ポスドク問題―非正規労働者の声

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、ポスドクとして働きながら、正規雇用の研究職を探す博士が微妙な立場に置かれた胸の内を語ります。


怒涛の博士過程を修了して、「学問的キャリア」を追求し始めた人には、どのようなことが起きるのでしょうか。この記事は、「ポス・ポスドク」と巷で呼ばれる学術キャリアをスタートしたピッパ・ヨーマン博士(Dr. Pippa Yoeman)によるものです。

ピッパは、学習における社会技術的イノベーションについて研究する民族誌学者で、最初のポスドク職を終えようとしているところです。様々なフォーマル、インフォーマルな学習空間で働く人々を1,000時間以上観察してきた彼女は、学術的、専門的な境界を越えて機能する翻訳ツールの必要性を痛感しています。現在、彼女は空間・カリキュラム・文化の(再)形成を支援するツールを開発しています。将来的には、時間と空間を越えて価値ある学習活動を評価する、スケーラブルで人道的な方法を開発したいと考えています。彼女の研究の動機となっているのは、ツールさえあれば、私たち全員が未来の学習環境の(再)形成に積極的に貢献できるという確信です。@PippaYeomanで彼女をフォローするか、このサイトへ行けば彼女の研究について詳しく知ることができます。

以下、ピッパによる記事です。

私は崖っぷちにいることの多い人間です。ほとんどの場合、自ら選んでそこにいます。私が物事のど真ん中にいる時は、それは必ずと言っていいほど、本当は黙っているべき感情と口に出ている言葉が私の中で葛藤している時です。しかし、私の現在の中間的な状態は、沈黙を糧とします。

私はポスドク研究員です。

私は幸運な人間です。博士号からポスドクへの移行は比較的容易でした。あまりに簡単にポスドクに就けたことで、その先の不安に苛まれている自分に気が付くと、罪悪感を覚えることもありました。定義の仕方で異なりますが、これは私の3つ目か4つ目、もしくは5つ目のキャリアです。私は、企業で上級職を経験し、2人の子供を育てながら再出発しました。

私は移民です。

私は幸運な人間です。私たちは、夫がMigrant-Occupations-in-Demand List(必要とされる移民職種リスト)に載っている技能を持っていたため、オーストラリアでの永住権を取得することができました。しかし、比較的簡単に入国許可を得たことが、再出発に伴う困難を見えにくくしていました。私はこれまで4つの大陸に住み、3つの大陸で勉強し、2つの大陸で仕事をしてきました。

私はもう大人です。

それなのに、なぜこんなに無力に感じるのでしょう。大学に戻ることを選び、社会に貢献する志を持っているのに、なぜこんなにも不安なのでしょう。私は研究集約型大学のポスドクで、政府の資金提供による期限付きの契約で雇われていて、資金がなくなれば、単にシステムの中で消えていくだけの存在なのです。

私は非正規労働者なのです。

私は7年間、教育研究者としての訓練を積んできました。しかし、フルタイムの研究という特権を享受してきたので、教えるということは「十分に」行なってきませんでした。また、学問領域を跨いで研究をする時間が長すぎたため、明確な「ホームグラウンド」がありません。奉仕活動、リーダーシップ、産業界との関わりなどへの注力が、本来執筆に充てる「べきであった」時間を侵食してしまったのです。何をやっても、常にやり残したことがあり、この、常に変動して到達できない合格ラインが、私の無力感を煽るのです。

私は黙っていることもできるし、そうすべきかもしれません。

私たちを沈黙させるものは、つまり、現在の地位を守るという限りなく小さな可能性を危険にさらすことへの恐れなのです。安全な距離から、ネット上で繰り広げられる仲間たちの物語を読んでいると、彼らが心の内を話すのを誰か止めなければと思うことがあります。私たちは、自分の考えを話しながら、心は吐露しないように訓練されています。しかしそんな私も、もし自分が声を上げなければ、事態を変える力を持つ人たちの耳には届かないのではないかと心配しています。

この問題が複雑であるからといって、権威ある立場の人たちは、自分たちの育てる人々の将来を考える責任を免れることはできません。どうして私たちは一人でこの道を歩まなければならないのでしょうか。時代遅れの成功法則をむなしく模倣しなければならないのでしょうか。このような現状に対し、教養のある大人の人道的な対応とは何なのでしょうか?

沈黙は選択肢になく、無知は正当な防衛策ではない。

私は、迫り来る列車のヘッドライトを漫然と見ていたり、道の先がしばらくは通行止めになっていることに無関心でいたりするのではなく、自分と共に黙って歩いている人たちや、後に続く人たちと考えを共有することにしました。

正気を保つために、私には自分の(学問的な)キャリアを一つにまとめる方法が必要でした。座礁した時に役に立つようなものを作っておきたかったのです。私はその基礎となる構造を探る中、(二つの船体がデッキでつながる)双胴船を造っている自分を想像しました。1枚だけでなく2枚の帆で強い風を最大限に利用することができる双胴船です。今のところ、私はその構造を維持することに全力を注いでいます。しかし、万が一座礁した場合は、片方の船体をカヌーにして穏やかな海へと向かうつもりです。

このように自分の研究を捉え直すすべを学ぶには、分裂している自分の心をこじ開ける必要がありました。一呼吸おいて、何が研究者としての自分を突き動かしているのかを考えるのです。マーク・リードはこれを、大好きなことができる夢をたくさん見ること、と表現しています。一時停止することは、直感に反するように思われました。しかし、私はあまりにも長い間、萎みゆく希望と高まりゆく恐怖の中で走り続けてきたので、絶望のどん底に落ちるのだけは避けたかったのです。思索にふけって行動を避けるということではありません。ただ、慢性的にストレスホルモンが分泌されている人間の行動が、クリアな思考に優ることはありえないということを確信したのです。

じっくりと考えた末、勤務日数を減らし、契約を延長することにしました。私は博士課程の最後の苦しいラストスパートから、そのままポスドクになり、ペースを落とさずにきていたのです。私と同じ決断を下すわけにはいかない立場の人もたくさんいるでしょうし、実質の勤務時間は減らないのに収入が減ったことに腹が立つこともあります。しかし、1つの問題は解決しました。勤務日数を減らしてからは、週末は休むようになりました。

実際には、この戦略は職を失うという避けられない事態を遅らせているだけです。しかし、そのおかげで、私は以下のようなことをする時間を得ました。

– 幅広い読者を想定した論文を書く

– 論文の投稿とリジェクトへの対処

– 研究の実用的な側面をワークショップに発展させ、(a)DECRA(Discovery Early Career Researcher Award=オーストラリアの若手研究者を対象とした賞)の基礎とする、もしくは(b)コンサルティング・モデルとする

– 履歴書とウェブサイトを更新する

– 必死過ぎて怖い奴にならずに、外で誰かとコーヒーを楽しめる

さらに重要なことは、期待にすがるような仕組みから抜け出し、裸の王様に忖度しなくても対等に人と付き合う方法を見出せたことです。また、「自分の素晴らしさが伝われば、きっと雇ってもらえる!」ということをただ期待するのではなく、対等な立場から「イエス」と言うことも学びました。良さが伝われば雇ってくれるといった単純なことではなく、共同作業が重視される現代の研究職においても、とどのつまり、学者になるということは、自分ひとりで考え、働き、書くことができることを示すということなのです。何にせよ、私のこれから置かれるキャリアの段階を無傷で乗り切ることができれば、実際に学者になることはそれほど狭き門ではないかも、と思えるようになる希望を持ち続けることにしています。

貴重なお話をありがとう。コメント欄で皆さんのご意見を伺いたいと思います。

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