンバーゴ(公開猶予期間)なしの即時・完全なOA化といった基本的な原則は従来通りでしたが、フィードバックを踏まえ、以下の点で変更が加えられています。

基本原則通りとされたこと

  • あらゆる学術出版物が購読料を支払わずに閲覧できるようにする(=OAとする)
  • エンバーゴ(公開猶予期間)なしに即時かつ完全にOA化する
  • CC BYライセンスによる実施を原則としたOA化とする
  • 研究資金提供者は妥当なOA出版費用を支援する
  • 研究資金提供者は、終了日が明確にされている転換契約(Transformative Agreements)を締結しているもの以外のハイブリッドOAジャーナルでの発表を支持しない

変更となったこと

  • 研究者や出版社がプランSのもとで進められるOA化に対応するための準備期間を得られるように、効力の発生日を2021年1月1日へ延期する。
  • OA化を促すための転換契約(Transformative Agreements)への資金提供は2024年まで実施する。転換契約により、定期購読モデルからOAモデルにシフトすることになる。
  • 過渡期の契約に関する選択肢として、転換契約、転換モデル契約(Transformative Model Agreements)、段階的にOAコンテンツを増やすとしている学術雑誌(Transformative Journals)での出版などを考慮する。
  • プランSの実現方法はひとつではなく、多数のOAプラットフォームの利用が可能。このことを踏まえ、プランSが単なるOA出版における出版費用モデルではなく、cOAlition SがOAジャーナルとOAプラットフォームのために継続的なモデルの多様性を支持するものであることを明確に示す。
  • cOAlition Sは、論文が掲載される学術雑誌(ジャーナル)の評判(権威ある雑誌かどうか)ではなく、研究自体の価値および研究成果に基づく評価、インセンティブを重視することを明確に示す。
  • 市場と研究資金提供者の将来性を標準化し、出版費用の上限を考慮するためにも、OA出版料の透明性は重要であることを明示する。支援者が助成金を提供する際、合理的でない価格設定については支払上限を考慮する可能性にも言及する。
  • OAレポジトリに要求される技術的な要件が厳しいため、これを改訂する。

この改訂版のリリースにより、新たなOA化論争が起こっています。EC(欧州委員会)のCarlos Moedas氏は、このプランSの改訂を歓迎し、「プランSは、OA化を実現させるために、増え続けている資金提供者が促進すべき大胆なステップのひとつです。」と述べています。当事者となる研究者は、当面の期間は、転換契約のもとで論文を出版したり、助成機関が認める場合には制限付きのOAで論文出版したりすることができますが、2021年以降の出版はすべてOAとなる予定です。

学術界の反応は?

cOAlition Sは、今回の改訂が研究資金提供者や研究機関などがプランSに取り組む助けとなるのを期待しています。cOAlition Sの一員であるJohn-Arne Røttingen博士は、「プランSの最終版は、OAへの完全かつ迅速な移行を加速させることになるでしょう。」と言っています。科学政策決定者でプランSの作案者でもあるRobert-Jan Smitsは、評価に関して成果を重視する点を高く評価しており、学術界でプランSへの賛同が高まることを期待しています。

出版社の中には、OA化への転換に選択肢が示されたことを前向きにとらえているところもありますが、OA化に必要な費用、特に助成金を受けていない研究者に対する費用負担について懸念を示す出版社もあります。いまだに問題が大きいとの指摘は残っているのです。

一部の若手研究者は、プランSは急ぎすぎているとして世界の研究者からの投稿が減る可能性を示唆しています。また、プランSがイギリスおよび欧州の国々に注力しすぎているとの指摘もあります。米国や中国、アジア諸国のようにプランSを推進していない国も多数あることを踏まえ、プランSに適合したジャーナルに論文を出版することに縛られるあまり、中国や米国のように高インパクトであればOAであることを必須としていないジャーナルへの論文投稿ができる国々に研究者が移動することの妨げになるのではないか、つまり研究者の学術的自由の侵害になるのではないか、とのネガティブな影響を懸念する声も上がっています。

