子育てをしながらの博士号(PhD)取得

オーストラリア国立大学(ANU)のインガー・ミューバーン教授のコラム「研究室の荒波にもまれて(THE THESIS WHISPERER)」。今回は、2人のティーンエイジャーの息子を育てながら博士号を取得したフラン・ハイドから寄せられた体験談を紹介します。


この投稿は、生涯学習という考え方を常に実践してきたフラン・ハイド(Fran Hyde)によるものです。フルタイムで働く傍ら、マーケティングの修士号だけでなく、複数の専門資格を取得し、複数の非営利組織のマーケティングチームにも積極的に関与してきました。キャリアを変え、「中年期」に博士号を取得するというフランの決断は、「困難」と思われる状況でのマーケティングの実践を研究したいという思いと、高等教育機関で正規雇用の地位を確保するには博士号が必要であるという認識からでした。このようなことは完全に論理的に聞こえるかもしれませんが、「ほぼ」ティーンエイジャーの子供を抱えながら学業に復帰することは、ここに書かれているように、困難を伴うことでした。子供たちのもう一人の親でもある素晴らしいパートナーが博士課程の間をサポートしてくれたこと、特に4年に渡って家計を支えてくれたことについてフランは感謝を述べています。以下は、フランによる記事です。


博士課程(2013年~2018年)の間、幾度となく私の周りの人の人生を凍結させる「一時停止ボタン」が欲しいと願いました。一番の理由は、博士課程に入った時点で13歳と10歳で、論文を提出する前にティーンエイジャーになってしまった息子たちの人生を一時停止させたかったのです。博士号を取得しながら親業を続ける他の人たちが、論文を推敲しながら昼寝をしている赤ちゃんの写真を投稿したり、乳歯が生える時期の子供の夜泣きで不眠になったことについて語ったりする中で、私の経験は少し違っていました。私が博士号取得に取り組んでいる間、息子たちは受験し、Secondary School(訳者注:Secondary Schoolは日本の中学・高校の学年に相当)に入学し、小論文を書き始め、GCSE(General Certificate of Secondary Education=全国学力試験)を受け、髭を剃り始め、パーティーするようになりました(最後のやつは、別の意味で、親を不眠に陥れます)。

卒業の日の、フランと「ベイビー」たち

博士課程に入って間もない頃に、研究がうまく行かず落ち込んでいた時、下の子が私を見て、すごく冷静に「ママ、何を期待してたの?博士号なんだから大変に決まってるじゃない」と、多くの指導教官が敬遠する率直な表現で、この言葉を伝えてくれました。彼の言う通りでした。私は研究が予想以上に大変なことに気づきましたが、息子がそれをして理解してくれていることに、なんだか少し救われました。

同じ頃のある日曜日、私は大学図書館での仕事に行く前に、サッカーの試合の審判に行く上の息子を車で送っていました。車中で私たちは計算してみたのですが、息子の審判をするアルバイトの時給は、私の大学教員としての時給を超えることがわかりました。ゼロ時間契約に比べれば、などと話して雰囲気を和らげようとしましたが、気が重くなる会話でした。私は彼に「不安定労働」という概念について伝えました。その頃の私は、編集を過剰に加えられたデジタルな世界とは対照的な、自分の経験を元にした「会話」を試みていたのです。博士号取得の課程における「混乱」や、新しいキャリアを構築する際の困難を目にすることで、息子たちが資格取得とはどういうものかを理解できるかもしれないと私は考えていたのでしょう。この当時の家庭生活を決定づけていた私の「血と汗と涙」から、有益な何かを生み出せないかと思っていたのです。

博士号取得の資金的な足しにするために働いていた教員の仕事のおかげで、息子たちは、学生の提出した試験用紙が判読不能だった場合にどうなるかを目撃しました。また、「質問への答えになっていない」というだけで答案に点数が与えられないことや、オンラインで時間通りに提出しないことの危険性も知りました(二人にとっては知りたくなかったデジタルライフの一面です)。また、下の子に参考資料の引用方法を教え、「Wikipedia:チャット」もしました。その後、宿題に複数の参考資料を引用した努力を歴史の先生に認められた彼はご満悦でした。博士論文を再構成し改善しようとする努力は、時として、大切なキッチンテーブルの上を埋め尽くす事態となり、息子たちは、論文の推敲にハサミやセロテープが必要なことも知りました。3,000単語以上の文章を扱う私の姿に、2人とも驚き、そして少し恐怖すら感じたと思います。でも、いつか自分も何かにこんなに夢中になれるかもしれないと思って、ちょっとだけワクワクしたようです。

博士課程の学生とティーンエイジャーの子供を持つ親であることの両立は、学部生がひと夏の間にどのような変化を遂げるかを知る上でも有益で、そのことが授業を受け持つ際に役立ちます。ある週末、長男のリクエストで、蔵書の豊かな大学図書館に連れて行ったところ、彼は完全に圧倒され、ノートパソコンとグーグルの安全地帯に逃げ込んでしまいました。文字通り目と鼻の先にあるものを無視していたのですが、そんな彼は、この雰囲気が作業に役立つと断言しました。よく考えてみると、これはおそらく、教科書を手放し、学校から大学へとシームレスに移行して新たな課程で情報源の豊富な世界に入ることを期待される17、18歳の若者の多くに共通することであると気づきました。

論文提出の年、論文の章ごとの締め切りに追われる中で私は、親としての罪悪感を抑えてなんとかやっていくためには、息子たちそれぞれの「譲れないもの」を明確に把握するしかないと考えました。初めての大きな学外の試験(GCSE)の真っ最中だった長男にとって、それは私が家にいることで、研究に没頭していた私にとっては簡単なことでしたが、彼にとってもっと重要だったのは、冷蔵庫に十分な食べ物がストックされていることでした。結局、その5月と6月は、おやつ休憩を一緒に取ることによって、ある種の連帯感が生まれて支え合うことができました。下の子にとっては、2歳の頃から使っていた宇宙がテーマの寝室を、ティーンエイジャーらしいインテリアにすることが譲れないことだったようです。電球のひとつひとつを選ぶような大変な作業でしたが、そうした買い物に行くことが、私の気晴らしにもなりました。私は4年間、息子たちのすべてのスポーツの試合に出席し、ラップトップや本を持ってすべての迎えに行っていましたが、彼らにとって重要なことに寄り添えたのは最後の必死な数ヶ月でした。こうして、私たち全員が、論文提出の年を無事に乗り越えられたのです。

博士号取得後の2018年初頭、私と長男は異なる理由で大学のウェブサイトを見て回っていました。私は就職先を探すために、長男はコースや大学のオープンキャンパスを見るために。試験終了後、私たちは「ドライブ旅行」をしたのですが、それは私が二度と大学のキャンパスに足を踏み入れなくていいと清々しい気持ちになっていた時期のことでしたが、息子の目を通して大学を見ることは、とてもポジティブな経験になりました。17歳の若者たちが、初めてのキャンパスツアーやテイスターレクチャーを振り返り、どこで何を学びたいかについて話し合う姿を見て、そのポジティブさに魅了されない人はいないでしょう。彼らの目を通して高等教育を見ると、今までの苦労とは何のためであったのか、そして私と息子が大学で人生の新たなステージに踏み出そうとしているということが実感できたのです。

もちろん、別のステージではありますが。


ありがとうフラン! 私のティーンエイジャーの息子が高校生活最後の年を終えるにあたり、なんと素敵な記事を共有してくれたことでしょう。博士号取得の研究とティーンエイジャーたちの親業を両立させた経験があるという人は、ぜひぜひ教えてください。

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