多くの賛同が得られる一方で、実際に2021年までに準備が間に合うかと不安視する声もあります。しかも、世界中の研究支援の中でcOAlition Sの助成機関による支援はごく一部を対象としており、その割合は大きなものではありません。他の研究助成機関の賛同が得られなければ、世界でのOA化へのスムーズな転換は難しいだろうとの意見もあります。いずれにしても、2021年まであとわずか。出版社、特にハイブリッドジャーナルを発刊している出版社が今回の改訂をどのように捉え、今後どのように推移するか。注意が必要です。

【cOAlition Sとは】

cOAlition Sとは、2018年9月4日に欧州の11の公的助成機関が中心となって立ち上げた研究成果物の即時・完全なオープンアクセス(OA)化を目指すイニシアチブ(取り組み)であり、このOA化を推進するために策定された10の原則が「プランS」です。OA化は大胆な改革であることから、cOAlition SはプランSの実現に関する手引書“Guidance on the Implementation of Plan S”公開し、フィードバックを募集。40以上の国から600を超える意見が寄せられたことを踏まえた手引書の改訂版が2019年5月31日に発表されました。


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日本の研究力低下を止められるか

2019年10月9日、テキサス大学のJohn B. Goodenough教授、ニューヨーク州立大学のM. Stanley Whittingham教授とともに、旭化成名誉フェローの吉野彰氏が2019年のノーベル化学賞を受賞され、日本中が喜びに沸きました。スマートフォンから電気自動車など、すっかり日常生活に溶け込んでいる製品にとって不可欠なリチウムイオン電池。この電池の開発で主導的な役割を果たした功績が称えられたわけです。

大変嬉しいニュースですが、喜んでばかりもいられません。日本のノーベル賞受賞数は、米国籍の研究者を含めて28人。化学賞に限っても8人が受賞しており、世界でも有数のノーベル賞受賞国となっていますが、将来この状況が続くとは期待できないと指摘されています。近年の受賞者を見てもわかるように、研究成果を発表してからノーベル賞受賞までにはタイムラグがあります。しかも、学術雑誌「Nature」の記事、または英国教育専門誌「Times Higher Education(THE)」の「世界大学ランキング」でも日本の科学技術力の劣化が示される中、受賞者だけでなく多くの研究者が研究力の強化と若手の育成が急務と指摘しています。

論文数減少

日本の科学技術力の低下が数字となって表れているものの一つが論文数の減少です。平成30年版「科学技術白書」で主要国における論文数の推移を見てみると、世界の論文数は増加しているのに対し、日本の論文数は減少。1990年代後半には横ばいとなり、2013年以降は減少に転じていました。国・地域別論文数では、論文発表数上位10か国・地域における日本の論文数は10年間で2位から4位に、被引用数Top10%補正論文数は4位から9位に転落しています。当然ですが優れた論文ほど引用される回数は多くなるので、論文数ともに被引用数が下がっていることも問題です。

予算削減の影響

これにはさまざまな原因が考えられますが、研究費の削減が科学研究を脆弱化させている一因と考えられています。2004年4月に国立大学の独立行政法人化が開始されて以降、研究活動の基盤となる運営費交付金、特に人件費が削減されたことで、教員や若手教員などの採用を抑制する動きが見られました。研究活動の基盤となる国立大学運営費交付金は13年間で12%(1445億円)減。長期的には、若手研究員の減少は研究力低下につながるとともに、任期付き雇用では落ち着いて研究ができない状況です。運営費交付金の減額をカバーするためとして、使途が決められている「特定運営費交付金」、または研究プロジェクトの費用が部分的に補助される「プロジェクト補助金」といった予算が計上されてはいますが、すべての国公立大学がこれらの競争的資金を獲得できるわけではないので、大学によってはどうにもならない状況に陥ってしまうのです。さらに競争的資金が増えても若手研究者の安定した雇用にはつながりません。このまま大学の予算が縮小すれば、ますます人件費は削減され、研究の継承や発展が困難となるでしょう。これが研究における支障となり、巡り巡って論文数の低下につながり、大学などにおける学術研究の根幹を揺るがす問題となってしまうのです。この状況を打開すべく、研究環境を改善し、科学研究を促進するための施策を見直すことが急務とされています。

大学だけではありません。The Japan TimesのOpinionに掲載された記事には、理化学研究所の研究機関への公的助成金が過去10年間で20%近く削減されたと書かれています。予算が削減された研究機関は、資金を確保するために国内外から資金調達をする努力を余儀なくされます。

国際研究は研究力の増強につながるか

日本の研究力低下を阻止する方法として、国際研究の促進が期待されています。実際、2014年以降、Nature Indexの学術雑誌(ジャーナル)に掲載された国際共同研究(共著者に外国人が含まれている研究論論文)の割合は、46%から56%にまで増加しています。海外の大学または研究機関との研究に関する協定を締結している機関は増えています。文科省の調査(平成28年度)によると、調査に回答した860機関中、551機関が研究協定を結んでおり、地域別ではアジア、北米、ヨーロッパの大学・研究機関が多いことが示されています。その内訳を見ると、国立大学等が87機関、公立大学が55機関、私立大学は326機関。同年度における海外の大学との大学間交流協定件数も、38,264件(前年31,929件)と年々のびています。とはいえ、国際研究はひとつの策であって、研究力低下を食い止めるには不十分です。欧州連合などに比べると日本の研究機関は、科学研究のレベルを上げるには国際的な共同研究が重要だとの意識が低いとの指摘もあります。

企業の投資意欲は増

今年のノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏は、旭化成名誉フェローです。革命的なリチウムイオン電池の研究を重ね、商品化にこぎつけています。1991年の発売当時はあまり売れなかったようですが、1995年以降、携帯電話の普及、インターネット時代の到来により需要は急激に拡大。いまでは、IT機器だけでなく電気自動車にも使われるようになっており、さらなる技術開発と利用の拡大が見込まれています。日本経済新聞社の調査によると、企業の研究開発への投資は上向きで、2019年度の研究開発費総額は18年度に比べ5.2%増が見込まれると記されています。IT分野を中心とする技術革新に対応するために研究開発投資を継続する姿勢がうかがえます。特に増額が大きかったのは武田薬品工業で、昨年度から1227億円増やし、総額4910億円を研究開発に投資する見込となっています。

政府による若手強化策

このように研究開発への投資が増えることは歓迎できるのですが、任期付きの不安定な役職で働く若手教員の割合が増えていることなどを踏まえると、しっかりとした研究環境を長期的に維持することが急がれます。吉野氏は11月11日に総理大臣官邸で開催された総合科学技術・イノベーション会議に出席し、若手研究者には最低10年以上は研究期間を保障する必要があると訴えました。これに対し安倍総理は「我が国がこれからも未来にわたって世界トップレベルの研究力を持ち続けるためには、若手研究者への支援強化が何よりも重要です。」と強調し、研究レベルの維持・向上に向け、主に若手研究者を対象とした支援策を年内に定めると表明しました。研究環境の抜本的な改善につながることが期待されます。

若手研究者の国際化支援

政府は、若手研究者の国際支援も科学技術政策の重点項目のひとつに位置づけています。国内向けとして実施されてきた研究開発プログラムにおいても、国際共同公募等を行うなどの国際協働研究支援を推進していますが、2019年6月に文科省が策定した「第6期科学技術基本計画に向けた提言」でも、研究力低下の現状の打開策の1つとして国際共同研究の抜本的強化を掲げています。大学や研究機関なども独自の施策を打ち出していることから、若手研究者への支援が強化され、日本の学術研究の国際競争力の向上につながると考えられます。

学術研究においてもグローバル化が進む現在、研究費の確保同様、国境や分野を超えた「協働研究」の重要性は高まる一方です。日本でも若手研究者が研究に集中できる環境を提供するとともに、国際化を支援することによって、日本の研究力が回復することを願います。

プランSの学会への影響は⁈(1)

近年、学術界は論文のオープンアクセス(OA)化も含めたさまざまな変化に直面しています。かつては、ほとんどの研究者が学会に所属しており、自らの研究成果を提示する機会を学会に依存していました。学会の会合で発表したり、出版の誘いを受けて論文を投稿したりしてきたのです。しかし近年は、OAビジネスモデルに代表されるデジタル化の波により、学会の支配力は揺らいでいます。研究者は、学会に頼ることなく、多種多様な学術雑誌(ジャーナル)にいつでも、どこからでもアクセスできるようになっているからです。

新たな取り組み:プランS

2018年9月4日、欧州委員会(EU)と欧州研究会議(ERC)の支援を受け、欧州の研究助成財団・研究実施機関が加盟するScience Europeは、11の研究助成機関が助成した研究成果を完全かつ即時(論文発表直後)にOAにするためのイニシアチブ「cOAlition S」を開始すると発表しました。

発表時に署名した研究助成機関と国名
Austrian Science Fund (オーストリア)、French National Research
Agency(フランス)、Science Foundation Ireland(アイルランド)、National Institute for Nuclear Physics(イタリア)、National Research Fund(ルクセンブルグ)、Netherlands Organisation for Scientific Research(オランダ)、Research Council of Norway(ノルウェー)、National Science Centre(ポーランド)、Slovenian Research Agency(スロベニア)、Swedish Research Council for Environment, Agricultural Sciences and Spatial Planning(スウェーデン)、UK Research and Innovation (イギリス)
※ 現在では欧州、28か国、37のScience Europeの加盟団体が参加しています。

cOAlition Sには、2020年1月1日以降に研究助成を得た研究成果論文は、全て規約に準拠したOAジャーナルやOAプラットフォームでの論文の公開を義務化するとの目標と、10の原則「プランS」が示されていました。これは、加盟している研究機関の助成を受けたあらゆる研究成果物の即時OAを実現させることを目的とした取り組みであり、研究機関をはじめ、研究者、学会などの連携が求められています。しかし、OAを推進する研究コミュニティや大学関係者などから賛同の声が上がりつつも足並みが揃わない上、伝統的な出版社は批判的です。このような状況を踏まえ、プランSを推進する研究助成機関の連合体である「cOalition S」は、プランSの発表直後から2019年2月8日までの期間に、「Guidance on the Implementation of Plan S」(手引書)に対するフィードバックを募集しました。

ガイドラインへのフィードバック

2019年2月20日、Coalition Sは、プランSの実現に向けた手引書に対し40か国を超える国や地域から600を超えるフィードバックがあったと報告しました。この結果を受け、5月31日に発表されたガイドラインの改訂には、即時・完全なOA化の実施を原則とする基本的な部分は変わらないものの、研究者や研究機関、出版社らがプランSに対応するための準備期間を設けるために発効期限を1年延期するなど、いくつかの変更が提示されました。発展途上国などの地域や人文・社会科学などの分野によっては、技術的あるいは内容的にOA化への対応が難しいことも予想されます。安定した通信技術だけでなく、低コスト化、大手出版社も満足するような顧客とのライセンス契約の再構築なども必要ですが、その陰で学会誌のような小規模な学術雑誌を締め出しかねない現実も課題です。購読料だけでなくOA出版のコストもカバーする「Read and Publish契約」のような新たな移行契約(transformative agreement)を締結する際、そしてその次の段階として、ハイブリッドモデルから完全なOAモデルに切り替える際に、ある程度の資金力が必要であると示されており、これらは小規模な雑誌出版にとって大きな負担となりえるのです。

プランSへの対策

実際、プランSの要求を満たすことのできる学術雑誌は少ないと考えられています。2019年2月には、英国の医学研究支援団体ウェルカム・トラスト、研究・.イノベーション機構(UKRI)、学会・専門協会出版社協会(ALPSP)、Information Power Ltdなどが共同で、学会出版物のOAへの移行とプランSの推進に向けた対応方法を検証するプロジェクト「Society Publishers Accelerating Open access and Plan S (SPA-OPS)」を立ち上げました。このプロジェクトの進行は公開されており、その結果はウェブで見ることができます。2019年7月に報告書が発行され、すべての資料がCC-BYライセンスの下で利用可能となっています。

学術出版界は、加速するOA化により複雑な問題を抱えており、出版社は個々の契約の再検討・交渉の必要性に迫られています。通常、論文掲載料(APC)モデルからハイブリッドモデルへの移行を経てからOAモデルに転換する段階的移行が一般的であるとはいえ、最終的にOA出版に移行した後、その状態を維持していくためには収益構造を根本的に変える必要があるとも指摘されています。契約交渉には、アクセス状況、割引、著者の所属、研究資金提供者、識別因子など、多様な要素が関わってきますが、このような詳細情報を提供することは小規模出版社には難しい場合もあり、さらに苦しい状況に追い込まれる可能性があるのです。

プランSの実現に向けて

学術情報流通のオープン化に向けたプランSの実現は、学術コミュニティおよび出版社にとって大きな変革であり、研究者とそれを取り巻く関係者の状況に配慮した移行期間が必要だとの要望は理解できます。発効期限が1年延長されたことで、行動を起こす余地が出たとも言えますが、間に合うのでしょうか。プランSの実現に向け、SPA-OPSのようなイニシアチブとの連携も進んではいますが、同時に、プランSが研究コミュニティや学会に及ぼす影響以外も含め、多種多様な課題があるということは覚えておくべきでしょう。学術界全体を俯瞰し、研究助成のあり方、研究評価方法、学術雑誌のあり方までも視野に入れた検討が必要とされているようです。


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査読レポートを書いているのは誰だ?

査読は科学研究の正確性や質を確保するプロセスです。優れた学術雑誌(ジャーナル)の多くには査読が付いており、投稿された論文が出版にふさわしいかどうかを判断しています。査読は、当該分野の知識を豊富に持つと学術界に認識されている研究者によって行われるべきです。査読者は投稿論文の正確性、明瞭さ、完成度をチェックし、その結果を査読レポートにまとめ、編集部に提出します。これは論文出版に向けた重要なステップです。査読レポートは、学術ジャーナル、論文執筆者の双方に対して偏りがないものでなければなりません。著者は、編集部から査読レポートを受け取り、指摘された箇所・内容への修正を行います。査読レポートに書かれた修正依頼に応じて原稿を書き直すことで、ジャーナルへの掲載が可能となります。最近では、この査読レポートを(著者以外も見られるように)公開する試みが行われており、話題となっています。

投稿論文が出版に値するかどうかを評価する方法として広く定着している査読ですが、そのプロセスの問題も指摘されています。そこにさらなる問題提起として、査読レポートを若手研究者が書いているという研究報告が出てきたのです。

若手研究員が査読レポートの執筆を?

2019年4月、ライフサイエンス分野のプレプリントリポジトリであるbioRxivに「Co-reviewing and ghostwriting by early career researchers in the peer review of manuscripts」と題する研究報告が掲載されました。これは、名前の出ない若手研究者が査読レポートの執筆に関わっている実態を、恐らくは初めて明らかにした報告です。この研究では欧米とアジアの約500名の若手研究者に、査読レポートの作成に関わった経験の有無を問うと共に、そうした行為をどう考えるか意見を集めました。ここで「若手研究者」とは、研究グループのリーダーを務めたことがない研究者で、大学院生(PhD)やポスドク、研究助手、助教などが含まれます。調査対象者は各国にまたがっていますが、74%が北米の研究機関の研究者で、回答が多かった分野はライフサイエンスの65%となっていました。

この調査で、回答者の約半分がゴーストライターの経験があり、その中の約80%はそれが倫理に反すると答えています。にもかかわらず、回答者の73%は、少なくとも一回は査読レポートを共同執筆したことがあるとしており、複数回関与したことがあるとの答えも少なくありませんでした。これは、若手研究者が査読レポートの執筆に関わることが常態化していることを示唆しています。ポスドクの79%、大学院生の57%はPIではないにもかかわらず査読レポートへの提案もしくは執筆に関わったことがあると述べています。しかも、回答者の95%は査読の経験をすることは有益であると考えており、73%はPIが自分の傘下にいる若手を査読レポートの執筆に関与させることは倫理的に問題がないと考えていることが示されています。

査読レポート執筆における倫理問題

本来、学術雑誌(ジャーナル)から査読を依頼されて、その結果を査読レポートとしてまとめるのは研究責任者(PI)であり、若手研究者が、査読レポートのゴーストライターあるいは共同執筆者となっても名前は出ません。調査でも回答者の46%は、査読レポートに自分の名前が掲載されないことは承知していたと報告されています。回答者の82%が、自分の名前が記載されたらキャリア形成において大変すばらしいと思ってはいても、実現は難しいのが現状です。自分が査読レポートの作成に関わったことを自分の成果にはできないのです。

とはいえ、若手研究者は自分の研究室のPIからのゴーストライターの依頼を断りづらいことでしょう。まして、査読に関わる経験が有意義だと考えていれば、なおさらです。しかし、実際は査読レポートに名前を載せることはできず、査読者として認知されることにもつながらないのです。当然、学術ジャーナルの編集部は、査読報告書が見識のあるPIによって書かれたものと信じているわけですから、倫理的な問題となります。実際の執筆者の知識・力量が不十分で、査読レポートに示された結論が適切でない場合は最悪です。論文執筆者に対する公正性を欠くだけでなく、出版される論文の質に影響を与える恐れすらあります。こうなると、研究不正のひとつと言える重大な倫理問題です。

査読レポート作成に関わる他の問題

査読レポートの執筆者が関係者の名前を表記しないだけでなく、学術ジャーナルが査読報告書の共同執筆者の有無の明示を求めていないことも問題だと指摘されています。このことが、査読レポートの執筆に関与した研究者の名前が提示されない傾向を助長している可能性があるというのです。

査読レポートの作成に関与したことがある若手研究者が、自分の名前を掲載しないPIにその理由を問うことも稀なようです。回答者の73%が、査読レポート作成に貢献をしたにも関わらず共同査読者として自分の名前が掲載されないことにつきPIと話しをしていませんでした。PIと話したと答えた27%は、概ね、ジャーナルの査読方針に準じたためといった理由を説明されたとしています。PIの回答には次のようなものがありました。

  • 忘れた
  • 急いでいたので、学術ジャーナルの通達を確認していなかった
  • (若手研究者の名前を掲載しないのは)普通のことだ
  • これも君の仕事だ
  • 査読報告の書き方の勉強だ

一方、論文執筆者の大部分は、学術ジャーナルから査読を依頼された人(PI)が査読レポートを書くべきだと考えています。こうした論文執筆者の認識と査読にPI以外が関与するのが常態化している実態には大きなギャップがあります。

問題解決の方向は?

bioRxivnに掲載された研究報告は注目を集め、Science誌に定期掲載されるBery Lieff Bendel女史のコラムやNature誌の記事でも紹介されています。この両誌の論調では、問題解決の方向性としてbioRxivn論文の提案に共感を示しています。

学術ジャーナルは通常、査読過程を内密に行うため、査読を依頼する研究者にも守秘義務を課しています。しかし、査読を受託したPIによる若手研究者を含む別の研究者への作成依頼が常態化しているのを現実として受け止めるべきでしょう。そして、査読サポート作成に関する手続きにおいては、執筆に関与した研究者の名前を明記するように仕組みを変えていく必要があります。また、近年関心が高まっている査読レポートの公表に踏み切ることも、問題の解決に向けた動きの側面支援になるでしょう。

一方、若手研究者とPIの間では、査読レポートに誰の名前を記して提出するかを事前に話し合う習慣をひろげていくことも必要です。bioRxivnの研究報告では、査読レポートも研究論文などの他の学術著作物と同じように取り扱うべきだと提案しています。この提案を受け入れ、すべての執筆者および関与した研究者の名前が査読レポートにも掲載されるのであれば、査読レポートのオーサーシップに関する問題を解決させ、かつ査読プロセスに対する信頼の向上にも役立つのではないでしょうか。


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